第六話「疫病」
ビタが死ねば、スペルド族の疫病の進行が再開する。
事前に説明を受けていたことではあるが、ここまで劇的であるとは思ってもみなかった。
もしかすると、ビタは病気の進行を遅らせていたのではなく、単に麻痺させていただけなのかもしれない。
それが、俺に憑依して死んだことで、分体も死亡。
一気に、症状が表面化した……とか。
ビタは俺が倒した、なんて言わないぞ。ありゃ自爆だ。ヒトガミ側にも俺レベルの間抜けがいたことに安心はするが、しかし現状は安心できない。
「ルーデウス殿!」
苦しむルイジェルドに対してどうすることもできず、何かできることがないかと家を飛び出したところで、シャンドルが駆け寄ってきた。
「シャンドルさん!」
「お目覚めになられましたか。今しがたから、村の者たちが突然倒れ始めて、いったい何があったのか……」
「冥王ビタが倒れました。その影響で、疫病が進行したのでしょう」
「えっ!? いつ? どこで冥王を倒したのですか!?」
「さっき、勝手に倒れたんです!」
どっちでもいいが。
「詳しく説明を!」
「ええと……」
説明する。
昨晩、ルイジェルドから聞いた話を。口移しでビタを流し込まれ、幻覚を見せられたが、死神の指輪で倒したことを。
「……なるほど。つまり冥王はルーデウス殿に挑み、返り討ちにあった、と……ルイジェルド殿は操られていただけなんですね?」
「……起きてみなければわかりませんが、敵であるなら、俺を村まで運んだりはしないかと」
「わかりました」
「次は、こちらから質問です。今は何を?」
「ひとまず、今はまだ動ける者に、狩りに出ている者を回収に行かせています。その者たちには、そのまま、入り口の防衛を指示するつもりです」
さすがシャンドル、仕事が早いな。
病気が蔓延し始めたのはついさっきだろうに、優秀だ。
「ドーガは?」
「ドーガは、病人を一ヶ所に集めています」
と、視線の先を見ると、ドーガが一人の女を抱えて、ドタドタと走っているところだった。
彼を追うように、心配そうな顔をしたスペルド族の子供がついてきている。
向かう先は……族長のいた講堂か。確かに、あそこが一番大きい建物だし、ちょうどいいだろう。
シャンドル曰く、死者はまだいない。
だが、村人の半数以上が、ルイジェルドと同様、動けなくなるほどの症状を訴えているという。
「ルーデウス殿、どうしますか?」
「……どうするって」
言葉に詰まる。
この状況。どうすべきだ?
村は疫病に侵されている。治さなきゃいけない。だから、そう、解毒魔術だ。しかし、先ほどルイジェルドにも解毒魔術は試したが、効果はなかった。
全ての治癒魔術を試せたわけではないが、解毒魔術は効かない可能性が高い気がする。そういう病気や毒は、いくつもあるからな。
解毒魔術が効かないとなると、病気の専門家に任せるのがいいか。
専門家といったって、誰がいる?
アリエルあたりに言って、医者を用意してもらうか?
でも、この世界で一番病気に詳しいのはオルステッドだ。でもオルステッドは、スペルド族のことを……いや、やるだけはやってみよう。
まずは通信手段だ。設置した魔法陣までは、三日……。
いや、こんなこともあろうかと、事務所の地下に予備の転移魔法陣を用意してある。
この村にも魔法陣と通信石版を設置してしまおう。
事務所に移動して、オルステッドに現状を説明。
さらに、社長室から各地へと、今のスペルド族の現状と病状を伝える。
よし。
「村の奥に転移魔法陣を設置、事務所に移動して、そこから各地に連絡を、診察のできる者を呼びます」
「了解しました。では、私はこの村の防衛と、患者の看護を」
「お願いします」
素早く打ち合わせをして、俺は村の端の方へと急いだ。
ここは深い森の中だから、魔力濃度も高い。魔力結晶を必要としない転移魔法陣も設置できるだろう。念のため、事務所から石版のあまりも持ってきて、設置しよう。
つらつらとそんなことを考えつつ、村の裏側へ。
柵の外に出て、木を魔術で切り倒して広場を作った後、土魔術で小屋を一つ製作。入り口のない小屋である。そんな小屋の底から地下道を掘り、村の中へと接続。
これで、魔物は入ってこない。
メモ帳を取り出し、予備の魔法陣と合致する術式を確認する。
そのまま小屋の床に描くと消える可能性が高いため、魔術で石版を作り出し、その上に描くこととする。
焦りは禁物だ。少しでも間違えれば、魔法陣は完成しない。バグを探して直す余計な時間を考えれば、できれば一発で成功したい。急いでいる時こそ落ち着いて……。
「あ、くそっ……」
なんて思っていたら、少し間違えた。
「ふぅ……」
深呼吸。
落ち着いて、あえて、いつも以上にゆっくり描くことにする。
直径二メートルはある平面の魔法陣だ。早く描こうとすれば、当然のようにミスが残る。
慎重に描く。
転移魔法陣自体は、今までに何度も描いた。
元々、俺は正確さには自信があったはずだ。そう心を落ち着けつつ、丁寧に、転移魔法陣を描き上げていく。
「どうだ?」
完成と同時に、魔力を注ぐ。
描いた魔法陣の全てに魔力が注がれ。ぼんやりとした光を放ち始めた。成功だ。
「よし」
俺は、即座に飛び乗った。
一瞬の意識の消失の後、着いたのは、事務所の地下。
魔法陣の正常な動作を確認。それと同時に俺は早足で部屋を出る。
『オルステッド、ルーデウスにご用のある方はこちらへ』と書かれた矢印に従うまでもなく、地上を目指す。
転移魔法陣の部屋が並ぶ地下室を抜け、階段を上ると、そこはもうロビーだ。
「あ、会長、お帰りなさ──」
「社長はいるか!?」
俺の剣幕に、受付嬢は耳をぴくんと動かし、やや怯えた感じで耳を下げつつ、返事をした。
「お、おいでです」
俺は受付嬢の言葉を最後まで聞くことなく、社長室へと続く廊下に出る扉を開けた。
短めの廊下を抜けて、社長室の扉を開く。
そう乱暴にはならなかったと思うが、ノックは忘れた。
そのせいか、オルステッドはヘルメットをかぶっていなかった。
「オルステッド様」
「……」
オルステッドは、何かに気づいたのか、心なしかバツの悪そうな顔をした。だが、しかし顔を逸らすことはなく、まっすぐに俺の方を見返した。
数秒ほど見ていると、その顔が「なんか文句あんのか?」とでも言っているように見えてきて、ふつふつと怒りが湧いてくるのを感じた。
怒ってる場合じゃないのは、わかっている。それでも、俺の口から出てきたのは、苛立ちまぎれの詰問だ。
「あの、スペルド族の病気、知ってらしたんですね?」
「知っていた」
「治す方法は?」
「ない」
ハッキリ言われた。知らないではなく、ない、と。
「もっと早く言ってくれれば、治療法を探すことぐらい、できたはずです。なぜ言ってくれなかったんですか」
そう言うと、オルステッドは首を横に振った。
「お前が俺の配下となった時、すでにスペルド族は滅んでいるはずだった」
「はず……それはいつものループなら、ってことですか?」
「そうだ。そして、ルイジェルド・スペルディアが生き残ったスペルド族と出会うこともない」
すでに滅んでいるはずだから、言わなかった。
ルイジェルドは、本来なら、その滅びとは無関係。だから、可能性としては思い浮かべつつも、言わなかった、そんなところか。
「でも、数年前には見に行ったんですよね?」
「……ああ」
「その時に、スペルド族を発見し、ルイジェルドが接触し、疫病にかかっていることを確認したけど、黙ってたんですよね?」
「そうだ」
「黙ってればスペルド族は滅びて、ルイジェルドもいなくなる。だから、俺もわからない、諦めると、そう思ったってことですか!」
いつしか叫びになっていた。裏切られた気分だ。
「違う。時間の無駄だと思ったのだ」
「時間の……無駄?」
「そうだ。俺とて、スペルド族を助けようとしたことはあった。全ての解毒魔術を試し、治る可能性のある薬を全て試した。だが、治らなかった。あの疫病は、治せない」
オルステッドは、思いつく限りの全てを試したということか?
「俺にとって、スペルド族が滅ぶのは決定事項だ。だが、お前は諦めず、スペルド族が滅びるまでその面倒を見ようとしただろう」
「そりゃあ……もちろん」
でも二年前……あるいはもっと前か?
言うタイミングとしては、シーローン王国での一件の後、ラプラスの復活所在地がわからない、戦力を集めよう、と言い出したタイミングか。
その頃にスペルド族について言われ、疫病を治そうと奔走していたら、どうなっていただろうか。
少なくとも、今から一年分の仕事は、できなかっただろう。
アトーフェにも、ランドルフにも、その他の魔王たちにも声を掛けることはできなかった。
あるいはミリスに行くこともなかったかもしれない。
未だギースが使徒であると、気づかぬままだったかもしれない。
「でも、時間の無駄かどうかを決めるのは……俺……じゃ、ない……かもしれないけど……」
理屈はわかる。
でも、心がまだ追いつけない。頭の中で言い訳が湧いてこない。
今回、オルステッドは、言い忘れていたわけじゃない。
言わなかったのだ。
自分の意思で、俺にスペルド族を助けに行かせないようにと画策したのだ。その理屈はわかるのに、それがどうしても、どうしても許せない。
俺の恩人を見殺しにしようとしたのだ、オルステッドは。
オルステッドはああだから、こうだから仕方ない。
いつもなら、そんな言葉が湧いてくるのに。許せない。
まずい。
このままじゃ、オルステッドを敵に認定してしまう。
こんな、作戦の途中で。ビヘイリル王国に敵がいて、みんながビヘイリル王国にいる時に……。
言い訳を、なにか言い訳を考えないと……オルステッドを許せる言い訳を。
「……ルイジェルドは、あなたの計画において、邪魔なんですか?」
出てきたのは、そんな言葉だった。
会話の流れに沿わない言葉。これで肯定されたら、俺はどうするつもりなのだろうか。
だが、オルステッドは言ってくれた。
「邪魔ではない。奴の娘はラプラスと戦う時に、最も重要な駒となる」
「娘が? どう、重要なんですか?」
「魔神となったラプラスは不死身だが、弱点がある。それを看破し、致命傷を与えられるのは、第三の眼を持つスペルド族だけだ」
魔神の弱点を突けるのは、スペルド族だけ。
「あ」
そこで、ふと俺の中で何かがハマった。
ラプラスが、己の呪いを移してスペルド族を滅ぼそうとした理由。
魔神殺しの三英雄が、ラプラスと戦った時、戦闘力で一段劣るルイジェルドがラプラスに対し、後にペルギウスが感謝するほどの一撃を入れることができた理由。
スペルド族が疫病にかかってしまう理由。
疫病が予定よりも遅く、ルイジェルドが到着してから蔓延した理由。
……俺が、ルイジェルドと共に、中央大陸まで旅をした、理由。
「ヒトガミ……か」
体から、力が抜けた。
よろよろと下がる。椅子に足が引っかかり、どすんと腰が落ちた。
肘掛けに体重を掛けて、なんとかそれ以上、ずり落ちるのをとどめる。
「本来の歴史なら、ルイジェルドさんは生き残るんですね?」
「ああ」
「途中で死ぬことはまずなくて、最後には子供も作るんですね?」
「ああ」
「オルステッド様は、その子供を使って、ラプラスを倒そうとしていたんですね?」
「最初はな。ラプラスは生まれた瞬間は不死身ではないとわかってからは、利用しようとはしていない」
「そうですか」
なら、これも、ヒトガミの布石の一つか。
なるほどね。そして、今回はそれを、俺を消すのに絡めてきた……と。一挙両得を狙うヒトガミらしい作戦だ。
「オルステッド様。どうやら俺たちは、またヒトガミの手で踊らされたらしいですよ」
「……」
「スペルド族の滅び、疫病の蔓延は自然現象ではなくヒトガミの仕業でしょう。ヒトガミにとって、魔神ラプラスというのは、生きていたほうが都合がいいみたいですね」
魔龍王ならまだしも、魔神となったラプラスに害はない。
なにせ、ヒトガミのことなんて忘れているのだから。
それどころか、人を滅ぼそうとしている。案外、ラプラス戦役の頃も、ラプラスはヒトガミに操られていたのかもしれない。龍族を直接操れるとも思えないから、ヒトガミの使徒経由で。
「はぁ……」
なんか、予想外のことでスッキリしてしまった。
オルステッドがスペルド族について言わなかったことについては、まぁ、まだちょっとわだかまっているけど、ここで俺がオルステッドに対して怒りをぶつけても、なんの解決にもならない。
結局はヒトガミが喜ぶだけだ。
計画通りと、ニタニタと笑うだけだ。
「……」
さっきは思い浮かばなかったが、スッキリしたせいか、言い訳も思いついてきた。
治す方法を知らず、もう滅んでいると思ったから放置した。
当初、オルステッドの中では、スペルド族の滅びと、ルイジェルドの生死は関係なかった。ルイジェルドも、どこかで生きていると考えていたのだろう。
しかし、もしかしてと思って、見に行ったら、ルイジェルドもいた。
しかも、ルイジェルドも感染してしまっていた。
俺に対してなんて言っていいのかわからない。言わないほうがいいかもしれない。そう考えても仕方はない。
「オルステッド様は、スペルド族なしで、どうやってラプラスを倒すつもりだったんですか?」
「神刀を使えば、倒せんこともない。苦戦は免れんが、今はお前が仲間を集めている、どうにでもなるだろう」
「でもたしか、その神刀? 魔力、結構使うんでしたよね?」
「背に腹は代えられん」
その上、オルステッドは、ペナルティを自分で背負うつもりだった。
「謝ろうとは思っていたのだ。だが、言い出せず、このような形になった。すまなかった」
オルステッドはそう言って、頭を下げた。
「……わかりました」
オルステッドも完璧じゃない。
こういうこともあるだろう。広い心で許してやろうじゃないか。
「オルステッド様、今回だけは許してあげます」
「ああ」
これで解決だ。俺も心のわだかまりについては忘れ、前向きにいこう。
とにかく、だ。
「確認ですが、オルステッド様は、ヒトガミを倒すのにも、やっぱり魔力が必要なんですよね?」
「ああ」
ヒトガミは、シーローン王国にて、ラプラス復活位置が特定されるのを防いだ。
さらに、ラプラスを倒す鍵となるルイジェルドをスペルド族と合流させ、スペルド族を最後の一人まで根絶やしにしようとしている。
スペルド族が根絶やしとなれば、ラプラスを直接オルステッドにぶつけることができる。
オルステッドはラプラスを倒すのに多大な魔力を使うことになる。
これが、ヒトガミにとっての勝ち筋なんだろう。
その勝ち筋は、潰す。神刀とやらも、使わないほうがいい。戦闘は極力避け、魔力消費も抑える。
ラプラスを倒す戦力は俺が集め、オルステッドの魔力は、ヒトガミとの戦いで爆発させよう。
だが、そのためには、ラプラスの急所となるスペルド族を生かさなければならない。
「もう一度聞きますけど、治す方法、ないんですね?」
「…………少なくとも、俺は、知らん」
「といっても、オルステッド様も、知らないことは多いですからね」
「そう、だな」
オルステッドはそう言って、いつも以上に恐ろしい顔をした。
最近、この怖い顔にも慣れてきた。これは、情けないと思っている時の顔だ。
「なら、治す方法もあるかもしれません。もう少し、あがいてみましょう」
オルステッドだって、呪いのせいでできないことは多かったはずだ。今の状況であれば試せることだって、以前は試さなかったはずだ。なら、やってみないとな。
「わかった……俺も村に行こう」
オルステッドはそう言って、頷いた。
★ ★ ★
その後、俺は冥王ビタについての報告を行った。死神の指輪でビタが自爆したことを伝えると、オルステッドは驚きを秘めた怖い顔をしていた。
その顔を見るに、ビタが憑依していたことは、知らなかったようだ。
指輪は、本当に保険だったのだろう。
それから通信石版を使い、各地へと連絡を取った。
スペルド族の病症と、医者の手配だ。通信石版の数が多すぎて、各地に連絡を送るのに手間取った。カーボンコピー機能が必要だ。
メールの返事がくるまで、追加の予備転移魔法陣も描いておいた。
転移魔法陣の設置には、まず最初に二つ描いて、起動を確認した後、片方の術式をどこかにメモしてから消す、という工程を経る必要がある。
慌てて補充する必要はないが、使ったら補充は徹底しなければならない。
受付嬢には、社長室で待機してもらい、オルステッドの留守中におけるメールの返信と、転移魔法陣でやってきた者に対する案内役をしてもらうことにした。最近、転移魔法陣も多くなりすぎて、どこがどこにつながっているのかわかりにくくなっている。俺やオルステッドはまだしも、初めてのお客さんには案内図が必要だろう。
あとは、転移先の方に、村のどこに向かうかを書いておけばいいだろう。
ちなみに、シルフィはすでにギレーヌ、イゾルテを連れて剣の聖地へと向かったようだ。
その時にはアリエルも顔を出し、シルフィと話をしていたということだ。
受付嬢もオルステッドも内容を聞いていないそうだが、言伝がないということは、少し顔を見に来ただけなのだろう。
あんな夢を見たせいか、顔を合わせていたらちょっと意識してしまったかもしれない。
シルフィの前でアリエルを見て顔を赤らめたりとかは、したくないものだ。
それから、ビヘイリル王国に散った他のメンツが転移魔法陣と通信石版を設置できたかを確認。
全て順調に稼働していた。彼らも、順調に動いているようだ。
連絡も来ていた。アイシャ+傭兵団の方は異常なし。ザノバからは、首都に討伐隊が集まっている、という報告。ロキシーからは、鬼神の所在を調べる、という報告。
彼らに対しても、現状についてのメールを送っておいた。最後には「こっちはなんとかするから、職務を全うせよ」と付け加えておく。そうじゃないと、エリスとか飛んできそうだし。
さて、各国からのメールの返事は、色よいものが多かった。
多くの国が『病気について過去の文献を調べてみる』と返信。
アスラ王国からは、明日にでも医者を送ってくれる運びとなった。
ただ、ミリス神聖国からは、前回に送った援軍に関する返信だけだ。神殿騎士団を転移魔法陣に送り込むのは、難しいということで、あまり色よくない。
それにしても、やはり、ミリスからの返信は遅いな。
ともあれ、そこまでやってから村へと戻ってきた。
オルステッドと共に。
現在、オルステッドは倒れたスペルド族を一人ずつ診ている。
彼はそこらの医者よりは医療的な知識を持っているだろうが、今までわからなかったものが、今になってわかるわけもない。
そもそも、彼は医者ではない。
今までのループの中で、誰かの病気を治そうとしたことはあるだろうが、それは医療行為ではなかっただろう。
どちらかというと、RPGのお使いイベントだ。
何月何日何曜日、ルーデウス君が病気になる。ルーデウス君は、何月何日何曜日に死亡するので、それまでに治しましょう。その時点では、治す方法はわからない。しかし、何周かしているうちに、シルフィエットちゃんが同じ病気にかかっていることを知る。そして、そのシルフィエットちゃんの病気を、ロキシー先生があるアイテムを使って完治させる。オルステッドは、ロキシー先生の使ったアイテムを、次の周回でルーデウス君に使えばいい。
という感じだな。
まぁ、過去の症例と今の症例をすりあわせて治療法を探る、ってのが対処法なのかもしれんが、そこらへんは俺も医者じゃないからわからない。
要するに、オルステッドは想定外の出来事には強くない。
「やはり、わからんな」
全員を診終えた後、力なく、首を振った。
「俺の知っている疫病とは、少し症状が違うような気もするが……」
「どう違うんですか?」
「こんなに急速に悪化することはなかったはずだ」
「……やはり、ビタが麻痺させていて、それが表面化しただけってことですかね」
「ヒトガミのやり口なら、ありえるな」
病気を抑えたふりをして、実は何もしていなかった。ヒトガミのやりそうなことである。
「お前の方はなにかわかったか?」
「……いえ」
俺はオルステッドが病気を調べている間、村で医療に携わっていた者に、病気にかかった際の治療法などを聞いていた。
彼らは中央大陸でポピュラーな薬草や、滋養の高い野菜をドロドロに煮込んでから与えていたそうだ。薬草や野菜の栄養価については詳しく知らないが、そう大きく間違ったことをしていたとは思えない。
でもこの方向性ではダメだ。
考え方を変えなければいけないのだろうか。
例えば……そう。本来なら疫病が蔓延するのはもっと早い段階だった。
ってことは、ヒトガミがこの疫病をコントロールできるってことだ。なら、どこかからヒトガミによって持ち込まれた毒やウイルス、という可能性もあるか?
あるいは、単純に転移事件によって、スペルド族が疫病にかかるタイミングがズレたのかもしれない。
あくまでヒトガミはそれを利用しようとしていただけで……。
ああもう、だからなんだってんだ。
今大事なのは、ヒトガミがどうこうじゃない、この病気を治す方法だ。
考えれば考えるほど、思考が泥沼にはまっていくこの感じ。もしかすると、本当は手段などないのかもしれないと思うこの感じ。嫌な感じだ。
だが、まだだ。
少なくとも、俺とオルステッド、シャンドルにドーガという組み合わせでは治せない。
が、これから医者も来る。今は患者を清潔に保ち、栄養を摂らせることだけに専念しよう。
そう思いつつ、俺はその日、シャンドルやドーガと共に、丸一日を看病に費やした。
翌日、アスラ王国の医師団が到着した。
二人の医者と、四人の看護師、それに食料と医療品の数々だ。
一応、スペルド族を恐れない面々を揃えてはくれたらしく、彼らは病人を見ると、すぐに診察にとりかかってくれた。
彼らが転移魔法陣のことを口外しないかは、もうアリエルのカリスマ性に賭けるしかない。
「予め聞かされてはいましたが、見たことのない症状です」
もっとも、リスクを負った割に、医師団はなんの役にも立たなかった。
「我々も、国内で魔族の診察をしたことはあるが……特定の魔族が特定の条件下でかかるものであれば、手の施しようがない」
まったくわからないというのが、医者の見解だ。
少なくとも、過去の症例には当てはまらないらしい。
まあ、そんなもんだろうとは思っていた。この世界は、治癒魔術や解毒魔術のお陰で、医療が発達しているとは言いがたい。そんな世界の医者が診ただけでわかるなら、オルステッドにもわかる。
「一応、診察は続けてみますが、あまり期待はしないでください」
医者はそう言って、現在も治療を続けてはくれている。
しかし……やはり、そうか。期待はしていなかったが、ハッキリとそう言われると、思った以上に落胆が大きい。
「ふぅ……」
ため息をつきつつ、講堂を見渡してみる。
そこには、数十名のスペルド族が寝かされていた。呻く者、ぐったりとして動かない者、意識を失っているのだか、眠っているのだかわからない者。食事を食べさせてもらっている者。
様々な者が横たわり、看護される光景は、さながら野戦病院だ。
死者は今のところゼロだが、症状が重い者も少なくはない。時間の問題だろう。
そして、症状が重い者の中には、ルイジェルドも含まれている。
現在、彼は意識を失い、昏睡状態にある。時折、目をカッと開き、激しく咳き込むのを見ていると、先が長くないのがわかる。
なんとかして治したい。ルイジェルドのそばに座り込み、そう思う。だが、現状で打つ手はなく、打開策も思いつかない。時間だけが過ぎていく。
これでは、ミリス神聖国や王竜王国から医者が来たとしても、治療法が見つかる可能性は低い。
治療法が見つからなければ、次はどうすればいいのだろうか。
誰に聞けば、わかるのだろうか。
どうすればいい、何ができる。
「ルーデウス殿」
気づけば、シャンドルが目の前に立っていた。
「どうしました?」
「こんな状況で申し訳ありませんが、情報屋の方はどうしますか?」
情報屋……ってなんだっけ。
あ、そうだ。第二都市イレルで、情報屋にギースの捜索を頼んでいたのだった。
「約束の日まで、あと何日ありましたっけ?」
「都市から町まで一日、村からここまで二日、ルーデウス殿が眠っていたのが一日、それから昨日、今日はもうすぐ終わりますので、あと四日、といったところですかね。一日ぐらい遅れてもどうにかなるかとは思いますが」
もう、折り返しか。
ていうか、俺はそんな長いこと寝込んでいたわけじゃなかったんだな。
「転移魔法陣も設置しましたので、日数の余裕はありますが……」
「そうですね。その時になったら、俺が行ってきます」
この場から移動したくはないが、ギースの捜索はメインの目的だ。行くしかないだろう。
「私も同行しましょう」
「……オルステッド様とドーガだけを残すのですか?」
「ルーデウス殿を一人にするほうが危険です」
一瞬、何か裏があるのかと勘ぐってしまうが、正論か。
俺が一人で行動しても、ロクなことにならない。
「ルーデウス殿、情報屋はそれでいいとして、討伐隊の方はどうしますか?」
「討伐隊?」
「国が集めている討伐隊ですよ。ひと月ほどで結成され、ここに攻めてくると聞いていたではないですか」
「ああ……」
そんなのもあったな。
「そちらも、早めに手を打っておいたほうがいいかと思いますが、いかがしましょう?」
確かに、スペルド族を守るなら、早めに動き、国と交渉したほうがいいだろう。
だが、それはあくまでスペルド族が人族にとって安全であるという部分が根底にないと無理だ。
もちろん、スペルド族側に、人族への敵意はない。それを証明することは今でもできるが……。
「この状態では、疫病だから焼き払おう、なんて言われかねません。せめて、疫病が治るかどうかを見てからでも……」
「では、放っておくと?」
「……それは、よくないですよね。どうすればいいと思います?」
「情報屋と接触した後、王宮まで行き、悪魔の正体と、その現状を報告するだけでも、意味はあるかと。疫病だから焼き払おうと言い出したのなら戦い、ならば救おうというのなら、交渉は完了。でしょう?」
「ああ……その通りですね」
まずはやってみろ。そういうことだ。
ともあれ、次の行動は四日後か。
やることは山積みで、解決の糸口は見えない。何も進展しないだろうことに対する焦燥感がつのる。
疲れるな……。
そう思いながら、その日、俺は眠りについた。
誰もいないルイジェルドの家で。
誰かに揺り動かされて目が覚めた。
目の前にいたのは美少女だ。金髪で、サラサラした髪を、眉の上あたりで切り揃えている。
誰かなんて、思い出すまでもない。
「兄さん、起きてください、兄さん……!」
ノルンだ。
ああ、また夢、また幻術なのか。
今度はノルンが妻か。てことは、ビタがまだ生きていたということなのかね。なら、スペルド族の現状も、夢であってほしい。
「ビタも芸がないな」
「ビタ? 寝ぼけてるんですか!? 言いたいことがたくさんあるんです!」
ノルンはお怒りのようだ。
最近はそうでもないが、昔のノルンは俺に対して怒ってばかりいたような気がする。懐かしのぷんすかノルンだ。
「なんで、ルイジェルドさんがこんなことになってるって、私に教えてくれなかったんですか!」
ルイジェルドがこんなことに。
そんな言葉で、俺の意識は急激に覚醒した。
「……!」
体を起こす。
獣の毛皮を敷き詰めた床。ルイジェルドの家だ。夢じゃない。
「私だって、ルイジェルドさんに、いっぱい、お世話になったのに……! こんな時にも教えてくれないなんて、あんまりじゃないですか……」
ノルンの目から、ボロボロと涙が零れ始める。
彼女はそれを拭うことなく、力強く床の毛皮を掴んでいる。俺はなんとはなしに、指で彼女の涙を拭った。
「ああ、ごめんよ……」
と、同時に、疑問が湧いてくる。
なんでノルンがここにいるんだ? 確か、彼女は今、忙しかったはずだ。
「ノルン、えっと、今聞くべきことじゃないかもしれないけど、なんか学校で催し物があるんじゃなかったっけ?」
「そんなの、もうとっくに終わりました!」
えっ! てことは、卒業式も終わったということか? そんな馬鹿な……じゃあ俺は彼女の卒業式でハンケチーフで目元を押さえ──じゃない、それじゃない。今はどうでもいいそんなの。
「……どうやってここに?」
「クリフ先輩が、全部、教えてくれて、連れてきてくれたんです!」
えぐえぐとしゃくりあげながら、ノルンは振り返った。
家の入り口。逆光を背に、二つの影が立っていた。
片方はほっそりとしたシルエット。光を受けてキラキラと光る金髪。長耳族らしい禁欲的な体つきは、妖艶さを醸し出している。
そして、もう一人は、男性だ。
背は平均よりも低め。横幅だって、特別に広いわけじゃない。だというのに、なぜだろうか、大きく頼もしく見えるのは。
その片目に掛かる眼帯のお陰だろうか。
「ルーデウス」
クリフ・グリモルがそこにいた。
「来るのが遅くなってすまなかった。いろいろと手続きに手間取ってな……ミリス教団も一枚岩じゃない。許してくれ」
彼は、来てくれたのだ。
あの通信石版の文字を読んで、すぐに来ようとしてくれていたのだ。
「僕が来たからには、もう大丈夫だ。こんな時のために、医療術も学んだんだ」
「でも、クリフ先輩……」
「ああ、わかっている。全部、聞いたからな。でも、僕にはコレがある」
クリフはそう言って、眼帯の上から、ポンと目を叩いた。
キシリカから受け取った、魔眼の一つ。
識別眼を。
「魔眼の一つや二つで、どうにかなるんですか?」
「魔眼だけじゃ、どうにもできないかもしれない。でもなルーデウス。魔眼を持っているのは、僕だ」

クリフはそう言って、誇らしげに胸を張った。
「僕は天才だ」
それは、あるいは泣きじゃくるノルンを安心させるために言った言葉なのかもしれない。あるいは、憔悴した俺を安心させるために言った言葉なのかもしれない。あるいは、不安な自分を奮い立たせるために言った言葉なのかもしれない。
でも、クリフの姿が大きく見えた。
こんな時にこんな言葉を言えるクリフは、大きく見えた。
今まで、これほどまでにクリフの姿が大きく見えた日があっただろうか。
クリフは見る度に大きくなる。俺の想像を超えて大きくなる。もう、俺の二倍ぐらい大きいんじゃないだろうか。
クリフ先輩なら。呪いすらもなんとかしてしまったクリフ先輩なら!
「天才にできないことなんてない、任せてくれ」
なんとかしてくれる。
何の根拠にもならない発言のはずなのに、俺は自然とそう思えた。
第七話「天才」
クリフが最初に向かったのは、患者のところだった。
「患者の容態から見るのは、基本中の基本だ」
そう言いながら、クリフは全ての患者を診察していった。
といっても、医師団がやっていたことと、そう変わらない。症状の重い者の容態を魔眼で見て、症状の軽い者から話を聞き、医師団の作成したカルテと照合する。その程度のことだ。
「ミリス教に話すことなど……ゴホッ、ゴホッ!」
患者にはクリフの服装を見て怯え、中には明確に敵意を持つ者もいた。
スペルド族を最も激しく迫害したのはミリス教団だった。それを憶えている者も多いのだ。
「いいから答えろ、最初に違和感を感じた場所はどこだ?」
もっとも、クリフは一切気にすることはなかった。
助けようとしている相手が誰一人として協力的ではないという状況。俺なら途中で心が折れそうになるだろう。
さすがクリフだ。
「なるほどな」
ひと通り患者を診終えた後、クリフは何かに納得していた。
が、多分、まだ何もわかってない気がする。いくらクリフが天才だといっても、わかることとわからないことはある……気がする。
大体、クリフは神父であり、治癒術師であり、研究者ではあるかもしれないが、医者じゃないし。
「次は、担当医の話だ」
クリフはそう言って、医師団から聞き込みを行った。
どういった診察を行い、これからどうするつもりなのか。
それらをアスラから来た二人の医者にそれぞれ聞いた。
「基本的には、解毒魔術と薬を併用して、様子を見るつもりです」
「アスラ王国の医師も、大したことはないな」
フンと鼻息一つ。
唖然とする俺と医師。クリフがこんな傲岸不遜な態度を取るなんて……やはり、スペルド族の態度が気になっていたのだろうか。いや、昔からこんなんだったかな?
「それで治るんだったら、とっくにルーデウスかオルステッドが治している」
「では、クリフ殿はどうすると?」
「それを、今から調べるんだ」
医者の顔が歪む。ああ、医者の人、抑えて。もしダメだったら、思いっきりなじってくれても構いませんから。今は、今はまだ、抑えて。
しかし、少し不安になってきた。さっきは頼りになると思えたが、大丈夫なんだろうか。
向こうでルイジェルドの看護をしているノルンも不安なのか、心配そうにこちらを見ている。
「よし、ルーデウス、外に行こう」
医者と別れた後、俺たちは講堂を出た。
講堂を出たところでクリフは足を止めて、成果を確認する。
「さて、一つわかったことがある。長老にも話は聞いたが、スペルド族がこの病にかかったことは、今までなかったそうだ」
「今までって、長老って何歳でしたっけ」
「千歳は超えているそうだ」
スペルド族って寿命長いなぁ……。
「疫病にかかったのは、この土地に来てから。つまり病気の原因は、この土地にあると見た」
「ヒトガミが毒を持ち込んだ可能性は?」
「違うな。そういう類なら、この眼でわかる」
クリフは眼帯側のこめかみをトントンと叩きながらそう言って、村の中を見て回り始めた。
まずは畑。
眼帯を外し、植えられている野菜を一つずつ丁寧に、時には割って中身を見ながら確かめている。
今も、みずみずしいトマトが真っ二つだ。
それにしても、スペルド族が普通に農作をしていると知られれば、もう少し世間の評価も変わるのではないだろうか。
人間ってのは、自分と同じことをしている存在に親近感を持つものだし。
「次だ」
次に向かったのは、獣の解体場だ。
そこは、やや血の跡が残っているものの、綺麗に片付けられている。村人が倒れた直後は解体の途中だったらしいが、さすがに生肉をそのままにしておくと危険だということで、シャンドルの指示で村の外へと捨てられた。
クリフはそこにある刃物や、まな板のようなものを、丹念に識別眼で見ていた。
「……なるほど。ルーデウス、ここで捌かれた肉は、どこに保存されている?」
「ええと……こちらに」
何がなるほどなのかわからないが、俺は食料庫へと案内した。
やや地下に作られたそこには、干し肉や、塩漬け肉、その他、保存に適した野菜なんかが大量に詰め込まれている。
クリフは、そこでも識別眼を使い、一つ一つ鑑定していた。
「何か……わかりましたか?」
「焦るな、全部見てからだ」
クリフは食料庫を出た後、村の家を見て回り始めた。
家の中に入り、厨房や寝床、はては着替えまで漁っていた。不法侵入である。勇者クリフだ。俺が自宅で同じことをやれば、皆から白い目で見られることだろう。
それにしても、スペルド族の家屋を見て回ると、ルイジェルドの家の飾り気のなさがわかる。
他の家では花が飾ってあったり、柱に子供が描いたと思しき絵があったり……賑やかさと生活臭を感じる。この小さな服は、子供用だろうか。
もちろん、症状が軽くて家に人がいる場合は、許可を取った。
「ミリス教……!」
「お、お母さん……」
「大丈夫です。落ち着いてください。彼は安全です」
神父姿であるクリフを見て、槍を構えて威嚇する者もいたが、許可を取るのに障害はない。
「嘘よ! ミリス教は、私たちを見ただけで……あ、ああ……」
「お母さん? お母さん!?」
何かを思い出したのか、震える母親。それを見て、泣きそうになりながら母に縋りつく娘。
スペルド族とミリス教団。その間に、埋められない溝があるのを感じる。
俺やクリフにとって、スペルド族の迫害というのは、大昔の出来事だが、この村には、まだまだ生々しい被害者がいるということなのだ。
「それで、君たちは普段、どんなものを食べているんだ? 調理方法は?」
クリフは空気を読まない。
怯える母と、不安そうに震える子供など眼中にないかのように、質問を繰り返す。
「早く答えたまえ。そう長い時間が残されているわけじゃないんだ」
答えるまで。
「ふむ」
そうして、クリフは全ての家を見て回った。
だが、特に何かがあったわけではないと思う。少なくとも、スペルド族の文化に触れただけ、という感じだ。
「あの、クリフ先輩」
「ルーデウス。案ずることはない、彼らは僕に怯えたわけじゃない。この服に怯えていただけだ。そして、僕がこの服を着たまま病気を治せば、彼らも考えを改める。そうだろう?」
そんな簡単かな。
と、思いつつも、少なくとも娘の方は改めてくれるかもしれない。それぐらいチョロくあってほしい。
「さて、次だ」
クリフはそう言いつつ、村の各所を見て回った。
村の中心にある泉、井戸、倉庫、資材置き場、はては村の外にあるゴミ捨て場まで。
「……」
クリフは、それらを本当に丁寧に調べていた。
表情は真面目そのもの。真面目にゴミ捨て場をあさり、真面目に腐った獣の肉をかき分けていた。
識別眼には、いったい何が映っているのか。俺にできるのは、時折クリフの発する質問に答えることだけだ。
そして、村の全てを見終わり、日がすっかり暮れた頃、俺たちは講堂へと戻ってきた。
「それで、クリフ先輩、どうですか?」
「いくつか、わかったことがある」
「おお」
「リーゼ、僕の薬箱を持ってきてくれ!」
講堂を使った診療所の中でクリフが大声を出すと、看護に参加していたエリナリーゼが即座に立ち上がり、走りだした。
彼女は診療所の隅に置いてあった大きなバックパックを掴むと、即座にこちらへと戻ってきた。
「はいですわ!」
「ありがとう、リーゼ」
エリナリーゼが嬉しそうだ。
久しぶりにクリフに会えたからだろうか。子供は……ウチにでも預けてきたかな?
「いいか、ルーデウス。病気の経路は決まっているものだ」
「ほぉ」
「といっても、僕も医者じゃないから、詳しいことはわからないんだが……。ひとまず、スペルド族はこの地に来てから病気にかかったということだった。だから、この地でとれる食料なんかを中心に、識別眼で見てみた」
「おお、それで!?」
「異常は見られなかった」
あらぁ……?
「土も、水も、特に病原体となりそうな何かが潜んでいる感じはしない」
「そういうの、識別眼でわかるもんなんですか?」
「ああ、少なくとも、食べるものに関しては信用できる」
キシリカ謹製の魔眼だもんな、そりゃ食べ物に関しては信用できるか。食って腹を壊したり病気になるものは一発か。
「ただ、どれもこんな感じで表示されるんだ、『非常に密度の高い魔力の篭もった美味しそうなトマトじゃ』とね」
識別眼で表示されるのって、口語なんだ。
「野菜だけじゃない。土も、水も、そうだ。非常に密度の高い魔力が篭もっている」
「……」
「ミリスでも、食べ物に密度の高い魔力が篭もっている、と出たことはある。でも、本当に稀だ。土にだって、水にだって、出たことはない」
魔力密度か。
そういえば、アイシャも言ってたな。俺の作った土で米を作ると、よく育つって。あれも、密度が高いからだったのだろうか。
「それで?」
「うん。それで、聞きたいんだが、魔大陸では、農作は盛んだったか?」
「魔大陸のスペルド族の生活は知りませんが、大陸には野菜類はほとんどありませんでした。なくはないですが、種類も乏しかったし、主食は肉でした」
「そうか、やっぱりな」
クリフはピッと指を立て、仮説を話し始めた。
「恐らく、魔力密度の高い土で野菜を作ると、魔力密度の高い農作物が育つんだ。もっとも、土といってもいろいろある。魔大陸の土は魔力密度は高そうだが、栄養がないから野菜が育つことは少ない」
「大森林でも、こうした病は見られないから、この森が特別なんだろう。ここの土は非常に高い栄養素を持っている上、土も水もどれも魔力が濃すぎるんだ。結果、育つのは、魔力密度の高い植物だ。もしかすると、魔物が一種類しかいないことが関係しているのかもしれないが、原因については置いておこう」
「といっても、これは本来なら、あまり問題はない。僕らは普段そんなことを気にせず生活しているしね。これが関係あるなら、もっと似たような症例が多くてもおかしくはないはずだ。つまり、本来なら、僕らは取り込んだ魔力をきちんと排出することができる。スペルド族だって、それは変わらないはずだ」
「だが、取り込み続けたらどうか。十年や二十年じゃない。百年、二百年と濃度の高い魔力を摂取し続けたらどうなるか……」
「この手の疫病にもかかわらず、感染者は大人が多く、子供に無事な者が多い」
と、そこまで説明して、クリフはこちらを向いた。
確かに、疫病の割に、子供には無事な者が多かった。
スペルド族はどれが老人かわかりにくいが、免疫力の問題ではないということだろうか。
「そして、僕らは知っているはずだ。取り込んだ魔力を、体から排出しきれなかった例を」
排出しきれなかった例……。
ナナホシのことか!
「じゃあ、これはドライン病だと?」
思い当たるフシはある。
初期症状は風邪に似ていて、発病と同時に倒れる。でも、それだったらオルステッドも……。
いや、ドライン病は古い病だ。もしかすると、オルステッドも治療法を、それどころか病名すらも知らなかった可能性もある。
うん。ループ中に患う奴がいなければ、オルステッドもわかるまい。俺のように、キシリカに聞くってことも難しいだろうし。
「でも、違う部分も多い。ルイジェルドさんは、この村に来てから、そう時間は経過していないはずだ」
「確かにな……でも、彼には冥王ビタの本体が憑依していたんだろう? もしかすると、そのせいかもしれない。何にせよ、試してみる価値はあるだろう?」
クリフはそう言って、バックパックの中から、一つの箱を取り出した。
箱の中には、様々な葉や種のようなものが、ギッシリと詰まっていた。
クリフはそのうちの一つを取り出す。乾燥してはいるが、ソーカス草だ。
「こんなこともあろうかと、ちょっともらっておいたんだ」
用意がいいな。
「さらに、これも使う」
クリフが取り出したのは、箱の隅にあった赤い実だ。
「それは?」
「毒薬のもとになるものだ。体内の魔力を淀ませる」
「毒薬……ですか?」
「ああ。毒といっても、魔術師に飲ませることで、魔術を使わせなくする程度のものだ」
俺が飲んだら文字通り致命的だが……そんなものを飲ませて大丈夫なのだろうか。
「識別眼によると、大昔にはソーカス茶と一緒に飲んでいたものらしい。『ソーカス茶の働きを良くする、茶請けにもよく、程よい酩酊感がある』と書いてある」
つまり、キシリカ判定では毒ではない、と。
「ただ、問題は……今、スペルド族にこれらを飲ませた場合、どうなるかわからないってことだ」
「……」
「僕の見立てだと、これで治る。けど、もしかすると逆効果かもしれない」
多分、大丈夫……とは思うが、もしかすると病気が悪化して、死に至る可能性もある。
何も保証がない。
「まぁ、考えても仕方がない。聞いてみよう」
クリフは一瞬の逡巡の後、そう言った。
そして、思い切りよく診療所内に向けて、大声を張り上げた。
「君たちの病気に対し、一つの薬を試したい! 飲んでもいいという者はいるか!」
「あ、ちょ、クリフ先輩!」
クリフの言葉で、診療所内がシンと静まり返った。
クリフを見て、クリフの服を見て、顔を青ざめさせたり、露骨に目を逸らす者もいる。
「一人でいい! 飲めば治る保証はない!」
効果を見たいなら全員に飲ませる必要はない。
一人でいい。だが、その言葉に応える者はいない。
「ミリス教は、信用できん……」
誰かがぽつりとそう言った。
見ると、族長会議にもいた男だった。リーダー格がこれでは、さすがに無理か。
しかし、どうする? 無理やり飲ませるわけにもいかないが……。
「俺が、飲む……」
手を挙げる者がいた。
彼はよろよろと体を起こし、鋭い目でこちらを見ていた。その上体を支えているのは、ノルン。
「ルイジェルドさん、目が覚めたんですか?」
「あ、はい。兄さん、さっき目が覚めて……」
俺の問いに答えたのはノルンだ。
しかし、その声をかき消すように、周囲から声が上がった。
「ルイジェルド、お前はミリス教の者を信じるのか?」
「戦役の後、我らを最も追い立てたのが誰か、貴様も知っているはずだ!」
主に、スペルド族の若者の発言である。
さらに、それに釣られるように、医師団も口を挟んだ。
「そんなわけのわからんものをいきなり飲ませるなど、聞いたこともない!」
「君、医療術はちゃんと学んだのかね!?」
医師団の不安が周囲に伝播したのか、沈黙を保っていたスペルド族からも、文句が漏れ始める。
わけのわからない薬。それも、ミリス教団の服を着た者が持ってきたもの。
不安を口にする者、怒りを露わにする者。診療所に、混乱が広がっていく。
「全滅したいのか!」
ルイジェルドの一喝は、診療所内に再び静寂をもたらした。
文句を言っていた者は、青い顔をして黙った。不安に思っていた者も、顔を伏せた。
言い放ったルイジェルドは、ゴホゴホと咳き込み、ノルンに背を撫でられていたが。
「この男はルーデウスが連れてきた。俺はルーデウスを信用している。文句は、俺が死んでから言え……」
静かなその言葉に、異を挟む者はいない。
ルイジェルド・スペルディアという男の存在が、どれだけこの村で大きいか、それがわかる光景だった。
「よし、じゃあ、ルイジェルドさん。あんたに薬を飲んでもらう。先に言っておくが、悪化して、死ぬ可能性もある」
「いい、俺はもう十分生きた。死んでも惜しくない」
いや、俺は惜しむよ。スペルド族っていうか、ルイジェルドのためにやってんだし。
ほら、ノルンだって「えー」って顔してる。同意見だ。
「ルイジェルドが飲むぐらいなら、俺が飲む」
静寂の中、一人の男が手を挙げた。
比較的症状が軽い若者だ。実は若者ではなく、年寄りかもしれないが。
「俺は魔大陸でルイジェルドに助けられた。あの時死んだ身の上ならば、もう怖いものはない」
その言葉を皮切りに、「俺も」と手を挙げる者が現れた。
何人も、何人もだ。
「ミリス教は信用できん。だが、ルイジェルドは我らの英雄だ。その英雄が決めたことならば従おう」
最終的には、族長までもが、手を挙げた。
そして、族長は静かな口調で言った。
「人族の若者よ、あなたに対する先の言葉、先の無礼は謝罪しよう。村を、救ってくれ」
「ああ、任せてくれ」
最後のその言葉を受けて、クリフは力強く頷いた。
★ ★ ★
赤い実とソーカス茶を飲んだ後、ルイジェルドたちは眠ってしまった。
少なくとも、飲んだ途端に容態が急変して死ぬ、ということはなさそうだ。
結果は、明日出る……らしい。
さすがに、ソーカス茶で全て解決、ってことはないと思う。だが、少しでも改善してほしい。そう思いつつも、ひとまず日も暮れてしまったため、今日は休むことにした。
泊まる場所はルイジェルドの家。なぜか、自然とそこに足が向いてしまった。
ルイジェルドの許可は取っていないが、ここに泊まりたかった。
「……」
ノルンは、ルイジェルドのそばにいたいようだったが、さすがに寝ていると何もできないようで、俺についてきた。
現在、俺とノルンは囲炉裏を挟んで座っている。
会話はない。音といえば二つだけ。
薪の燃える、パチパチという音。囲炉裏に設置した鍋の中の湯が沸騰するゴボゴボという音。
鍋の中には、医師団の持ってきた芋と肉が入っている。
おそらく大丈夫、とクリフに聞いてはいたものの、やはり、病気の原因かもしれない村の食料を食べる気にはなれない。
「兄さん、ルイジェルドさん、治りますよね?」
ぽつりとノルンがそう言った。不安なんだろう。俺だって不安だ。
「ああ、治るよ」
「本当ですか?」
「俺の知る限り、クリフは、やると断言したことは、必ずやり遂げてきた。だから、明日は無理かもしれないけど、いつか治してくれるよ」
「それまで、ルイジェルドさんは、生きていますか……?」
「大丈夫だ。お前も聞いたかもしれないけど、ルイジェルドはラプラス戦役の時に、千を超す軍勢に囲まれても生き延びたんだ。こんな所では、死なないよ」
今は、そう言うしかない。
「不安です……」
ノルンはそう言って、膝を抱えて顔を埋めてしまった。
暗い空気だ。
具材が煮えるまで、まだ少し時間がある。どうしても明るくしなきゃいけないってこともないが、しかし、落ち込んでいても意味はない。
今日はもう、食べて、寝るだけだ。せめて、食事が喉を通り、よく眠れるように、気を休めておきたい。
「そういえば、ノルン、学校の方はいいのか?」
そう聞くと、ノルンは顔を半分だけ上げた。
「……学校は、もう卒業しました」
「それは、なんていうか……その、見に行けなくて、ごめんな」
やっぱり、卒業式も終わってたか。
誰も教えてくれなかった。
でも、考えてみれば、そうか、シルフィが子供を生んで……だから、もう卒業の時期だったか。
ロキシーあたり、教えてくれればいいのに……いやまぁ、こんなタイミングで言われても困るだけなんだけど。
「別に、見に来なくてもいいです」
いや、でもノルンの卒業式……そんな大事なイベントを見逃すなんて。
天国のパウロになんて言えばいいのか……。
「首席ってわけでもないですし……」
「でも、生徒会長だったし、スピーチぐらいはしたんだろう?」
「そりゃ、挨拶はしましたよ。でも、途中で噛んじゃったし、壇上から降りる時に転びそうになるし、さんざんでした」
目に浮かぶ。
スピーチの途中で噛んで、取り繕うも内心は大慌てで、せめて颯爽と去ろうとして階段から足を踏み外し、しかし転ばずになんとか持ちこたえた姿。
見たかった。ノルンは苦々しい顔をしているが、ビデオに撮って墓前に供えたかった。
「そういえば、卒業の前に何かイベントをやるって言ってたよな。あれは結局、何をやったんだ?」
「……クリフ先輩が卒業した年に、兄さんがいろんな人と決闘していたじゃないですか。あれの真似をして、闘技大会を開きました」
「闘技大会! そりゃ面白そうだ。けど、危ないんじゃないのか?」
「危険はなるべく、少なくしようとはしました。ルール上、殺すのはダメにして、学校の聖級の治癒魔法陣を貸してもらって、治癒魔術師を近くにおいて、先生方には、何枚も治癒魔術のスクロールを用意してもらって。その上で、参加者には誓約書も書いてもらいました。だから、怪我人は出ましたけど、死亡者はゼロです」
そりゃ凄いな。
魔法大学の卒業生レベルともなれば、互いに殺傷能力の高い魔術も使えるはずだ。そんな中で、死亡者ゼロ。運がよかったのもあるだろうが、きちんとした体制を作ったお陰だろう。
「見たかったな、俺も」
「兄さんから見たら、お遊戯みたいなもんだと思います」
「でも、大会ってのはやっぱり心躍るもんさ」
前世で引きこもっていた頃、ネトゲなんかのオンライン大会に何度か参加したことがある。
残念ながらさしたる結果は残せなかったが、しかしああいう空気ってのは、見てるだけでもいいものだ。
「そういえば、優勝賞品とかは用意したのか?」
「……用意、しました」
そう言うと、ノルンは口を尖らせた。
「生徒会の皆でお金を出し合って、花束と賞状と、魔術杖を用意したんです」
花束と賞状と魔術杖。
魔術杖のランクにもよるが、限られた予算の中で奮発したと言えよう。
「なのにリミィが、参加者に男の人が多いと見るやいなや、『優勝者には、ノルン会長からの熱いベーゼをプレゼントでぇーす!』なんて言い出して」
「えっ!」
「すごく盛り上がって、引くに引けなくなって……」
なにそれ、ノルンのキスがもらえる大会?
そんなのよくないよ。邪すぎる、けしからん。俺がその場にいたら、覆面つけて参加して滅茶苦茶に……いや、滅茶苦茶はまずいか。
「それで……したの?」
「…………ほっぺに」
ほっぺか。
ならセーフかな。しかし、ノルンは顔を真っ赤にして膝に顔を埋め、「うー」と唸りだした。ノルン的にはアウトなのだろうか。しばらくして、そのままこてんと横に倒れた。
「優勝した子、一生忘れませんって……私はもう忘れたいです」
「そうか、そいつ、名前はなんて言うんだ? できれば住所と電話番号も教えてくれると、謎の仮面魔術師がソイツを記憶ごとこの世から消してくれるかもしれない」
「でんわ?」
「なんでもないです」
ノルンは体を起こし、床に座り直した。体育座りではなく、女の子座りで。
「とにかく、大会は大成功だったわけだ」
「どうでしょう。私にしては、よくやったかなと思っていますけど、悪い部分はいくつもあって、反省ばっかりだった気がします」
「それを、大成功って言うんだ。よかったな」
「…………はい」
ノルンはちょっとだけ顔を赤らめて、頷いた。もう、あまり暗い顔はしていない。
「さて、そろそろ芋が煮えたかな。ノルンも食べるか?」
「いただきます」
お椀に肉と芋のスープを注ぎ、ノルンに渡す。
俺は自分にもよそった。今日は一日何も食ってないから、腹が減って死にそうだ。
ノルンは椀の中身をじっと見た後、口をつけたが、しばらくして、ぽつりと言った。
「兄さん」
「ん?」
「ありがとうございます」
「うん」
「でも、これ、美味しくないです」
そりゃごめん。
翌日。
俺とノルンは日が昇ると同時に、講堂の診療所へと出かけた。
「……」
心中にあるのは、ルイジェルドの安否だけだ。ひとまず、まずい芋汁のお陰でよく眠ることはできた。たとえダメでも、看病をする体力は確保できたはずだ。
ある程度覚悟を決めつつ、俺は診療所の扉を開いた。
「!」
目に飛び込んできたのは、喧騒だった。
昨日までお通夜のようだった診療所の中が、活気にあふれているのだ。
いや、活気は言いすぎか。それほどのパワーはない。でも、少なくとも、昨日に比べて皆の顔色がいい。
「ルーデウス殿!」
俺の姿を見かけて、医師が走ってきた。
「ご覧ください。クリフ殿の作った薬で、皆が!」
効いた。
効いたのだ、ソーカス茶が。
「昨晩、あの薬湯を飲んだものが、唐突に便意を訴えだしたのです。看護師が厠へ連れていったところ、誰もが水色の下痢便をし始めて、その便が終わってしばらくしたら、急に元気を取り戻し始めたのです。重症だった者はまだ立てませんが、もう少しすれば、きっと立ち上がれるようになるでしょう!」
朝っぱらからうんこの話なんて……けど待て、水色の下痢便?
「今、薬湯を調整しつつ、皆に与えているところです。いやぁ、疑ったのが馬鹿馬鹿しい。あれが呪いをも打ち砕いた天才、クリフ・グリモルなのですね! おっと、こうしてはいられない。まだ職務がありますので、失礼します!」
医師は一方的にそれだけ告げて、患者の方へと走っていった。
呪いをも打ち砕いたって、そんな説明した憶えはないが、クリフが自分で名乗ったんだろうか。
それにしても、水色の下痢便。なんかちょっと引っかかるな。
なんだろう。水色、水色……。
「ルーデウス」
気づくと、目の前にでかい影があった。黒いヘルメットをかぶった、白い服の男。
「あ、オルステッド様」
「お前は、便を見たか?」
「……いえ、まだです」
そう言うと、オルステッドはやや身を屈め、俺の耳元で、小さくささやくように言った。
「あれは、冥王ビタの分体の死骸だ」
冥王ビタ。
その名前を聞いた瞬間、ふと、変な考えがよぎった。
もしかすると、もしかするとだが、疫病は、ドライン病ではなかったのではないだろうか。
冥王ビタ。
かの王は、分体を村中に分散させていたという。そして、病気の進行を食い止めていた。
俺はビタが麻痺させているだけで、疫病は放置されていたと思ったが……もしかするとだが、とっくにビタは、疫病を完治させていたのではなかろうか。
ただ脅すため、分体を使って、村人の体調を悪く見せていただけ。自分が死んだ後は、最後の力を振り絞って、分体に仕事をさせ、そして腸かどこかに巣くっていた分体は、赤い実とソーカス茶で分解されて、押し流された……ってことか?
いや、これも憶測にすぎないが。
「お前の言う通り、あがいてみるものだな」
「……でしょう?」
まぁ、いいか。ひとまず、峠は越えた。冥王ビタも完全に倒した。そう考えておくとしよう。
「クリフ先輩は、どうしていますか?」
「奴は、一晩中患者の容態を見ていたが、明け方近くに眠りについた。今は、エリナリーゼ・ドラゴンロードと共に、近くの空き家にいるだろう」
そうか。頑張ってくれたものな。休んでもらおう。
起きたらそのままエリナリーゼと第二子の作成作業に入ってしまうかもしれないが。
「先ほど、ルイジェルド・スペルディアも目を覚ました」
「本当ですか!?」
「ああ、会ってくるといい」
「失礼します!」
俺は頭を下げ、診療所の奥へと向かった。
昨日、ルイジェルドの眠っていたところへと直行する。
ルイジェルドはいた。寝床で上半身を起こし、血色のいい顔で、飯を食っていた。
「ルイジェルドさん!」
ルイジェルドのところに到着した瞬間、ノルンが走り、ルイジェルドの腹のあたりに抱きついた。
「よかった……本当に、よかったです……」
ノルンは泣いていた。
泣き虫ノルンだ。ルイジェルドは困ったような顔をしつつ口元を拭い、食料の入ったお椀を脇において、ノルンの頭を撫でた。
俺はしばらく声を掛けず、その光景を見ていた。なんだか俺も泣きそうだ。
「……ルーデウス」
しばらくして、ルイジェルドが顔を上げた。
「ルイジェルドさん……もう、大丈夫なんですか?」
「ああ、まだ槍は振れんが、問題はない」
そうか。よかった……本当に、よかった……ノルンの真似ではないが、そんな気持ちしか出てこない。
「また、お前に世話になったな」
「……言いっこなしですよ。それに、まだ完治と決まったわけじゃないんです。油断しないでください」
「ああ」
俺と会話を始めると、ノルンがグズりながら、ルイジェルドの腹から離れて、両手で顔を隠しつつ、しゃくりあげ始めた。耳まで真っ赤だ。
「だが、先に言っておこう、ルーデウス」
「なんでしょう」
真面目な顔に少々の不安を覚える。
まだ、何かあるのか。今、このタイミングで衝撃の真実を告げられるのか。そう思って身構えた俺に、ルイジェルドは言った。
「完治した後、俺はお前の力となろう」
「……」
胸のうちから湧き上がるこの感覚はなんだろう。また、ルイジェルドと仲間になった。そんな事実に対する、高揚感だろうか。
嬉しい。ただ嬉しい。
「はい、よろしく、お願いします」
喉の奥からこみ上げる何かを呑み込み、目頭が熱くなるのを抑えて、俺は、手を差し伸べた。
「こちらこそ、よろしく頼む」
ルイジェルドの手は、温かく、そして力強かった。
間話「誰かにとっての誰か」
魔法大学を卒業し、毎日が暇だった。
一応、ジーナス教頭から、魔術ギルドに働きに来ないかと誘われてはいたものの、返事は保留にしてある。
もちろん興味はある。魔法大学の生徒会長を務めたということで、相応の待遇にしてくれるそうだし、何より自分のやってきたことが認められ、能力を求められるという経験はあまりなかったので、嬉しかった。
けれども、どこかに所属するなら、兄さんの許可が必要だった。
兄さんならきっと、好きにしなさいと言うだろうけれど……兄さんは今や立場のある人だ。私はよく知らないけど、いわゆる派閥争いとかもあると思う。もし、私が考えなしに魔術ギルドに入って、兄さんと敵対する派閥に所属してしまったら、きっと兄さんの迷惑になるだろう。
いろんな意味で、それは避けたかった。
だから今の私は宙ぶらりんだ。
いつも寂しそうにしているルーシーちゃんと遊んだり、家の手伝いをしたり。
昔だったら、こういう生活に焦りの一つも芽生えたかもしれない。
他の誰かと比べて、自分はダメだ、もっとなんとかしないとって思ったかもしれない。
何もしない日々に焦る気持ちがないと言えば、嘘になる。
けれど、実際に何もしていないわけではない。
今、家の中は空だ。
兄さんも、シルフィ姉さんも、ロキシー姉さんも、エリス姉さんも、それどころかアイシャもいない。
でも、兄さんの子供たちはいる。
下の子たちはまだ幼いし、ララちゃんにはレオが懐いていて、付きっきりで面倒を見てあげているけど、ルーシーちゃんは違う。
彼女は、いつも寂しそうにしていた。
時たま来るエリナリーゼさんがクライブ君を連れてくると、二人で楽しそうに遊ぶのだが、二人が帰ってしまうと、二階の窓から、玄関の方を寂しそうに見てたり、クローゼットの中で膝を抱えてぐすぐす泣いていたりしていた。
彼女は我慢しているのだ。
こんな小さな子供が我慢しなければいけないほど、兄さんの今の仕事は大変なのだろうか。
そう思うが、かつて、私が幼い頃、お父さんも大変な仕事をしていた。
今やらなければ、どんどん状況が悪くなっていくような仕事だ。
だから、きっと兄さんたちも、大変な状況なのだろうと思う。家族を大切にする兄さんが、自分の娘に寂しい思いをさせたいと思っているわけがないのだから。
私は詳しいことを聞かされていないけど、きっとそうだ。
とはいえ、私にはルーシーちゃんの気持ちもわかった。
私もまた、お父さんが帰ってこなくて寂しい思いをしていたから。
だから、彼女がそうやって寂しそうにしている時、積極的に遊んであげていた。
遊びといっても大したことはしてなくて、釣りに行ったり、大学に見学に行ったり、図書館で本を読んであげたり、町に買い物に行ったり、一緒に家事を手伝ったりと、その程度だ。
私自身、趣味といえる趣味が少ないので、どうしても遊びの幅は狭くなる。
けれども、ルーシーちゃんは喜んでくれて、最近はノルンお姉ちゃんと懐いてくれている。
特に、一緒にルーシーちゃん専用の釣り道具を作った時は喜んでくれて、毎日のように釣りに行こうとせがまれるようになってしまった。
町中ならまだしも、よく釣れるからと町の外の川までだ。
私も一応剣と魔術は使えるが、万が一の時に守りきれる自信はないから、大学の後輩で冒険者をやっている子に護衛を頼んだりしているが、彼らも暇ではないだろうし、なるべく頼りすぎたくはない。いや、もちろん依頼料は払っているし、依頼すれば、他をほっぽって引き受けてはくれるのだけど。
だから、そうやって町の外まで釣りに行くのは十日に一度とルーシーちゃんと約束した。
町の外まで出なければ大丈夫なので、魔法大学の敷地内にある池で釣りをさせてもらったりはするが……やはりそこで大物は狙えないのか、ルーシーちゃんはお気に召さない。
ともあれ、今日はその十日に一度の釣りの日。
私はルーシーちゃんを連れて川へ釣りにと行き、彼女は今までで一番大きな魚を釣った。
ルーシーちゃんは満面の笑みで、それを護衛の後輩たちに見せびらかし、場には微笑ましい空気が漂っていた。
★ ★ ★
連絡を受けたのは、そんな釣りの帰りのことだ。
ルーシーちゃんと「今度はもうちょっと上流の方に行ってみようか」なんて話しながら家の扉を開けたところ……。
家にクリフ先輩がいた。
学校を卒業し、ミリスに帰ったはずの、クリフ先輩が。
「あれ? クリフ先輩?」
「ああ、ノルンも帰ってきたか。ちょっとこっちに来るのに手間取ってな」
「え? あ、はい……でも、なんで……」
「聞いていないのか?」
クリフ先輩は怪訝そうな顔をすると、信じられないことを言った。
「スペルド族の村に疫病が蔓延していて、僕の助力が必要だそうだ」
それを聞いて、私の心臓がドクンと脈打った。
スペルド族がピンチであること、ルーデウスが各国に救援を求め、治癒術師や医者を呼び寄せたこと。クリフ先輩はその要請に応え、ミリス神聖国を説得し、自ら馳せ参じようとしていること。
そうしたことをクリフ先輩は説明してくれたが、私の頭には半分も入ってきていなかった。
「スペルド族の村が滅んだとしても、戦いに負けたことにはならないらしいが……ルーデウスの恩人も危ないそうだからな」
ルーデウスの恩人。そんな単語で、私の意識は急速に戻る。
「その、恩人の名前は……!?」
「ん? ああ、確か、ルイジェルド、だったか」
その名前を聞いて、また一気に血の気が引いていくのがわかった。
「危ない……ん、ですか? ルイジェルドさんが」
「……あ、そうか。前に聞いたな。君の恩人もまた彼だったか」
ルイジェルドさんが疫病で死にかけている。
そう聞かされ、私の思考は完全に止まってしまった。
脳裏によぎるのは、昔のことだ。
ルイジェルドさんがミリスでりんごをくれた時のこと、ミリスからシャリーアに連れてきてくれる時に、膝の上にのせてくれていろんな話をしてくれた時のこと……。
私が泣いて、グズって、旅が中断した時も、決して怒鳴らず優しくしてくれた、あの人が……。
「君も行くか? 何かの役には立てるだろう」
「ハイ! もちろ……」
もちろん行きますと、そう答えようとして、私はふと、足元を見た。
そこには二つの目があった。
不安そうな目が。怯えを含んだ目が。
「……っ!」
彼女は私と目が合うと、サッと目を逸らし、逃げるように走って部屋から出ていった。
それを追いかけることもできず、ただ無意識に引き留めようとしていたのか、手だけが伸びた。
何を掴むこともなく、手が虚空をさまよい、落ちる。
ややあって、私の口から返事が出た。
「……いえ、私は、ここに残ります」
「そうか……わかった」
クリフ先輩は何も聞かなかった。
いつもみたいに、私にどうすべきか、道を示してくれることはなかった。
「明日の朝には発つつもりだ。気が変わったら明日、オルステッドの事務所まで来てくれ」
クリフ先輩はそう言うと、リーリャさんに挨拶をして、家から出ていった。
エリナリーゼさんとクライブ君の面倒を見てくれたことのお礼をしに、わざわざ寄ってくれたらしい。
クリフ先輩を見送った後、私はルーシーちゃんを捜した。
二階に上がり、部屋を一つ一つ見て回った。
ルーシーちゃんはすぐに見つかった。こういう時、子供がどこに隠れるのかは、よく知っていた。
彼女はシルフィさんの部屋のベッドの隅で、膝を抱えて座っていた。
「……」
私は、彼女の隣に座った。無言で、何も言わずに。
こういう時は、何を言われても嫌だって、わかっているから。
「……」
しばらく、静かな時間が流れた。
一度だけ、リーリャさんがそーっと様子を見に来たが、私を見ると申し訳なさそうな顔で帰っていった。リーリャさんは、何ていうか、ちょっと子供の気持ちがわからない人だから、こういう時に自分が役に立たないと思っているのだろう。
私だって、自分以外の子供の気持ちなんて、そうそうわかるわけじゃないけど……。
なんて思いつつ、ただ私は座っていた。
「……ノルンお姉ちゃんも、いなくなっちゃうの?」
しばらくして、ぽつりとルーシーちゃんが呟いた。膝に顔を埋めたまま、泣きそうな声で。
「ううん。私はルーシーちゃんのそばにいるよ」
私はそう答えた。
本心だった。
そりゃあ、ルイジェルドさんが危ないと聞いて、駆けつけたい気持ちはある。
なんで兄さんは、私に知らせてくれなかったんだという憤りもある。
けれども同時に、自分が行ってもきっと何もできないという諦念と、だから兄さんは私には教えてくれなかったんだという納得と、それなら家でルーシーちゃんの面倒を見てあげるべきだという気持ちがあった。
うん。私は学校に通って少しは、人並みぐらいには、何かができるようになったけど、きっと兄さんが手こずるような事態が相手では、何もできない。でも、こうやってルーシーちゃんのそばにいてあげるぐらいはできるから。
「ルイジェルドって、だあれ?」
「ルーシーちゃんのパパが、とってもお世話になった人」
「お姉ちゃんは?」
「えっ」
「お姉ちゃん、ルイジェルドって聞いて、パパと同じ顔してた」
兄さんと同じ顔……というのが、どういう顔かはわからない。
けれど、兄さんのことだから、きっとすぐにでも助けなきゃとか、そういう感じの顔だろう。
「もちろん、お姉ちゃんもお世話になった人だよ」
「……」
「お姉ちゃんが、ルーシーちゃんと同じぐらいの頃、お父さん……ルーシーちゃんのお祖父ちゃん、ルーシーちゃんでいうところのパパとお別れしなきゃいけなくなったの」
「パパと……?」
「うん。それでお姉ちゃん、寂しんぼだから、ずっと泣いてたの。そしたらルイジェルドさんがそばに来てくれて、優しく頭を撫でてくれたり、遊びを教えてくれたり、退屈しないように昔の話とかしてくれて、泣き止ませてくれたんだ」
「……」
私は昔を思い出しつつ、ルイジェルドさんとの思い出を語った。
ミリスで出会った時のこと、再会した時のこと、ミリスからシャリーアまでの旅路のこと。
ルイジェルドさんは、ずっと優しかった。
お父さんとはまた違った温かさがあった。
思い返せば思い返すほど、ルイジェルドさんのところに駆けつけたくなる。
どうして、私は何もしないでいられるのだと、自分を罵倒したくなる。
でも、疫病で苦しんでいるところに行っても、私は何もできないと考え、泣きそうになってしまう。
「ルイジェルドさんは、うん、そんな人……」
途中、どう話していたのかもわからなくなってしまい、最後にはそう締めくくった。
ルーシーちゃんにわかるように言えたかどうかもわからない。
面白い話ではなかったかもしれない。私が満足するための話になってしまったから。
そう思ってルーシーちゃんを見ると、彼女は私の方をじっと見ていた。
彼女はとっくの昔に泣き止んでいて、その瞳には力が宿っていた。
「ルーシーちゃん……どうし──」
「あのね」
私の言葉を遮るように、ルーシーちゃんは言った。
「ルーシーね。赤ママに教わったの。誰かを守ることが大事だって、強くならなくちゃいけないって。だからね、あのね、ノルンお姉ちゃんがね」
子供ながらの、やや舌っ足らずで、理論立ててない言葉。
ルーシーちゃんは立ち上がった。
そして私の手を取った。
「ノルンお姉ちゃんがね、ぴんちの時はね、ルーシー絶対助けに行くよ」
「そう? ありがとう」
今の話から、どうしてそういう結論になるのかわからず、私は苦笑しながらお礼を言った。
「私もルーシーちゃんがピンチの時には、駆けつけるね」
「違うの!」
でも、違った。
ルーシーちゃんが言いたいことは、私が思っていることと、違った。
彼女は私の手を取っていたのではない。私の手を握ってくれていたのではない。
彼女は、私の手を、引っ張っていたのだ。
立たせようと、してくれていたのだ。
「ノルンお姉ちゃんは、ルイジェルドさんなの」
「……?」
「だからね、ノルンお姉ちゃんも、ルイジェルドさんのところに、行かなきゃダメなの」
そこで、私はようやく、ルーシーちゃんが言いたいことに気がついた。
彼女は、行けと言っているのだ。
ルイジェルドさんがピンチなら、助けに行くべきだと言っているのだ。
自分だったら行くから、寂しい時に寄り添ってくれた人を、見殺しにはしないから、と。
「でも、いいの? ルーシーちゃん、寂しいでしょ?」
「寂しくないよ。ノルンお姉ちゃんに、いっぱいいろんなこと教えてもらったもん。釣りだってできるし、ご本だって一人で読めるよ」
寂しくないはずがない。
そんなことはわかっている。
彼女は我慢すると言っているのだ。その本心を隠して。
自分の寂しさより、私の恩返しを優先してくれると、そう言っているのだ。
まだ小さくても、そういうことが決断できる子で、そういうことが言える子なのだ。
「ルーシーはノルンお姉ちゃんみたいになるし、お姉ちゃんは行かなきゃダメなの!」
行くべきではないと、自分では思う。
ルーシーちゃんを見ていてあげるべきだと、そう思う。
もう、彼女に我慢なんてさせるべきではないと、そう思う。
けどそうしたら、ルーシーちゃんはきっと、私とは、遊んでくれなくなるだろう。
今日のように、満面の笑みで釣った魚を自慢してくれたりはしないだろう。
なんとなく、そう思った。
「……」
私は立ち上がっていた。
ルーシーちゃんは私の後ろに回り、お尻のあたりを押す。
はやく家から出ていけと言わんばかりに。
「わかった。じゃあ、行くね」
「うん!」
ルーシーちゃんは、もう寂しそうな顔をしていなかった。
興奮して、発奮して、誇りに満ちたような顔をしていた。
★ ★ ★
こうして、私は家を追い出された。
準備ぐらいはさせてもらったけど、ほとんど着の身着のまま、クリフ先輩のところに行き、同行を願い出た。
クリフ先輩は当然の顔でそれを承諾すると、私の準備を手伝ってくれた。
そして、朝日と共にシャリーアを出て、オルステッド様の事務所へと向かった。
そこに、転移魔法陣があるから、と。
「……」
オルステッド様の事務所に入る直前、私はふと、町の方を見た。
日に照らされ、朝を迎えるシャリーアの町。
昔、ルイジェルドさんに連れられてこの町に来た時も、似たような光景を見た気がする。
そこでふと、ルーシーちゃんの言葉を思い出した。
『ノルンお姉ちゃんは、ルイジェルドさんなの』と。
「……」
どうやら私は、かつてルイジェルドさんにしてもらったのと同じことを、ルーシーちゃんにしてあげることができたらしい。
そう気づいて、目頭が熱くなった。
「ノルン、何をしているんだ? 行くぞ」
「あ、はい!」
クリフ先輩に急かされ、私は事務所の中へと入る。
帰ってきたら、またルーシーちゃんと釣りに行こうと、そう心に決めながら。
間話「ビタとラクサス」
粘族は、かつて魔獣と呼ばれていた。
魔大陸の奥地の森に棲む、スライム状の生物。
果物や生物の死骸に入り込み、それを食べた生物に寄生し共生する生物。それが粘族のもととなる生物だった。
しかし、ある時、ある個体が、ある人物に捕獲された。
その人物は、その個体に様々な実験を施した。
あらゆる生物に寄生させ、あらゆる物質を吸収させた。
結果、その個体は知性を手に入れた。
人物はその結果に満足すると、個体を野に戻した。
個体は群れに戻り、知性を他の個体へと分け与えた。
こうして、知性の低い寄生生物たちは知性を得て、粘族となった。
知性を持ったといっても、特別に強いわけでもなかった。
魔族の一種と認識されたのは、彼らが意思疎通が可能かつ、宿主の怪我や病気を治す力を持っていたからだ。
人魔大戦においては、魔王や魔王軍幹部の体に寄生し、あふれる知性で彼らをよく助けた。
その功績を讃えられ、魔界大帝キシリカ・キシリスより魔眼を賜り、魔王となった個体もいた。
だが、表立って歴史上に名を残すような傑物が現れるわけではなかった。
ビタと呼ばれる個体が生まれるまでは。
粘族は寄生生物だ。
強力な個体は寄生せずともある程度は生きていけるが、大抵の個体は宿主となる生物と共に生き、共に死ぬ。
寄生した相手に知識や助言を与えることはできるが、基本的には、意のままに操ることはできない。
その体を支配することはできるが、相手が無抵抗の状態のまま、何年もかけなければならない。
脳死状態の相手でもない限りは、その体を乗っ取るということは不可能だろう。
しかし、ビタは違った。
彼は生まれつき特別な個体だった。
寄生した宿主に幻術による夢を見せることができたのだ。
神子である。
彼は宿主に幻夢を見せ続けることができる。
つまり、宿主を何年も昏睡状態に陥らせたままにしておくことができた。
事実上の脳死状態に。
そう、つまりビタは粘族史上初めて、他の生物を支配できる存在だったのだ。
とはいえ、生まれた時から、彼に大いなる野望があったわけではない。
自分の力を自覚していたわけでもない。
彼が自分の力を知ったのは、好奇心旺盛だった幼少の彼が故郷の洞窟から冒険に出て、死にかけた時であった。
初めて見る『川』という存在。
彼は好奇心からそこに飛び込んでしまったのだが、水流で粘液がバラバラになり、核だけになってしまった。
粘族の体となる粘液は、粘族にとって非常に重要な器官だ。
手足であり口であり胃袋であり、身を守る皮膚でもある。
つまり、核だけの状態で他の生物の体内に入り込めたとしても、その生物の胃液から身を守ることができず、死ぬしかないのだ。
自分で動けず、身を守る粘液を持たず、死を待つだけだったビタ。
彼は海まで流され、魚の胃袋へと収まった。
意識を失いつつある彼は、ある夢を見た。
夢の中で、彼は神と出会った。
そして、神に助言を受け、水分から粘液を復活させる方法と、自分の本当の力を知った。
魚に悪夢を見せて自身を吐き出させ、海の水から粘液を作り出し、彼はいま一度魚に食われ、魚の意識と体を乗っ取った。
そこから、その魚をより大きな魚に食べさせ、大きな魚を鳥に食べさせ、鳥をある魔王に食べさせ、その体を乗っ取った。
全てヒトガミの助言に従ったものである。
ビタが支配したのは、ラプラス戦役でも活躍した、非常に強力な魔王だった。
そんな魔王を支配したビタは、思った。
自分は全知全能になったのだ、と。
増長しきったビタは、暴虐の限りを尽くした。
殺し、奪い、楽しんだ。
彼自身、破壊的な行動にここまで歓びを覚えるとは思っていなかった。
おそらくは、宿主の性質に引きずられたのだろう。
とはいえ、ビタの暴虐はそう長くは続かなかった。
ビタの行動を止めようとする者が現れたのだ。
その者の名はラクサス。
ビタの宿主である暴虐の魔王の配下であり、共にラプラス戦役を戦い抜いた戦友でもある男。
周囲から死神と呼ばれるほどに、力を持った男。
彼は長らく旅に出ていたが、暴虐の魔王のところに戻ってきて一言、こう言った。
「お前は誰だ? 彼をどこにやった?」
ビタは名乗った。
マヌケな魔王はもう死んだ。今は俺が魔王、いや、冥王ビタ様だ、と。
ラクサスは激怒し、ビタに戦いを挑んだ。
ビタは余裕で勝てると踏んだが、一瞬にしてラクサスに敗北した。
瞬殺だった。
ビタは宿主が死ぬ直前、核を別の者に移し、逃げ出した。
その宿主を支配し、一安心した。
魔王ほどではないが、そこそこに強い宿主。
とはいえ、魔王に宿ったことで、人間社会についていろいろ学ぶことができた。これ以上の宿主に乗り換えるための方法も、いくつか思いついていた。
全てを忘れて仕切り直し。
そう思っていたビタだったが、一つ失念していたことがあった。
ビタが宿主から離れれば、宿主は意識を取り戻す。
ラクサスによって瀕死の重傷を負わされた魔王もまた、例外ではなかった。
意識を取り戻した魔王とラクサスが何を話したのかはわからない。
だが、少なくとも魔王は己の無念をラクサスに伝えたのだろう。
ラクサスは追ってきた。ビタを追ってきた。どこまでも、追ってきた。
ビタがどんな宿主に寄生したとしても、いずれ見つけ出し、ビタの宿主を殺した。
どうやってビタを見分けているのか、それをビタが知ったのは、かなり後になってからだ。
ラクサスは自前の魔道具を用いて、粘族に寄生されている存在を見つけ出し、それを問答無用で殺していたのだ。
その問答無用ぶりたるや、ビタの生まれ故郷である粘族の洞窟に赴いて全滅させるほどであった。
その勢いは、ビタを恐怖させるに十分だった。
眠れる獅子を起こしてしまったのだと知った。
ビタは恐怖しつつも、だが、逃げているだけではなかった。
ラクサスを殺さなければ生き残れないと確信し、打開策に打って出た。
いかにラクサスとて、ビタに寄生され、幻術を見せられれば抗う術はない。
そう確信し、ラクサスが魔道具を使用した後の知人に寄生し、そこからラクサスに近づき、寄生しようと企んだ。
だが、その作戦は未遂で終わった。
ラクサスの知人は、ある魔道具を手にしていた。
『骨指輪』。
ラクサスが暴虐の魔王の遺骨から、ビタを殺すためだけに作った指輪。
ビタは死にかけた。
運が良かったのは、ラクサスの知人が、ラクサスよりもぬるかったことか。
「ラクサスには悪いけど、久しぶりに彼女に会えて嬉しかったんだ」
彼はそう言って、ビタを逃してくれた。
近くにいた犬にビタを寄生させ、ビタは敗北感と共に彼の元を去った。
ビタは、ラクサスから逃れることにした。
ラクサスの知人に寄生した時、ビタはラクサスがどれだけビタを追い詰めようとしているのか知った。
絶対に殺されると確信できた。
自分に、彼に対抗する策はなかった。
逃亡先は、ヒトガミが示唆してくれた。
犬からワイバーンへと寄生先を変え、魔大陸から出て、天大陸の迷宮、地獄に向かった。
そこはどんな人間であろうと生きて帰れないような、過酷な環境であったが、粘族であるビタには関係なかった。
迷宮の中で次々に寄生先を変え、最後には迷宮のガーディアンに寄生した。
ビタはそこで、ようやく安寧を手に入れた。
天大陸の地獄。
あまりに巨大な質量を持つ罠が幾重にも待ち受けるその場所は、人間が立ち入れるような場所ではなかった。
あの死神ラクサスであっても、最奥には到達できない場所だった。
そして、ビタもまた、ラクサスへの恐怖から、そこから出ようとは思わなかった。
ビタには時間だけが与えられた。
ガーディアンに夢を見せ、体を支配してからは、ただただ時間だけが流れた。
ビタが己の人生を振り返り、反省するに十分な時間だ。
ヒトガミからは、粘族がビタともう一人を除いて全滅したと聞いた。
ヒトガミはそれを教えてくれながら、ビタをあざ笑った。
君のせいで粘族が全滅しちゃったねと煽り、ゲラゲラ笑った。
自分の種族に思い入れがあったわけではないが、自分の愚かな行いが、そうした結果を招いたことを悔いた。
かつてのビタであれば、考えられないことである。
あるいはそう思えたのは、ガーディアンのもととなった魔物が、思慮深かったのかもしれない。
ともあれ、ビタは反省し、悠久の時をここで過ごそうと決意した。
ヒトガミが、もう一度声を掛けてくるまでは。
「やぁ、いつぞやは笑って悪かったね」
ビタは気にしていなかった。
むしろ、命を二度も救ってくれたヒトガミを快く迎えた。
「実は困っていてね、助けてほしいんだ」
ビタは逡巡した。
世話になったヒトガミが助けを求めているのだから、当然応えるべきだと思ったが、しかしラクサスは怖い。
「ラクサスはもう死んだから大丈夫さ」
ヒトガミはそう言って、ラクサスがいかに無念の、そして無様な死に様を遂げたのかを教えてくれた。
無念だか無様だかはビタにとってはどうでもよかったが、しかしビタはほっとして、ヒトガミに力を貸すことに決めた。
とはいえ、自分はここのガーディアンで、迷宮のボス部屋からは出られない。
かといって、長らく世話になったガーディアンを殺しても、自分で移動ができないため、部屋の外には出られない。
そう言ったところ、ヒトガミは、
「大丈夫。迎えを呼んであるから。作戦も彼に任せてあるから、ちゃんと言うことを聞くんだよ」
そう言って、消えていった。
しばらくして、ギースと名乗る魔族がやってきた。
よくぞここまで来たものだと思っていたが、どこかで見たことのある魔王に乗っていたので、納得した。
ビタはガーディアンを眠らせると、ガーディアンの口から吐き出させ、ギースの持つ瓶へと移動した。
「あんたがビタか。まぁよろしく頼むぜ。って、ちゃんと聞こえてんだよな?」
ギースは移動しながら、作戦の概要について教えてくれた。
簡潔に言えば、スペルド族の村に赴き、そこの住民全てを掌握した状態で、ルーデウスという男を待ち伏せる。
ルーデウスは必ず疫病を治そうとするだろうが、そこはうまく時間稼ぎをする。
ギースと仲間たちが突入するタイミングにあわせてルーデウスに乗り移り、行動不能にさせる。
それだけだ。
ただ、最後にギースは言った。
ぽつりと、まるでビタが聞いていないかのように。
「疫病だけどよ……なんつーか、俺は昔、ルイジェルドの旦那に命を救ってもらったんだ。戦いが終わった後に、一族が全滅ってのは、ちと忍びねえよな……」
ビタはその言葉に、自分のせいで全滅した粘族のことを思い出した。
思い入れなどなかったが、滅んでしまったことを悔やんだことを思い出した。
思い出しながら、もし治しても作戦が実行できるならそうしてやろう。
そう思う彼は、まだ知らなかった。
ラクサスの執念が、世界のどこかでまだ渦巻いていることを。
第八話「首都」
静かな家屋。
部屋の中央に置かれた囲炉裏では、鍋がコトコトと小刻みに揺れている。その前に座るのは、緑色の髪をした男。ルイジェルド。
俺は囲炉裏を挟んで、彼と向き合って座っていた。
「……」
会話はない。俺とルイジェルドの間には、ただ沈黙だけがあった。
話すことはなかった。否、話す隙はなかったというべきか。俺の神経は、今、全て、目の前にあるものに注がれていた。失敗は許されない。慎重に目の前のものを注視しつつ、俺は時が来るのを待った。
「!」
そして、時は来た。
俺はゆっくりと手を伸ばし……囲炉裏の火を消した。
だが、まだだ。慌ててはいけない。
俺はそのまま、十分ほど、動きを止めた。十分が経過し、俺はようやく、声を上げた。
「ルイジェルドさん、覚悟はいいですか」
「ああ、構わん」
その言葉を受け、脇に置いてあるものに手を伸ばす。
それは真っ白で、表面はザラザラとしていて、卵のような形をしていた……のようなも何も、鶏の卵である。
「……」
卵を割る、お椀にあける、箸で溶く。
俺はその一連の動作を、流れるようにやってみせた。さながら、生まれた時から習得していたかのように。
三つ子の魂百まで。
一度自転車に乗れるように訓練をしたら、何年経っても乗り方を忘れない。それと同じことだ。
否、あるいは俺は訓練すらしなかったかもしれない。生まれた時から、この動作を習得していたのかもしれない。すなわち、本能である。
卵は今、溶き放たれたのだ。
それをさらにもう一度繰り返す。溶かれた卵の入ったお椀が二つ。ひとまずそれはそのままに、俺は鍋の蓋へと手を伸ばした。
「……よし」
蓋を取り、中を見て、俺は頷いた。
しっかりと蒸らされた白米が、そこでクツクツと音を立てていた。部屋の中に、むわりと炊きたてのお米の匂いが広がる。口の中に生唾が湧いてきて、思わず唾を飲み込んだ。
そのまま米を掻きこみたい衝動に駆られるが、ぐっと我慢し、鍋の底から白米を優しくほぐした。
茶碗を手に取り、炊きたての白米を盛り付ける。
ちょうど一杯である。多すぎても、少なすぎてもいけない。
そして箸を取り、白米の真ん中に穴を開けた。その穴に、先ほど溶いたばかりの卵を流し込む。
白米がしっとりとした黄金色に染まる。
だが、これだけではない。
ここから先。この工程こそ、俺がこの世界に来てから今に至るまで、求めて止まないものだった。
脇に置いた小瓶を取る。小さく絞った注ぎ口から、ゆっくりと、黄金色の白米へとかける。
注ぎ口から出てきたのは、黒い液体だ。真っ黒で、一見すると毒にも見える液体。
醤油だ。
かける量は、一回り。二回りでもいいが、ひとまず一回り。それだけで、黄金色の白米の上が、黒く汚された。さながらプリンのような色合いに、俺の腹がグゥと鳴いた。
慌てるな、もうすぐ食べられる。
そのために、四合は炊いたのだ。それに、これから先も、好きな時、食べたい時に食べられるのだ。
だからこそ、一回目、この瞬間を大切にしよう。
「……こちらになります」
「ああ」
ルイジェルドへと渡す。
彼は茶碗を受け取り、俺を待った。俺はすぐに同じ動作を繰り返し、同じものを作った。
「では、いただきます」
手をあわせ、一礼。
茶碗を左手に、箸を右手に。口を大きく開けて、最初の一口を頬張った。
「──っ! ──ハフっ!」
これだ。この味だ。完璧だ。最高ではないが、しかしこれだ。俺は、この味をずっと追い求めてきたのだ。
「んくっ……ハッ……ハム……!」
一口、二口、三口。
言葉はない、食って、噛んで、飲み込んで、時に息を吐き出して、飯と一緒に息を吸い込んで。
ただただ、食い続けた。
「…………ごちそうさまでした」
気づけば、俺の茶碗は空になっていた。
幸せな時間は一瞬で終わる。食った後には満足感もあるが、物足りなさもあった。
だが、二杯目を食す前にと、目の前の男を見る。ルイジェルドもまた、無言で食べていた。
昔から食事中に喋る男ではなかったが、普段にもまして無口な気がする。いや、この場には俺とルイジェルドしかいない。俺が話しかけないのだから、会話がないのも仕方がない。
しかし、食べるペースが遅くはないだろうか。まだ半分も食べていないように見える。
いや、俺が早すぎたのか。
「あの、兄さん」
「うおっ!」
と、思ったら、いつの間にか、囲炉裏のすぐそばにノルンが座っていた。
「ノルン……いつの間に……」
「いつの間もなにも、今ですけど。なんか、兄さんが食べてる時……一応、声も掛けました」
そうか、食ってる途中だったか。
「何を食べてるんですか?」
「ご馳走だよ。ノルンも食べるか?」
「……じゃあ、もらいますけど」
ノルンはルイジェルドをチラリと見てから頷いた。
俺は即座に、茶碗にごはんをよそった。卵を溶いて、入れて、醤油をかける。全体の動作で十秒もかからないが、味に違いはないとハッキリ言える。
職人の技である。
「たんとお食べ」
「なんですかそれ……」
「俺のソウルフードだよ」
「…………いただきます」
ノルンは渡された茶碗を手に取ると、ゆっくりと食べ始めた。
「……」
俺は待つ。二人が食べ終えるのを、待つ。座して待つ。まだかな。早く。感想が欲しい。別になくてもいいけど、聞きたい。
「……」
と、思っているところで、ルイジェルドが食べ終えた。
「これが、旅の間、お前が言っていたものか」
「はい。どうでしたか?」
「うまかった」
感想は一言だけ。でも、俺は満足だった。あの懐かしい旅で求めたものを、旅の仲間と食べることができた。それが、満足だった。エリスがこの場にいないことだけが、残念だ。
「……ごちそうさまでした」
と、ノルンも食べ終えた。先ほど食べ始めたばかりなのに、随分と早い。
「どうだいノルン。これが、俺が家で言ってたやつさ」
「……結構、美味しかったです。なんか、今まで食べたことない味で……この調味料のお陰なんですか?」
「そうさ。醤油はね、万能の調味料なんだよ。何にかけても美味しいんだ」
「へぇ……」
ノルンも絶賛してくれた。また家で作ったら、食べさせてやろう。
今日は記念日だ。卵かけご飯がこの世界に誕生した、記念日だ。
「ただ、生で卵を食べるとお腹を壊すことがあるからね、最後に解毒魔術を掛けておこう」
「解毒が必要なものを、病み上がりの人に食べさせないでください!」
記念日に怒られてしまった。
あれから二日が経過した。
スペルド族は順調に回復に向かっている。
まだ横になっている者も多いが、症状の軽かった者は、普段通りの生活を送れるようになっている。俺もそれを受けて、村の片隅に暗室を作り、ソーカス草を植えることにした。疫病の原因が土にあったのか、それとも冥王ビタにあったのかは、未だわからないが、もし同じ症状になった時に、これがあるとないとでは、大きく違うだろう。
もし、冥王ビタに原因があったのなら、同じ症例が出たとしても、効かないはずだ。
その場合、スペルド族は住まいを変える必要があろう。
もっと森の浅い位置に住居を移すか、あるいは、野菜類だけでも地竜谷の村から仕入れるか。
どちらかになる。
どちらにせよ、この国の承認が必要になる。
アスラ王国に移住してもらうのもいいだろうが、スペルド族からは不安や反対が多かった。
長く住み慣れた土地を離れるのは嫌なようだ。その上、アスラ王国はミリス教の影響が強い。
クリフに対しては態度を軟化させたスペルド族だが、ミリス教団に対する恐怖心は、未だ根強く残っているのだろう。
というわけで、俺はビヘイリル王国と交渉すべく、首都ビヘイリルへと向かうことにした。
目的は二つ。
スペルド族を受け入れてもらうこと。その上で、討伐隊も解散してもらうこと。
スペルド族は、全体的にぶっきらぼうで、迫害が続いていたせいか少し閉鎖的ではあるが、気のいい種族だ。
ビヘイリル王国も少し難色を示すかもしれないが、いくらでも交渉の方法はある。
一番手っ取り早いのは、この村に来てもらうことか。
実際に来て、多少不器用ながらも気のいい連中や、無邪気な子供を見れば、これは安全だ……と、考えてくれると思いたいけど、どうだろうな。
ビヘイリル王国の視察団が子供を見て「子供まで生まれてるなんて、はやく駆除しないと!」と考えるかもしれない。さながらゴキブリに対するように。
しかし、そうなったらスペルド族に移住を薦めるのがいいだろう。
アスラ王国の北に住むとなれば、アリエルにまた負担を掛ける形になるが……いざとなったら俺が体で支払おう。
ま、大丈夫だとは思う。
スペルド族の子供たちは、なんだかんだ言って見目麗しく、可愛らしい。
そんな子供が、無邪気に動物の革で作ったボールのようなもので遊んでいるのを見て、頬が緩まない奴ばかりだとは思いたくない。
「というわけで、俺はビヘイリル王国に行ってきます」
「ああ」
「クリフは経過を見ると言っていますし、エリナリーゼも彼につくでしょう。ノルンはルイジェルドさんの看護を続けるようです。オルステッド様はいかがいたしますか?」
「ここに残ろう。クリフ・グリモルが疫病に関する調査を進めている。次回からは、治せるかもしれん」
オルステッドはそう言いつつ、飛んできたボールを、ボンと打ち返した。
一瞬だ。手の動きなんて、ほとんど見えない。しかし、ボールは緩やかな放物線を描いて、子供の手元にすぽっと収まった。
「交渉であれば、俺が行く必要はあるまい」
「ですね。いくら呪い封じのヘルメットがあるとはいっても……」
再び飛んでくるボール。ボンと、またボールが打ち返された。
「嫌悪の呪いが完全に消えたわけではないですからね」
「ああ」
またボールが打ち返される。
「しかし、いざとなったらお出ましをお願いします。呪いがあるとしても、姿を見せれば畏怖させることも可能かと思いますので」
「いいだろう」
また、ボンと。
「やめさせますか?」
ボールの飛んでくる方向を見ると、スペルド族の子供たちが、オルステッドに向かって次々とボールを投げているところだった。
その目にあるのは敵意というより、好奇心だ。なんか変な奴がいるから、ボールをぶつけてみよう、みたいな。もしヘルメットがなければ、投げるのはボールじゃなくて石だろうが……。
しかし、ボールが気持ちよく手元に返ってくるせいか、いやに楽しそうだ。
「問題ない。この程度なら、攻撃にもならん」
「あ、さいですか」
オルステッドも楽しいのだろうか。その表情はヘルメットで窺い知れないが、不機嫌さはない。
「楽しいですか?」
「…………悪くはない」
悪くないならいいか。
「じゃあ、行って参ります」
「ああ」
オルステッドに一言そう言って、俺はその場を離れた。
すでに、転移魔法陣の方では、シャンドルとドーガが待っている。俺が首都に行っている間に、シャンドルが第二都市で情報屋と接触する形となったからだ。
予定と違う形ではあるが、二手に分かれたほうが効率もいい、という判断だ。
俺には護衛としてドーガが付く。彼は今のところあまり役に立つ感じはしないが、いないよりはマシだろう。
「おっと」
途中、ルイジェルドとすれ違った。彼はノルンに肩を貸してもらいつつ、フラフラと歩いていた。
「ルイジェルドさん、もう歩いてもいいんですか?」
「少しはな」
ルイジェルドがそう言ったが、ノルンが厳しい顔をしているところを見ると、本当はまだダメなのだろう。
「ちょっと、ビヘイリル王国と交渉に行ってきます。もしかすると、国の兵士とかを連れてくるかもしれませんので、もしその時は、できる限り、歓迎してくれると助かります」
「わかった、族長に伝えておこう」
ルイジェルドはそう言いつつ、オルステッドの方を見ていた。
壁際に追い詰められたオルステッドに、次々とボールを投げる子供たち。
一見するとイジメの光景だが、なぜか微笑ましい。オルステッドがボールを的確に打ち返し、子供たちが笑っているからだろう。
「見かけによらんな」
「でしょう?」
俺は口元をにやけさせながらそう言って、その場を離れた。
★ ★ ★
オルステッドの事務所の魔法陣を経由して、ビヘイリル王国へ。
もちろん、事務所に寄った時に、通信石版の方も確認しておいた。
ザノバの方は特に問題なし。アイシャ+傭兵団も問題なし。シルフィの方は、まだ連絡なし。転移魔法陣の位置から見ても、やや遠いから仕方ない。
ロキシーの方からは、少し動きがあった。
なんでも、鬼ヶ島の方を調べてみたところ、鬼神が鬼ヶ島から外へと出ているらしい。
鬼神の現在地はわからない。ただ、鬼ヶ島の方では、鬼族が戦闘の準備をしている、という情報がまことしやかに流れているらしい。
あと、エリスがこちらの方に来たがっているそうだ。ルイジェルドに会いたいのだと。
そうだろうとも。だが、もう少し我慢してもらおう。
また、各地に対し、スペルド族の病気が回復に向かっているという旨を送っておいた。
数日で解決したせいか、お騒がせしてしまった感があるが、これも仕方あるまい。
それだけ済ませてから、俺はもう一度変装の指輪を装着し、ビヘイリル王国の首都へとつながる魔法陣に飛び乗った。
ザノバが転移魔法陣を設置したのは、首都から半日ほどの距離にある、森の中の廃村だった。
「師匠、お待ちしておりました」
ザノバは俺が到着した瞬間、頭を下げてきた。ジュリとジンジャーも一緒だ。
「待ってたのか?」
「はい。師匠がおいでになると聞いて、すぐに」
律儀なことだ。
「しかし、ちょうどいいでしょう。ここなら聞き耳を立てられる心配もなく、報告ができます」
「なるほど。じゃあ、報告を聞こうか」
「といっても、大した成果はありませんでしたが」
ザノバはそう前置きをして、今までの行動を教えてくれた。
まず、首都に到着した彼は、宿を取った後、この森に転移魔法陣を設置。その後、首都で情報収集を開始した。
そこで『国が討伐隊を集めている』という情報を取得。この時点で、一旦通信石版にて報告した。これは俺も見ている。その後、その討伐隊に北神が参加した、という情報を得たという。現在はギースの情報を探りつつも、北神を特定するための情報収集を続けている。
そんな状態だ。
「要するに、何もわかっていない状況か」
「申し訳ありません。北神カールマン三世は目立つと聞いていたがゆえ、すぐに見つかるかとも思ったのですが、これがなかなか……」
「いや、謝る必要はないさ」
まだビヘイリル王国に入ってから、そう日数が経過していない。
町に入り、魔法陣を設置して、行動開始。実働時間にして、七日程度だろう。結果を求めるには、早い時期だ。
「ここからだ、頑張ろうじゃないか」
「はい」
しかし、北神か。本当に討伐隊に参加しているというのなら、ぜひとも接触したい。
だが、目立つ人間が見つからないとなると、何か裏で動いている、と勘ぐってしまうな。
北神は、すでにギースの仲間となっている、とか。ギースはビタが破れた時点で作戦失敗、形勢不利と見て、北神を連れて撤退を始めたとか。ビタ自体が陽動だった可能性もある。結構、あっさり倒せたし。
そもそも、ビタの情報がギースまで届いていない可能性もあるが、それは楽観視しすぎだろうか。
まあ、もしそうだとしても、ルイジェルドを仲間にすることはできたのだ。それだけでも、ビヘイリル王国に来たことは、無駄じゃない。
「では師匠、参りましょうか。首都まで案内いたします」
「ああ、頼む」
何にせよ、やるべきことは変わらない。
そう思いつつ、俺は首都ビヘイリルへと向かった。
ビヘイリル王国の首都は、なんとなく、シーローン王国に似ていた。中央大陸における、中小国家の雰囲気だ。木材の豊富なこの国では、ほとんどの建物が建材に木を使用している。また、町の中にも木が多い。そのせいか、独特な雰囲気を醸し出していた。
俺が到着した時刻が夜だった、というのも関係しているだろう。この国では、夜になると道に大量の篝火を焚くのだ。
もっとも、それ以外は他の町となんら変わることはない。
入り口付近には行商人と宿屋。町の中心に行くにつれて、町人、貴族と家が豪華になっていき、中央には城がある。
城は、川の合流地点に建てられている。シーローンのカロン砦と似たような立地だな。さながら、墨俣一夜城だ。
さらに、城の裏手、川の向こう側には貧民街がある。
どこにでもある町の配置だ。
「さて、王様に会わないとな」
「しかし、謁見できますかな。このような地では、アリエル陛下のご威光も届きませぬが……」
「うーん」
宿の一室にて、ザノバらと顔を合わせて考える。
ザノバが泊まっていたのは、冒険者向けではない、地方都市に住む貴族向けの高級宿だった。さすが、稼いでいる奴は違うというべきか。それとも、目立つことは慎めと言っておくべきか。言うほど目立ってはいないようだが。
「討伐隊にまぎれ込む、というのはいかがですか? 出発式の時には挨拶もするでしょうし、そこで強引にでも近づけば、確実に謁見はできるかと」
「それじゃ遅い。国だって、準備が完全に終わって、さぁスタート、ってところで待ったを掛けられたら、意地でも開始しようとするかもしれない」
物事には流れがある。
人を集めて、食料を集めて、武器を集めて。さぁ出発、という段階になって「ちょっと待って」と呼びかけても、止まらない可能性がある。こういうイベントの実行は国の威信にもつながるだろうし、中止にはしにくい。
「今の段階でも遅いかもしれないけど、準備が終わるまでには、スペルド族を攻める必要はないということを説明したい」
準備段階で内密にスペルド族の存在を教え、国側に安全を確かめさせ、討伐隊には、透明狼でも狩って帰ってもらう。無駄になった経費の何割かは、こっちで持ってもいいだろう。オルステッドに言えば、ある程度は出してくれるはずだ。
だから、討伐隊の出発前、できるだけ早い段階で王に会っておきたい。
そんな風に説明しつつ、方法を考える。
「ひとまず、一度は真正面からいってみよう。目立つかもしれないけど、龍神の配下を名乗り、アスラ王国や、場合によってはペルギウスの名前を出して……それでダメなら、もう一度別の方法を考えよう」
が、名案は浮かばず、結局、普通に謁見を求める形となった。
翌日。
朝食を終えた後、王城の近くへと出向いてみた。この城も、やはりシーローンに似ている。
大きさといい、雰囲気といい……でも木材のパーツが多いところは似ていないか。
いや、火に弱そうなところはザノバに似てるとも言える。
「多分、門前払いになるだろうな」
「アリエル陛下の名前を出せば、会うぐらいはしてくれると思いますが」
「ここはアスラ王国と国交がないからな……ちゃんと手順を踏まないと難しいだろう」
「踏まないのですか?」
「踏めないんだよ」
一国の王に会うのは、案外大変だ。今まで謁見というと、段階をかなり飛ばしてきたが、本来なら、国の貴族のコネを通してアポイントメントを取って、服や馬車を用意して、身分を証明するものを提出して、その上で城の文官に引き合わされ、信用できる人間かどうかを確認され、その後に、改めて王様の予定を調整して、ようやく謁見の間に進める。
そんな流れだ。基本的にはコネがなければ難しいのだ。
しかし、飛び入りでも絶対に無理ってことはない。
唐突にやってきた人物でも、重要人物となれば、国王が会いたいと思えば、謁見は叶うだろう。
もっとも、目立つとギースに見つかるから手段は限られる。
ビタを倒したわけだし、もう、とっくの昔に見つかっていると考えてもいいっちゃいいんだが。
「じゃあ、ザノバ、あまり一緒に行動して噂されてもアレだから、ここからは俺とドーガで」
「はい。ご武運を祈ります」
人通りの多いところでザノバと別れ、ドーガと共に、水路の前にある、衛兵の詰め所のようなところに近づいていく。
まだ朝も早いというのに、兵士たちは忙しそうに動き回っている。いきなり謁見したいだなんて言って、不審者として捕まらないだろうか。一応、格好は貴族っぽいものを装備してるが……大使館もない国だと、どんなものが正装なのかわからん。
あれ? 詰め所ではないのかな?
なんか、受付のようなところがある。
「失礼、よろしいですか?」
「何用だ?」
受付には、立派なカイゼルヒゲを蓄えた男が座っていた。
服装が文官っぽい貫頭衣であるところを見ると、兵士ではないようだ。まずはヒゲを褒めるべきか。
いや、何用だって言われてるんだから、用件を述べるべきだ。
「その、国王陛下への謁見を賜りたいのですが」
「いつだ?」
「え? ああ、今日か、できれば近い日付でお願いできると……」
自分で言っておいてなんだが、これほど胡散臭いやり方もない気がする。
まぁ、ダメ元だ。ダメなら、目立つことを承知でちゃんと段階を踏もう。
「……」
ヒゲの男は、俺をチラリと見てから、何やら紙の束のようなものをめくりだした。
「金貨一枚だ」
「え?」
「謁見には、金貨が一枚、必要だ」
心づけというやつだろうか。
「どうぞ」
「確かに……ん?」
ヒゲの男は、受け取った金貨を、しげしげと見た。
そして、カチンと歯で噛んだ。何か問題があっただろうか。俺が気づいてないだけで、ニセ金貨だったとか……。
「これは、アスラ金貨だな?」
「あ、はい。私、実はこういう者でして」
そう言いつつ、アリエルからもらった記章をチラリと見せてみる。
「……」
反応が悪い。ヒゲの男の疑わしそうな目。やはり、アスラ王国の威光は届いていないようだ。
これはダメかな。
と、思っていると、彼はしばらくして金貨を懐に入れた。その後、紙束をめくり何かを書き込み、紙を俺の方へと向けてきた。
「ここに名前と、謁見の内容を」
「あ、はい」
「本日、正午の鐘が鳴ったら、またここに来い」
「あ。はい。なにとぞよろしくお願いします」
反応は悪かったが、心づけが良かったのだろう。どうやら、取り次いではもらえるらしい。
金の力は偉大だ。
ひとまず、第一関門突破である。
正午。俺は謁見の間の控え室にいた。
「……」
俺は緊張していた。
今日中の謁見はない。そう思って王城にやってきたところ、受付にいたヒゲとは違う文官に案内され、控え室に入れられ、気づいたら今の状態だ。次は俺の番、もう少ししたら謁見の間に呼ばれるだろう。
第一関門を突破したと思ったらいきなりラスボスが待っていた、という雰囲気だ。
急展開すぎて、頭が真っ白になりかけている。
いや、落ち着こう。一応、控えの間で、別の謁見者から話は聞かせてもらった。
この国の王様は、正午から二時間の間だけ、誰とでも謁見するのだ。無論、誰とでも、といっても条件はある。まず、謁見をしたければ国にビヘイリル金貨を一枚、支払わなければならない。
その上、一人の持ち時間は十五分。一日に八人だけだ。
金さえ払えば誰でも、王に謁見し、意見や質問、お願いをすることができる。
本当に問題がある、と思ったら、陳情してこい、という国の意向だ。
金貨一枚というのは、村が総出で金をかき集めれば、ギリギリなんとかなる金額だそうだ。
くだらないやつを弾きつつ、本当の問題を探す。
ビヘイリル王国は、わりといい国に思える。
もっとも、本当の問題ってのは、金貨一枚も払えないところにありそうなもんだがね。
しかし、王に直接陳情できるとなれば、誰もが足を運ぶ。特に、王と接する機会のない浅ましい商人や、都市部の富豪が、自分の利権を求めてくだらないことを王に陳情に行くのだ。
とにかく、俺たちが行った時は、当然ながら満員であったらしい。
が、ちょうど運の良いことに、キャンセルが出たそうだ。
本当に、運が良い。きっと、ビヘイリル金貨の十倍は価値のある、アスラ金貨を出したことが、俺の運気を上昇させたのだろう。人は金に弱いから。
何はともあれ、とにかく良しだ。
謁見の時間は十五分。あまり長くはない。
落ち着こうじゃないか。要求はたった二つだ。自分が誰かを明らかにし、明るくハキハキと喋れば、未来も明るいってもんだ。
「ルーデウス殿、謁見の間へとお進みください」
なんて考えているうちに、呼ばれてしまった。
「じゃあ、行ってきます」
「……うす」
俺はドーガに一声掛け、深呼吸をしてから立ち上がり、控え室から出た。
案内役の文官の指示に従って廊下を移動し、謁見の間へと進んだ。
謁見の間は、まぁ、ランクCといったところだろう。さして広くもない間取り、飾り気のない絨毯、ややおざなりに立つ兵士八人。特に装飾らしいものもない。威厳は皆無だ。
もっとも、平民を毎日のように迎えていると考えれば、このぐらいがちょうどいいのかもしれない。
実務的と考えればおかしなところはない。星は三つで。
「陛下、お目にかかれて光栄です」
俺は謁見の間を進み、ちょうどいいところで膝をついて、頭を垂れた。
しばらくして、王から声が掛かった。
「礼儀正しき者よ。面を上げ、そちが何者で、何用で来たかを申すがよい」
言われるがまま、顔を上げる。
王は老いた男だった。先は長くなさそうで、疲れた感じを受ける。もしかすると、病を患っているのかもしれない。
「私の名はルーデウス・グレイラット。七大列強が二位『龍神』オルステッド様の一の配下にございます」
「おぉ……龍神とは……!」
王は驚きを隠せないようだった。
珍しく、好感触だ。この王は、七大列強が何か、知っているらしい。鬼族が近くにいるからだろうか。
「七大列強に連なる者が、儂に……いや、この国に何用だ?」
「はい、この度、帰らずの森にいる悪魔を討伐しようとしていると、聞き及びました。それを、中止していただきたいのです」
あっと、中止じゃなかったか。口が滑った。まあ、まあよし、まだ修正できる。
「中止だと?」
「はい」
「理由を言え」
「森に住んでいるのは、悪魔ではないからです」
そこで、俺はスペルド族のことを話した。
大昔、恐らくこの国が出来る前から、スペルド族が森に住んでいたこと。
スペルド族は世間一般に言われている悪魔の種族ではないということ。
当時、近くにあった村と契約し、透明な魔物を狩って、周囲に被害が出ないようにしていたこと。
しかし今回、村全体が疫病にかかり、透明な魔物が森の外に出てしまったこと。
今は龍神オルステッドの尽力によって疫病から立ち直り、元通り、透明な魔物を狩り始めたということ。
というのを、手短に、しかしいかにスペルド族が善良な種族かが伝わるように、説明する。
「かの悪魔の種族に、透明な魔物か……にわかには信じられんことだ」
「もちろん、そうおっしゃるだろうと思って、こちらにも用意があります。とはいえ、実際に見てもらわなければ説明のしようもありません。誰か、この国の方に実際に見てもらうというのは、いかがでしょうか」
スペルド族の知られざる生態をお見せしよう。
鍋で料理を作る女衆とか、透明な魔物を狩って生計を立てる男衆とか、龍神にボールをぶつけて遊ぶ勇敢な子供たちとか。
「うーむ……」
王は顎に手を当て、考えた。しかし、ゆっくりと首を振った。
「仮に本当だとしても、今さら中止にはできん、すでに国中より猛者が集まっておる」
「なら、地竜谷の奥には『森の民』が住んでいて、それは悪魔ではないので攻撃しないように、と通達してくださるだけでも構いません。透明な魔物は確かに存在しますので、それを狩っていただくだけでもいいかと……もし、金の問題であるなら、我々にも出せるものはございます」
「うーむ……」
もう一息。
「スペルド族は、古来より、人知れずこの国を守ってきました。ですが、今になって優遇しろと言いたいわけではありません。ただ国の片隅、邪魔にならない森に置いておいてくださればいいのです……それでもダメだというのなら、陛下がスペルド族を国内に置いておきたくない、というのなら、私の方で移住先を手配します」
「……そなたは、ずいぶんと、スペルド族の肩を持つのだな」
「幼い頃、命を救われましたので」
そう言うと、王は顎に手を当てた。
ちらりと視界の端を見ると、文官が時間を気にしている。そろそろ、十五分が経過するか。
くそ、案外短いな。
「お時間です。謁見者の方は退出してください」
「なにとぞ、ご一考を! 決して国に悪いようにはなりません!」
最後にもう一息、俺は一歩前に出て、頭を下げる。
「……ガリクソン、サンドル!」
王の号令で、二人の兵士が前に出る。カイゼルヒゲの兵士と、馬面の兵士。
これはつまみ出される流れだ。うまくトークできたと思ったが、やはり唐突すぎたか……。
今回は失敗だな。また改めて……。
「この者に付き、真実を確かめて参れ!」
「ハッ!」
王の一声で、俺は目を丸くした。
「よろしいのですか!?」
「兵は派遣する。だが、そなたの言葉が嘘であれば、予定通り、討伐隊を向かわせる」
ちょっと焦ったが、ひとまず兵士を派遣してくれる流れになっていたらしい。
頭から否定しないで、自分の目で確かめてから結論を出す。いい王様じゃないか。やはり、毎日陳情を聞いているからか、柔軟だ。ビヘイリル王国に対するオルステッドコーポレーションの信頼度がグンと上がったよ。やったね。
「お心遣い、感謝いたします!」
最後に、俺は頭を下げた。
第九話「三泊四日 スペルド村見学ツアー」
二人の兵士を連れて、スペルド族の村まで戻る。
兵士がいると転移魔法陣は使えないため、馬車での移動だ。
一日かけて第二都市イレルへと移動。そこで宿を取り、ついでにシャンドルも回収しようと思ったが、まだ情報屋を捕まえられていないらしく、経過報告に終わった。
ギースが発見できなかったことに落胆しつつも、先を急ぐ。
さらに一日をかけて、地竜谷の村へと移動。村には相変わらず人が多く、おばあさんも元気そうに傭兵たちを怒鳴り散らしていた。あれからまだ十日も経過してないから、当然っちゃ当然か。
おばあちゃんに「もう大丈夫だ。森の民は安全だ」と教えてあげたいところだが、まだ早い。
討伐隊が解散してからでも、遅くはない。
そう考えつつ、村で一泊して、朝から森へと入った。
「距離的には、朝に入れば、日没までには着けるはずです。もう少しのご辛抱を」
「ああ。さっさと連れていってくれ」
「……足が疲れてきましたよ」
二人の兵士。彼らはやや文句が多かった。
ガリクソン。
彼は、立派なカイゼルヒゲを蓄えており、受付にいた兵士によく似ていた。兄弟かもしれない。
ただ、声音や話し方は全然違った。ヒゲの兵士より、ガリクソンの方がかなりぶっきらぼうで、粗野な印象を受ける。
また、せっかちな性格のようで、とにかく待たされるのを嫌った。
宿屋では、彼らの分も俺が支払おうと思っていたら、俺が何かを言うより前に俺の分まで金を払っていたし、道中、焚き火の準備をするとわかった瞬間には薪集めを開始していた。
そのうえ魔物に襲われた時も、率先して前に出て戦おうとすらしていた。もちろん、魔物は全部俺が片付けた。怪我されても困るしな。
サンドル。
彼は、面長の顔をしている。悪く言えば馬面だ。もちろん、どっかのノコパラと違って馬そのものではない。
性格はガリクソンに比べて、ゆったりとしている。いつも穏やかな笑みをたたえており、魔物が出ても剣すら抜かない。かといってお喋りかというと、そういうわけでもない。
必要のない時は一言も喋らず、貝のように黙っている。
もっとも、好奇心は旺盛なようで、俺が無詠唱で魔術を使うと、驚いたようにあれこれと聞いてきた。
兵士の姿をしているが、もしかすると魔術師なのかもしれない。
「……」
サンドルは、俺に対して意味深な視線を送ってくることがあった。
値踏みをするような視線だ。監視でもされているような気分になるが、仕方ない。
いきなり現れ、討伐隊の中止を進言した男。くれぐれも油断せず、怪しい動きをしたらどうのこうのと、命令を受けているのだろう。
警戒して当然だし、俺自身、彼らが俺を見ていることはわかっている。
しかしなぜだろうか。妙なむず痒さを感じる。
不思議なのは、ドーガをあまり見ないことか。ドーガは見た目からして朴訥だし、他人を騙せるほどの頭があるとも思えない。そう見て取って、警戒外なのかもしれない。
「スペルド族は気のいい連中ですよ。少し、ぶっきらぼうなところはありますが、道理を弁えて接すれば、誠意のある対応をしてくれる。ついでに子供にも優しい」
そんな彼らに対し、道中はスペルド族のポジティブキャンペーンに努めた。
「……俺らは、子供じゃねえ」
「もちろんわかってます。でも大丈夫、ちゃんと歓迎してくださいますよ」
が、やはりスペルド族に対して懐疑的なようだ。
このままだと、スペルド族が歓迎してくれたとしても、出された食事に手をつけるかすら怪しい。
ついこの間まで疫病に侵されていた村、となれば、手も止まりかねない。
だが、幸いにして、今は医師団の持ってきた食料もある。アスラ王国産のものなら、口に合わないということもあるまい。
とにかく、今回はスペルド族の村を観光してもらうつもりで、気持ちよく過ごしてもらおう。
地竜の谷までやってきた。
目の前には、二つの橋がある。
「なんで橋が二つも並んでんだ?」
元からあった橋と、俺の架けた橋。
「古い橋が渡っている途中で落ちるといけないので、土魔術で橋を架け直したのです」
「ふーん……で、どっちを渡るんだ?」
「こちらを」
俺が作ったほうを示すと、ガリクソンは即座に飛び乗り、上を歩き始めた。
手すりもなく、高さもあるというのに迷いもなく、ずんずん進んでいく。
怖くないのだろうか。ないのだろうな。
俺がそれに続き、後ろからサンドルが、最後尾にドーガがつく。
「くれぐれも、落ちないように」
俺が先に渡っておけば、落ちかけても助けられるのだが、本当にガリクソンはせっかちだ。
まるでエリスみたいだな。もしかすると、ガリクソンは剣神流なのかもしれない。
「この下に地竜がいるのですか……」
振り返ると、サンドルがごくりと喉を鳴らしつつ、下を見ていた。
「サンドルさんはこの国の方なのに、ご存知ない?」
「知ってはいます、けど来たのは初めてです」
そりゃそうか。自国内の名所を、全て見ている奴なんて、そう多くはないだろう。
ましてここは観光スポットではない。兵士という立場で、入るなと言われている森に入ることなど、まずないだろう。アスラ王国の東に赤竜山脈があれども、登ったことのある者がほとんどいないのと一緒だ。
「ルーデウス殿は、龍神オルステッドの配下を名乗っていらしたが……地竜とも戦ったことが?」
「ありません」
「道中、素晴らしい魔術を見せておいででしたが、戦ったら勝てると思いますか?」
サンドルの声は震えていた。怯えているのかもしれない。
もし、この谷から地竜が登ってきて襲われたら、と。
谷の底は見えない。何が潜んでいて、何が飛び出てくるのかと、嫌な想像をふくらませてしまうのだろう。
「安心してください。群れの中に放り込まれたらどうなるかわかりませんが、一匹や二匹なら、恐らく大丈夫です」
「一匹や二匹なら……そうですか……」
「おい、早くしろ!」
そんな会話をしている間にも、ガリクソンは橋を渡り終え、待っていた。
せっかちな彼に追いつくべく、ペースを上げた。
「橋を渡り終えたら、スペルド族の村はすぐそこです」
そして、そこからが本番だ。
★ ★ ★
スペルド村見学ツアー。
ガイドはルーデウス・グレイラット。サポートはドーガ。
参加者は二名。
「スペルド族の村では、入り口は一つしかありません。そこは魔物が入り込まないように、二人の門番によって守られています。スペルド族は独自の感覚器官のお陰で、侵入者を見逃すことはありません。我々が近づいているのも、もちろん察知しております。しかし心配することはありません。彼らは非常に友好的な種族ですからね」
「……急にどうしたんだ?」
「説明してるんです」
ガリクソンが訝しむが、見るだけではわからないこともある。そして、わからないであろうことは、説明しなければならない。
そのためのガイド。そのためのプレゼンテーションだ。
「入り口が見えてきました。見えるでしょうか、あれがスペルド族です。こちらは森の中にいるというのに、顔がこちらに向いているのがわかるでしょう?」
村の方を指さすと、二人の体がこわばった。ほんとにほんとにスペルド族だ。
「……髪、本当に緑なんだな」
「その通り。しかし恐れることはありません。あなた方だって、肌が赤くて角の生えた鬼族と、仲良くしているでしょう? 髪の色がちょっと違うだけです。中身はみなさんと一緒です。もちろん、違う人間なので違う部分もありますが。和やかに接すれば良い気分になり、乱暴に接すれば嫌な気分になる。そこは一緒です。見ていてください」
言いながら、俺は門番の一人に近寄る。
まずはスペルド族が悪魔の種族などではないことを、わかってもらわなければならない。
にこやかに挨拶をして、にこやかに返事をもらう。人間関係の第一歩だ。
俺は片手を上げて、門番に声を掛けた。
「ジャンボ!」
「……?」
門番は手を上げかけ、訝しげな表情を作り、もう一人と顔を見合わせた。
失敬。少し、興が乗りすぎてしまったようだ。
「すいません。ビヘイリル王国の使者を連れてきました。彼らに村の中を案内したいので、通していただけるとありがたいのですが」
「……構わん。ルイジェルドから話は聞いている」
「ありがとうございます。ついでに、族長ともお話ができればと思いますが」
「わかった、伝えてこよう」
門番の若者の片方は村の奥へと走っていった。
「ではどうぞ」
彼が去るのを見届けた後、村の中へと入る。
ガリクソンとサンドルは、顔をこわばらせたまま、ゆっくりと中に入ってきた。やはり緊張しているのだろう。
俺は彼らを心配させないように、村の中をゆっくりと歩き始める。
「つい先日まで病気が流行っていましたが、人族に感染るものではありません」
本当に感染らないかどうかは、実はまだわかってない。
ソーカス茶を飲めば治るようだが、ビタが原因か、疫病が原因かも、わかっていない。
実はもう俺に感染していて、一ヶ月ぐらいしたらビヘイリル王国がパンデミックな事態に陥るかもしれないが……。
俺は知らない人族より、スペルド族を選ぶ。
「あちらが食事の準備。今の時間だと夕飯ですね。あっちが畑。向こうで行われているのが、獲物の解体です。今は視覚化していますが、あれが、見えない魔物の正体です。道中で襲われることはありませんでしたが、透明狼は死んでからしばらくすると、ああして姿を現すのです。何しろ透明な狼だ。スペルド族でなければ、満足に狩ることはできないでしょう」
族長たちにも準備があるだろうから、ざっと村を回りつつ、説明をしていく。
スペルド族の方から近づいてくることはない。
こちらも不用意に近づくことはないが……遠巻きに見ているけど、兵士たちの心象は悪くならないだろうか。
いや、こうして見ている分には、どこにでもある、穏やかな村の風景だ。大丈夫、問題ない。
「……ミリス教の者もいるのだな」
「それに長耳族も」
ふと見ると、クリフがエリナリーゼと何かを話していた。
紙束を指さしながら歩いているところを見ると、病気の原因を探っているのだろう。
「ああ、彼こそがスペルド族を病から救ってくれた立役者です」
「というと、ミリス教はスペルド族を認めていると?」
「ミリス教全てが、とはいきませんが、一部の派閥は魔族を容認しています。少なくとも、スペルド族を迎えたところで、ビヘイリル王国にミリス教からの軍隊が派遣されてくるということはありません」
「……」
「彼を紹介しましょうか?」
「いや、いい」
クリフに手を上げて挨拶をすると、彼は軽く会釈し、手を組んだ。
彼がこの村で平然と暮らしているということが、スペルド族の安全性への確認になったろうか。
「……」
ガリクソンとサンドルを見ると、まだ顔が険しい。もう一手欲しいか……。
「……あ、ご覧ください。向こうから来るのが、スペルド族の子供です」
ボールを持った子供たちは、キャーキャー言いながら俺たちの脇をすり抜けていく。
「尻尾が可愛らしいでしょう? あの尻尾が、スペルド族が皆持っている、白い槍となるのです。子供というのは、どこの世界でも無邪気で愛らしいものですね。そうは思いませんか?」
俺は子供の姿を目で追いながらそう言ってみたが、兵士二人が子供の背中を見送ることはなかった。
子供が嫌いなのか。いいや、違う。彼らは子供たちが走ってきた方向を見ていた。
そこには、白いコートを纏い、黒いヘルメットを装着した不気味な男が立っていた。
夕日の中、幽鬼のように佇むその姿は、まるで悪魔のようだ。
「…………っ!」
ガリクソンが息を呑みながら腰の剣に手をかけているのを見て、慌てて俺は彼の前に立った。
「あーっと……あれは、スペルド族ではありません。お気になさらずに」
「……スペルド族でないなら、誰なんだ?」
「あれこそが私の上司、龍神オルステッドです。確かにちょっと、こうして見ると不気味ですが、大丈夫、あの人は、この一連の事件が終われば、国から出ていきます。無害です。決して逗留はしませんから、ご安心ください」
「……そうか」
オルステッドは彼らを数秒見ていたが、ふいっと踵を返した。
同時に、兵士二人から緊張がとける。やはり、こうした状況では、オルステッドの呪いは悪い方向に作用するようだ。いや、むしろ、オルステッドを見たことで、スペルド族がただの村人だとハッキリわかるのではないだろうか。
「スペルド族は戦士が多いですが、ご覧のように、半数は力を持たない女と子供です。先入観を捨てて、純粋な目で見てみてください。彼らが悪魔に見えますか?」
オルステッドを見た直後にそう問いかける。
まるで、スペルド族よりオルステッドの方が悪魔チックだよね、と言いたい感じになってしまった。あとで謝っておこう。
「……見えませんね」
サンドルがぽつりと言った。
「龍神殿? は、ともかく、村自体はどこにでもある普通の村に見えます」
「そうだな。俺の故郷に似ている」
サンドルの言葉に、ガリクソンも同意した。
オルステッドが効果的だったかはわからないが、しかし、印象は悪くないようだ。
と、ふと見ると、先ほど走っていった門番の若者がこちらへと近づいてきた。
「族長がお会いになるそうです」
「わかりました。ではお二方、どうぞこちらへ。族長たちを紹介します」
どうやら、族長の準備が整ったようだ。
俺は良い手応えを感じつつ、二人を族長の待っている建物へと案内した。
族長は、やや大きめの家で俺たちを待っていた。
講堂はまだ診療所として使われているため、仮の措置だろう。
待っていたのは三人。族長会議にいた四人のうちの二人と、ルイジェルドである。残り二人は、まだ療養中のようだ。
ルイジェルドの隣にはノルンがいて、俺たちが入ってくると、予め用意しておいたらしきお茶を出してくれた。
我が妹ながら、よく気がつく子である。いや、昔はこんなことはできなかったな。
これが、学校教育の賜物なのだろうか。
「それで、ルーデウス殿よ、何を話せばよいのかな?」
「スペルド族の今までの歴史と、今の現状と、国に対する願いを」
「わかりました」
ささやかな歓迎もあってか、会談は比較的穏やかに進んだ。
昔のことと今のこと。そして、これからについて。誰にも害されず、穏やかに暮らしたい。そんなスペルド族のささやかな願いが、族長自らの口から兵士たちへと届けられる。
いつしか、兵士たちの間にも和やかな空気が流れていた。
村の平穏に、族長の柔らかな物腰。ルイジェルドも、努めて警戒を解いているように思えた。
「わかりました、陛下にはありのままを伝えます。安心してください、悪いようにはしません」
最終的にサンドルがそう言って、会談は終わった。
兵士たちには、今日一日泊まってもらい、翌日には帰ってもらうこととなる。
シャンドルとドーガのために貸与してもらった家に一泊。一応、俺とドーガも同じ家に泊まることにした。
ちなみに、ノルンはずっとルイジェルドの家に泊まっているらしい。
彼女は、ルイジェルドによく懐いている。パウロの面影でも追いかけているのだろうか。
「どうでしたか? スペルド族の村は」
俺は寝る前に、二人に対してそう聞いてみた。
「思った以上に収穫があったな」
「ええ」
兵士の二人は嬉しそうに頷き合っていた。
「スペルド族は悪魔の種族だと聞いてはいましたが……やはり自分の目で見ると違いますね」
「普通の村だ。飯もうまい」
「透明狼ですか? 見えない魔物というのは少し信用できませんが」
「だが、森のなかは異様に静かだった。首都近くの、定期的に狩りをしている森よりも静かだ」
「じゃあ、透明な魔物を狩っているというのは本当のことですかね」
二人は寝るまでに、あーだこーだと村のことを褒めていた。
スペルド村見学ツアーは、大成功だったと言えるだろう。
★ ★ ★
翌日、二人を首都まで送る流れになった。
二、三日滞在してもらえば、透明狼の実物も見せられると説明したのだが、
「いや、すぐにでも陛下に報告し、討伐隊を解散しなければ」
ということで、すぐに戻ることとなった。
まさにとんぼ返りである。ぜひとも転移魔法陣を使わせてやりたいが、ここはぐっと我慢だ。
急いては事を仕損ずるとも言う。変なところでミソがついてはかなわないからな。
そう思いつつ、俺はルイジェルドらに「彼らを送り届けてくる」と告げ、村を出た。
ひとまず、これでスペルド族の方はオッケーだろう。
あとは、ギースだな。北神と鬼神の行方も気になるところだ。シャンドルが情報収集をしてくれているが、現状は進展もなさそうだし、とっくにこの国を脱出して、別のところに行ってる可能性もある……もしそうなら、シルフィの方が心配だ。別のところが剣の聖地という可能性もある。
シルフィはどうなっただろうか。無事にニナと接触できたのならいいけど。
エリスも大丈夫かな。何か問題を起こしていないといいが。ロキシーが一緒にいるから大丈夫だと思うが、彼女も彼女でたまにポカをするから、少し心配だ。
アイシャたちは……なんとなく大丈夫そうな気がする。
「……帰りは一人なのか?」
あれこれと考えつつ歩いていると、俺の一歩前を歩くガリクソンが振り返り、そう言った。
「え?」
周囲を見渡してみる。
ガリクソン、サンドル、俺。
「あの騎士なら、我々が出た時にはいびきもかかずに寝ていましたよ」
サンドルの言葉でドーガがいないことに気づいた。
全然気づかなかった。図体がでかい割に、影が薄いんだよなぁ。ていうか、寝坊かよ……。
「ま、まぁ……安心してください。俺一人でも、十分に護衛として役には立つはずなので」
「……」
「……」
その言葉に、二人は顔を見合わせていた。
信用なさそうだ。けどまぁ、問題はないだろう。帰り道に、バッタリとギースが鬼神を連れてやってきた……なんてことにならない限りは。もっとも、そんなことになったら、ドーガはいてもいなくても変わるまい。
それでもまあ、一人になるなと言われていたところでもある。
二人に土砦の中で待ってもらって、一度ドーガか誰かを呼びに戻るか。第二都市イレルに向かう途中で、シャンドルと合流もできそうだが……。
「っと」
ふと気づくと、目の前が開けていた。
地竜の谷まで戻ってきたのだ。目の前には、二つの橋がある。
ちょうどいい。橋を渡った先なら、透明狼も少ないだろうし、比較的安全だ。あそこまで移動したら、そこで待っていてもらおう。
「先いくぜ」
ガリクソンが当然のように前を歩き、俺、サンドルと続く。
二人が落ちないように、後ろを歩いたほうがよかったかもしれない。そう思いつつ、いつ彼らが落ちてもいいように、注意しながら歩く。
「……」
ふと、ガリクソンが立ち止まった。
「どうしました?」
ガリクソンが振り返る。立派なヒゲに似合わぬ、無表情。
「よぉ、お前がやるか?」
その問いは、俺の後ろ、サンドルへと向けられたものだった。振り返ると、サンドルは肩をすくめた。
「いいえ、どうぞ、お譲りします」
なんだ。何の話だ?
「あの、お話なら、橋を渡ってからにしませんか?」
「ん? あぁ……」
ガリクソンはため息のようなものをつきながら、右手を左手首へと移動させた。
何をするのかと思っていると、手甲へと指をかけていた。そして、ゆっくりと、手袋から手を、引き抜いた。
「案外、バレないもんだな」
心臓が早鐘を打った。
ガリクソンの指に嵌まっているもの。それは、見覚えがある指輪だ。
「僕は、識別眼を持ったクリフ・グリモルを見た時にドキドキしましたよ。もし手袋をしていなければ、見破られていたのでしょうね」
振り返ると、サンドルもまた、手袋をはずしていた。
彼の指にも、同じ指輪があった。
指輪。
見覚えがある指輪。俺の指に嵌まっているものと同じ指輪。
アスラ王国に伝わる、顔を変える、魔道具。
「はーあぁ……くだらねぇ芝居で、肩が凝ったぜ」
ガリクソンがそう言いながら、指輪を外した。みるみるうちに、顔が変化していく。
ヒゲが消えて、四十代ぐらいの、中年男性の顔へと。口調によく似合う、獰猛な狼のような顔へと。まったくの別人に変化する。
「……ギースから伝言です。『魔道具は一つとは限らねぇ』と」
声に振り返る。サンドルの顔も変化している。もう馬面じゃない。やや幼さを残した、黒髪の少年。別人の顔。
「それにしても、残念です。オーベールを倒したというから期待していたのに……」
言葉が出ない。
口の中がカラカラだ。ガリクソンとサンドル、双方からすさまじい殺気が出ているのを感じる。
「『狭くて足場の悪いところなら、センパイは切り札を使えねぇ』というのはギースの言葉ですが。そんな場所に、のこのこと、しかも、前後を挟まれた状態で自分から足を踏み入れてしまうなんて──」
「誰だ……お前ら」
絞り出すように出た言葉。
予想はしていた気がする。していなかった気もする。
「剣神流のガル・ファリオンだ」
「北神カールマン三世アレクサンダー・ライバックです」
二人は同時に言葉を発した。
前剣神ガル・ファリオン。北神カールマン三世。
ギースの名を発した二人。
敵。この二人は、敵だ。
そう確信した瞬間、俺は腰へと手を伸ばした。魔導鎧『一式』の召喚スクロールのボタンを押す。
腕は動かなかった。
俺の目の前で、右腕が根元からボトリと落ちた。右腕は、橋にぶつかって、そのまま谷底へと落ちていった。
見ると、ガリクソン──ガル・ファリオンが剣を抜き放っていた。
斬られたのだ、と思った時にはもう遅い。
「あああぁぁぁぁ!」
遅れて激痛が走り、左手で傷口を押さえ……左手も動かない。違う、動かないのではない。
ないのだ。
視界の端で、俺の左腕も谷底へと落ちていくのが見えた。
「おっと、そんな顔してたのか。なかなか悪くないな。うん、さっきの面よりいいぜ」
腕が落ちたせいで、指輪の効果が切れたのか。ガルが俺の顔を見て笑っていた。
「『センパイの魔術は手から出るから、根元から切っちまえば魔術を止められるかもしれない』」
サンドルが補足するように言う。
両腕から血がダクダクと流れている。確かに出ない。魔術が出ない。
まるで魔術を放つ回路が、二の腕のあたりにあったかのように、魔術が出ない。
「でも、こんなことしなくても、勝てたんじゃないですか?」
「いいや、真正面からやってたらどうなるかわからんぜ。ギースがあれだけ警戒してたんだ」
「僕はそうは思いませんがね、あのドーガが前衛にいるならともかく、一人なら負ける気がしません」
腕から出ない。
そう悟った俺は、とっさに魔導鎧へと魔力を送り込んだ。
「おっ?」
脚部の出力を上げ、踵を返す。サンドルの方に向かって突進する。
攻撃の意図はない。狙うは脇、すり抜けて、スペルド族の村に──。
「──っとぉ」
背中に衝撃。
斬撃が放たれたのだとわかる。魔導鎧『二式改』をバターのように切り裂く斬撃、光の太刀が。
胴体を真っ二つにされた……気がしたが、しかしそれなら背中に衝撃があるのはおかしい。
そんな風に思った時、浮遊感が俺を襲った。
落ちている。
くるくると回る視界の中、崩れかけた橋の上からガルとアレクサンダーが覗いているのが見えた。
ああ、二式改の全力の踏み込みで、橋を踏み抜いてしまったのか。
そんな考えが頭をよぎる。
落ちていく。両手を失い、何もできぬまま、落ちていく。体にあるのは無力感。
そして、湧き上がるのは恐怖。
死ぬ。
その単語に心が支配された瞬間、身体を強い衝撃が襲い、意識が途切れた。
★ ★ ★
「あーあー……落ちちまった」
ルーデウスが落ちた谷を見下ろして、ガル・ファリオンはため息をついた。
アレクサンダーもまた、谷を見下ろし、訝しげに眉をひそめた。
「ガルさん、最後、手加減しました? 斬れてなかったように見えたんですが」
「バカ言え……これだよ」
ガルが持ち上げた剣は、根元からぽっきりと折れていた。
見る者が見ればわかるが、その剣はビヘイリル王国の正規兵に配布される、鋳造品である。
劣悪というほどではないが、少しでも剣をかじった人間なら、まず持たないものだ。
「あいつの鎧が想像以上に硬かったんだよ……」
もっとも、ガル・ファリオンは最高の剣技を持つ人間である。弘法筆を選ばず、という言葉もある通り、生身の人間を斬るのに、名剣を使う必要はない。これでも十分だと思っていたが、ルーデウスの鎧は想像以上の硬度であった。
特に、背中に切りつけた時には、今までにない硬い手応えを感じたほどに。
「愛剣を持ってこれりゃよかったんだが」
ガルはそう言いつつ、手元の剣を谷底へと捨てた。
「仕方ありませんよ。僕らが愛剣を持ってきたら、身元がバレてしまう」
アレクサンダーもそれを見下ろしつつ、肩をすくめた。彼の腰にあるのも、ビヘイリル王国の正規軍の剣である。無論、北神が持つようなものではない。
「で、どうする? 底まで下りてトドメ刺すか?」
「……うーん。両腕を失った後、魔術が使えないように見えたのが演技でないなら、大丈夫だと思いますがね」
「底には地竜の群れもいるしな」
「本人も、一匹や二匹ならまだしも、群れは無理だと言ってましたしね」
ルーデウスの言葉を思い出しつつ、アレクサンダーはそう結論づける。無論そこには、わざわざ下りて確かめるのが面倒だ、という思いもあった。なぜならば、彼らの目的は、ルーデウスを倒すことではないのだ。
「んじゃ、一番の障害を除去できたってことで……戻るか」
「オルステッドとの戦い。楽しみですね。あ、ルーデウスは譲ったのですから、オルステッドは譲ってくださいよ?」
二人は崩れた橋を渡り終え、戻っていく。
何事もなかったかのように雑談しながら、ビヘイリル王国の首都へと続く道を戻っていく。
「ああ? お前は列強の順位上げたいだけなんだから、俺が先でもいいだろうが」
「違いますよ。僕は列強の順位を上げたいんじゃなくて、英雄になりたいんです。父を超える英雄、父を超える北神カールマンにね」
「ハッ」
その姿を追う者は存在しない。
第三の眼を持つスペルド族の中にも、この場を見ている者はいない。疫病騒動の後、しばらく彼らは村から遠く離れることなく狩りを行っている。もっとも、仮にいたとしたら、この二人が橋で襲撃を掛けることはなかっただろう。
「抜け駆けはなしですよ。ちゃんと、作戦通りやろうじゃないですか。それが条件なんですから」
「チッ……まだるっこしい。ビタが先走ったんだから、もう作戦なんかどうでもいいじゃねえか」
そんな言葉を残しつつ、ガル・ファリオンとアレクサンダー・ライバックは森へと消えた。
谷に静寂が訪れた。
崩れた橋だけが残っていた。
ただ、静かに残っていた。
第十話「消失」
魔法都市シャリーア。
その郊外にある、一軒の事務所。
そこでは、一人の長耳族の少女が、通信石版に書かれたものを、紙へと書き写していた。
彼女の名はファリアスティア。
友人からはファリアあるいはティアと呼ばれているが、未だ会社のある役員からは名前も憶えられていない。そんな彼女であるが、社長が不在の今は、事務所の責任者である。
そしてルーデウスが知らないことであるが、ファリアスティアこそが受付のエルフ子ちゃんの本名である。
「えっと、シルフィエットさんから……『ニナさんは妊娠中で応援には来れない。今からビヘイリル王国に向かう』……と、これは転送したほうがいいのかな?」
彼女の仕事は、各地から集められた情報を紙に書き写し、ルーデウスかオルステッドが戻ってきた時にまとめて渡すことである。
しかしながら、緊急の情報を取得した場合は、独自の判断でそれを別の通信石版に転送することを許されていた。
もっとも、情報として取得されるものには「神」だの「王」といった単語が多く、一般的な小市民であった彼女が重要性を判別するのは難しかった。
「よし、転送しよう……」
ちなみに、彼女を選んだのは、アイシャである。
厳しい条件の中から、アイシャが厳選した人材である。
オルステッドの事務という、一見して誰にでもできそうで、しかし漏らしてはいけない情報が大量にあるであろう役職につけられた人材である。
ファリアの生まれはラノア王国の首都。両親は流れの冒険者だった長耳族の父と、町の豪商の娘だった人族の母。三人兄妹の一番下である。女児であったため、商人としての勉強はさせてもらえなかった。ゆえに商人になろうと思ったこともなかった。だが、幼い頃から商館をうろちょろと走り回り、海千山千の商人たちを見て育った。
そうした下地があったからだろう。
魔法大学に入学し、ふと取ってみた情報屋の授業で好成績を修められたのは。
そして、アイシャは目ざとくも、彼女のそんなところに目をつけた。
彼女以上に情報の取り扱いが上手な者はいたが、そこはオルステッドの見立てである。
オルステッドの経験上、彼女は敵に回る可能性が低い人物であった。
「これは、まずスペルド村の方に送ろう……あと、誰がいいだろう……。あ、エリスさんかな。ニナさんの妊娠を知ったら喜ぶかも?」
などとブツブツと呟きつつ、社長室の隅で通信石版と向き合う。
魔力結晶を片手に通信石版と格闘し、スペルド村、そして第三都市ヘイレルルへとメッセージを送るファリア。
そんな彼女の背中に、ふと影が差した。
「ふぅ、これで……ん?」
振り返るファリア。
彼女の視界に入ってきたのは、視界を埋めつくす巨体だった。
「…………あ……と、その、オルステッド様の、お客さま……ですか?」
ドラム缶のような胴体に、丸太のような腕。真っ赤な肌に、巨大な角。そして、鍋のような下顎と、そこから生えた二本の長い牙。
鬼族である。
「おめ、オルステッド、女か?」
「え?」
「……」
ファリアが言いよどんだ瞬間、鬼族がブンと腕を振った。
パガァンとでかい音がして、今しがたメッセージを送った通信石版が、吹っ飛んだ。
社長室の壁ごと。
「おめ、おでの、敵か? 戦うか?」
「あ……う……」
拳を握りしめてファリアへと突き出す鬼族。
ファリアの視界には、拳がいっぱいに広がった。
己の顔の二倍はありそうなでかい握り拳、手の甲と指に生えた毛は野卑で、指の付け根にある拳タコは暴力的だ。
そして、その威力は自分の背後、消滅した壁を見れば、すぐにわかる。拳で殴られれば自分がどうなるか、すぐにわかる。
「ち、ちが、ちがいます」
ファリアはへたり込みながら、やっとの思いでそう告げた。
腰から下が消滅してしまったかのように力が入らず、逃げることもできない。ただ頭の中にあるのは、死にたくないという気持ちだけ。
「んだば、出てろ。おで、戦わない奴、戦わない」
鬼族がニタリと笑って、ファリアへと手を伸ばした。
「ヒッ」
開かれ、伸ばされた手に、ファリアは身を縮こまらせた。
握り潰される、と思ったのはつかの間、鬼族は存外にやさしい手つきで、ファリアを持ち上げ、今しがた自分が開けた穴へ、ぽいっと放り投げた。
「あぁぁぁぁ!?」
ファリアはすさまじい速度で飛び、事務所の外へと放り出され、二度バウンドし、ゴロゴロと転がって止まった。
「……っ!」
全身に走る痛み。
逃げないと、逃げないと殺されると訴える脳。死にたくない、死にたくないと悲鳴を上げる体。言葉にならず、ただ「ヒッ、ヒッ」と情けない音をたてる喉。地面に打ちつけられて活でも入ったのか、震えながらも動く足で、生まれたての山羊のように立ち上がる。
数歩走り、転ぶ。
それを三度ほど繰り返した時、後ろから轟音が響き渡った。
振り返る。
「……あぁ」
ファリアの目に飛び込んできたのは、破壊される事務所だった。
赤い鬼が暴れ、木材が、石材が飛び散り、原形をなくしていく建物。
いつしかファリアは逃げることを忘れ、呆然とそれを見ていた。呆然と、ただ破壊され、瓦礫と変わる事務所を見ていた。
何もできなかった。
できるはずもなかった。
無力感に苛まれながら、ただ、見ていた。
あの赤い鬼が瓦礫から出てこないことを祈った。こちらに来ないことを祈った。音が消え、周囲が静まり返っても祈っていた。
轟音を聞きつけて何事かと見に来た者に保護されるまで、ずっと、祈っていた。
その日、ルーデウス・グレイラットの設置した全ての転移魔法陣は、光を失った。
★ ★ ★
その頃、ロキシーとエリスは森にいた。
第三都市ヘイレルルは港町である。
この世界の海は、基本的に海人族か、あるいは海魚族、合わせて海族のものである。決められた海域を除き、地上に住む生き物は通行すらも禁じられている。一部の港町の近辺で魚を取ることぐらいは許されているが、その領域から出ようものなら、海族がすぐにその船を沈めるだろう。
だが、このヘイレルルは、少々違う。
この第三都市ヘイレルルと、鬼ヶ島の間にある海は、ビヘイリル王国の領海である。
ビヘイリル王国の建国の際、このあたりの海魚族を一掃したことで、この海を手に入れたのだ。
以来、この第三都市ヘイレルルは漁業が盛んで、他では入手できないような海の幸を手に入れることができる。
……その、はずだった。
「……最近、魚ばかりで飽きてきたわね」
「そうですか? 美味しいじゃないですか」
そんな第三都市ヘイレルルの郊外には、柵に囲まれた森がある。侵入を禁止するというより、森から魔物が出てくるのを防ぐための柵である。その森の中を、二人は魚の干物を食べながら歩いていた。
「美味しいけど、しょっぱいわ。なんでこんなに塩をかけるのかしら」
「保存がきくようにするためでしょう」
「保存なら、ルーデウスがやってるみたいに、氷魔術でやればいいじゃない」
「誰も彼もが氷魔術を使えるわけじゃないですからね」
ぼやくエリスに、くすりと笑いながらロキシーが返した。エリスは基本的に食べ物に文句を言うタイプではないが、確かに塩漬けにした魚が多い。
海の幸が豊富な町、と聞いていた割には、保存食ばかりだ。
しかし、その原因はすでに判明している。
第三都市ヘイレルルから船で一日の距離にある、鬼ヶ島の存在だ。鬼ヶ島に住む男衆には、極めて優秀な漁師が揃っている。本来なら、その漁師が人族の漁師と協力して、鬼ヶ島近辺の魚を取る。
だが現在、鬼族の男衆は漁をしていない。
近い将来に戦争が起こるのだ、と言わんばかりに、戦いの準備を進めている。
その影響で、港町にはいつも以上に物資が少なくなっている。
なぜ鬼族が戦いの準備をしているのか、ということについても、きちんと情報を取得済みだ。
彼らは、討伐隊に参加するのだ。鬼族の長である、鬼神の号令で。
そして、鬼族の長、鬼神マルタは第二都市イレルにいる。
今はそれらの情報をルーデウスに伝えるべく、転移魔法陣を設置した洞窟へと向かっているのだ。
情報の発信がやや遅れてしまったが、前に通信石版を見た時は、スペルド族は回復に向かっている、交渉もうまくいった、という朗報がきていた。
あそこから、いきなり悪化しているということはないだろう。
「鬼族はビヘイリル王国を守る。その盟約は、今もまだ、生きているということなのでしょうが。しかし、それにしては首都でも、第三都市でもなく、第二都市というのが不可解ですね」
「どうせ、ギースが動いてるんでしょ」
「そうと決めつけるのは早いですよ。鬼神自らが、現地を視察しているだけかもしれません。まだ仲間になる可能性も残していますので、喧嘩腰はまずいでしょう」
そう言いつつも、ロキシーも少し、違和感は感じている。
普通ならこうはしないだろう、という動向が見られる。敵の策略なのか、それとも、単に状況が見えていないだけなのか……。
少なくとも、今は順調だ。
ルーデウスはスペルド族を救い。仲間とした。
こちらも情報に関しては、ギースのことは入手できないものの、鬼神の所在は掴んだ。
もしかすると、首都のザノバが北神の情報を得ているかもしれない。
根拠もなくそう考えられるほど、順調だ。
しかし、それとは関係なく、嫌な予感もしている。
これまた根拠のない、嫌な予感だ。
思えば、あの転移迷宮に閉じ込められた時も、こんな予感がしていた気がする。順調に見えて、何か大切なものが足りていない時の感じ。
というより、ロキシーは経験上、自分が順調に何かをしていると必ずつまずくことを知っていた。
「ねぇ、ロキシー。今回の報告が終わったら、そろそろルーデウスと合流しない?」
「エリスはそればかりですね」
「だって、はやくルイジェルドにも会いたいもの。ロキシーにも紹介してあげるわ!」
「いえ、一応、一度は会っているんですよ?」
ああ、嫌な予感はこのせいか、とロキシーは苦笑いした。
ルーデウスもエリスも、スペルド族に対してなんの恐怖も抱いていない。自分も頭では、スペルド族が聞いていた通りの悪魔の種族ではないと知っている。だが、どうしても、どうしても、体がこわばってしまう。
幼い頃に何度も聞かされた昔話のせいだろう。
しかし、会わなければならないだろう。
ルイジェルドはルーデウスとエリスの恩人で仲間。挨拶はしてしかるべき相手だ。
とはいえ、おのずと気が重くなる。
会って、話して、触れ合えば、また変わってくるのだろうが……そうならなかったら……と、思えばこそ、嫌な予感もするのだろう。
「でも、そうですね。せっかくなので、鬼神マルタが別の場所に移動しないように、私たちが第二都市に移動し、確保するのもいいでしょう」
ひとまず、第三都市で得られる情報は取得した。
なら、少しぐらい持ち場を離れ、スペルド村を見に行ってもいいだろう。ロキシーはそう考えつつ、転移魔法陣を設置した洞窟の前で足を止めた。
人が一人、屈んで通れる程度の大きさを持つ穴は、木の枝などでカモフラージュしてある。
元の持ち主である熊は、穴に近づいた時に襲ってきたためにエリスに斬られ、食べられた。
その時に、ちょうどいいとばかりに再利用したというわけだ。
入り口を覆い隠す木の枝をどかして、中に入る。
奥行きは二十メートルほどで、広さもそこそこ。ただ、獣臭さが鼻につく。
そして、最奥には、転移魔法陣と、通信石版が設置してある。
「……おや?」
が、その転移魔法陣が、少々おかしかった。
森の奥、魔力の濃い場所に作ったため、常時発動して青く光っているはずの転移魔法陣。
その光が、なぜか消えていたのだ。
「どういうこと?」
「ちょっと待ってください」
ロキシーは落ち着いて、魔法陣を調べた。
もしかすると、自分が何かミスをして、回路が不具合を起こしたのか……そう思いながら調べていくものの、少なくとも魔法陣に悪いところはないように見える。
大体、ついこの間までは問題なく動いていたはずなのだ。
入り口には、誰かが入った形跡もなかったし……。
「ねぇ、こっちも動いてないわ」
エリスの声で、ロキシーは顔を上げた。
エリスは、部屋の隅に設置した通信石版の前でしゃがみ込んでいた。
通信石版もまた、その光を失っていた。
慌てて駆け寄り、適当な文字列と共に魔力を送り込んでみるが、反応がない。
「……これは、いったいどういうことでしょうか」
ロキシーは呆然と立ち尽くした。
おかしい、転移魔法陣はともかく、通信石版はオルステッドが作ったものである。複製するのは手伝ったが、まさか不良品というわけでもあるまいに、そう簡単に動作を止めるものか……と。
「決まってるわ」
しかし、エリスは混乱していないようである。
何か原因を知っているのか。答えを聞くような気持ちで、ロキシーはエリスを見た。
エリスは腕を組み、足を広げて、通信石版を見下ろし、言った。
「何か起こったのよ!」
「そりゃ……何か起こらなければこんな……」
と、言いかけたところで、ロキシーは気づいた。
何か起こった。
どこで? ここではない。ここに人が来た気配はない。入り口はきちんと隠しておいたし、人や魔物が入った気配はない。
じゃあ、ここではないところ。転移魔法陣と、通信石版は、一つでは作動しない。
片方がなくなれば、もう片方は自動的に動作を停止する。
ここにあるものは異常がない。
じゃあ、もう片方は?
「魔法都市シャリーアで、何かが起こった……?」
ロキシーの脳裏に浮かんだのは、ララの顔だった。そして、次々と浮かんでくるのは、他の子供たちの顔。ルーシーに、アルスに、ジーク。そして、彼らの世話をしてくれている、リーリャと、ゼニス。
魔法都市シャリーアに異変があったとすれば、彼女らが……。
「……っ!」
慌てて立ち上がり、洞窟の外へと走りだそうとする。
ここの転移魔法陣が使えないとしても、他の魔法陣なら、と。
しかし、数歩でその足を止めた。もし自分が、敵側の人間で、魔法都市シャリーアの事務所を襲撃したとしたら。他の魔法陣をどうする? 放っておくことはしないだろう。
全て、破壊するはずだ。
「どうしよう……どうすれば……」
誰かが対応しているのか。前の通信によると、今、オルステッドは魔法都市シャリーアにいない。
何者かが襲撃してきたとして、守る者はいるのか……。
「ロキシー!」
エリスの叫ぶような声で、ロキシーはハッと我に返る。
「状況を説明して!」
「……転移魔法陣と、通信石版が停止しています。こちら側に問題はないので、魔法都市シャリーアにあるオルステッドの事務所が襲撃された可能性が高いです。同時に、私たちの家も襲撃された可能性もあります。今、家には誰も……」
「そう」
途中まで聞いて、エリスは立ち上がった。
「ルーデウスはこのことを知ってるの?」
「どうでしょう。知ってる可能性もありますし、知らない可能性もあります」
そこで、エリスは一旦、動きを止めた。
ポーズはそのまま。ただ、顎を引いて、口元だけをへの字の結んで。
しかし、すぐに顎を上げた。答えを見つけたかのように。
「家の方は、シルフィがいるから大丈夫ね!」
「えっ……でも彼女は剣の聖地に……」

「シルフィは言ったわ。ルーデウスが留守の時、家は自分が守るって。だから、大丈夫よ!」
「……」
そんな馬鹿な。いくらなんでも……。
と思い、ロキシーはふと、考えを改めた。転移魔法陣が使えなくなったのがどのタイミングかはわからない。だが、シルフィは、事務所の魔法陣を使用していない。
古い転移遺跡を使っての移動だ。
なら、ビヘイリル王国に来ることはできなくても、シャリーアに戻ることは可能だろう。
彼女に任せるほかない。
「……そうですね」
それと、ペルギウスの存在もある。
魔族であるロキシーに対しては厳しいが、彼はルーデウスと親しく、ジークにも名前をつけてくれた。
彼がどう動くかはわからないが、家にはペルギウスの配下を呼ぶための笛がある。
リーリャも、もし何かあればそれを使うだろう。
それだけじゃない。こういうこともあろうかと、ルーデウスはレオを召喚したのだ。これでレオが何もしないのであれば、召喚の意味がなくなる。
安心材料はまだまだある。
傭兵団の面々だってまだ残っているし、ザノバ商店の技師たちだっている。魔法大学の教師だって、いざとなれば助けてくれる。
そう考えると、やや安心できた。
するしかない。どのみち、今のロキシーとエリスに、他にできることはないのだから。
「じゃあ、行きましょっ!」
「そうですね、行きましょうか」
ここにいても、何もできない。
今、自分たちができることが何かなど、言われるまでもない。自分たちの持つ情報を、必要とする者に届けることだ。
無論、魔法都市シャリーアに住む子供たちがどうなったのか、心配する気持ちはある。ロキシーだけでなく、エリスとて、できることなら、走ってでも家に帰りたい衝動に駆られている。
その衝動を呑み込んで、二人は移動を開始した。
目的地は、ルーデウスがいるであろう場所。
スペルド族の村である。
★ ★ ★
一方その頃。
ザノバは焦っていた。
ルーデウスが戻ってこない。
討伐隊は着々とその準備を整え、出発は間近に迫っている。
ルーデウスは、意気揚々とスペルド族の村に二人の兵士を連れていった。師匠のことだ、あの手この手で二人の兵士を籠絡し、和平を結ぶだろうと思っていた。
だというのに、ルーデウスが戻ってこない。
交渉は決裂してしまったのか。通信石版には確かに、「説得に成功した」と書いてあった。
署名はオルステッドのものだったが、今さら疑う余地はない。
ならば、なぜ。
もしや、途中で刺客に襲われたのか。そうでなくとも、道中でトラブルに見舞われて、足止めをくっているのか。まさか、安心感から第二都市を観光している、などということはあるまい。
だが、このままでは、あと十日程度で討伐隊は出発してしまうだろう。
待つべきか。
それとも動くべきか。
迷ったザノバは、動くことにした。転移魔法陣を使い、スペルド族の村へと行き、真相を確かめるのだ。
そうと決めたザノバの行動は早かった。
ジンジャーとジュリを連れて宿を撤収。荷物を抱えて、転移魔法陣を設置した小屋へと急いだ。
「むぅ……これは……」
しかし、転移魔法陣、そして通信石版は光を失っていた。
ザノバはすぐに気づいた。これは、事務所に異変があったのだと。
ザノバは数秒ほど考えた後、結論を出した。
「ジンジャー!」
「ハッ!」
「スペルド族の村へと向かう!」
「了解しました! …………第二都市イレルは?」
「経由せぬ。敵陣があるとすれば、恐らくそこだ」
ザノバは、外に出た。そして、懐に手を入れ、即座にその中にあるものを取り出した。
笛である。龍の文様が模られた、金色の笛。
彼は間髪いれずに、その笛を吹き鳴らした。フーと、息が抜ける音。
だが、何も起こらない。
誰も来ない。
「くっ、やはり遠いか。ジンジャー! ジュリ! 近くに七大列強の石碑はあったか!」
「憶えがありません」
「見ていません!」
転移魔法陣を扱える人物は一人ではない。
ペルギウスに連絡を取り、助力を願おうと思ったが……。
「仕方ない! 道中、見つけたら知らせよ! すぐにスペルド族の村へと向かう!」
「はい!」
こうして、一同は着々とスペルド族の村へと集結していくのであった……。