第二十四章 青年期 決戦編 上
第一話「作戦会議」
オルステッドコーポレーション事務所の会議室。
そこで、俺はオルステッドの真正面に座っていた。両脇には、それぞれエリスとロキシー、シルフィ、ザノバといった面々もいる。
議事録の作成担当はロキシーである。
「──と、いうわけです」
俺は、今回の一連の発見について、まとめてオルステッドに報告した。
ギース、北神カールマン三世。
二人がビヘイリル王国で発見されたと聞いた時、オルステッドは上機嫌だった。口にこそ出さないが「でかした!」と言いたげな雰囲気があり、俺もノリノリで報告を続けた。
「……」
だが、その上機嫌は「ルイジェルドを発見した」と報告した瞬間、消えた。
はっきり、濁った。
「……あの、何か?」
怒っているような、そうでもないような。負のオーラのあふれる気配で、俺を睨んでいる。
今さら、睨まれたぐらいで足が震えることはないが、理由がわからないと、少し不安になる。
「……ビヘイリル王国には、鬼神もいるな」
鬼神のいるという鬼ヶ島は、ビヘイリル王国の東に位置している。
忘れてたわけでもない。確認だ。
「鬼神は敵に回りやすいという話でしたか?」
「今代の鬼神は、過去のループで一度、使徒になったこともある」
そうか。なら、ギースの居所が罠である可能性が増したかな……。
あるいは、ギースの目的が鬼神である可能性もあるか。そのへんは会議室で話していてもわからないことだ。直接行ってみないとな。
が、今いるのは会議室だ。会議室でできる会話は、会議室でしておこう。
「それも含めて、今後の方針について話したいと思います」
「ああ」
「ひとまずこれだけ材料が揃っているのですから、ビヘイリル王国に行かない、後回しにする、という選択肢はないと思います」
とりあえず、そこから作戦のプレゼンを開始する。
「これがギース、ひいてはヒトガミの罠である可能性もあります。が、逃げ回るギースを、次にいつ捕捉できるかもわかりませんし、絶好の機会にも思えます。元剣神ガル・ファリオンと北神二世を見つけることができなかったのは心残りですが、俺はビヘイリル王国に行こうと思います。どうでしょうか」
「異論はない」
どのみち、ギース発見の報告を受けて、すでにアトーフェは独自に動いてしまっている。
どういうルートを通るつもりかは聞いていないが、さすがに到着はかなり遅れるだろう。
一ヶ月か二ヶ月か、あるいはもっとだ。
到着した彼女と合流するためにも、彼女のことを現地の人々に説明するためにも、ビヘイリル王国には行かねばなるまい。
「やるべきことは四つ。ギースの発見、撃破。北神カールマン三世の発見、説得。ルイジェルドの発見、説得。鬼神の発見、説得あるいは撃破。優先順位は、今言った順……で、いいですよね? オルステッド様」
「……ああ」
個人的にはルイジェルドに真っ先に会いたいが、やはり北神が先だろう。
鬼神に関しては、いっそ海からやってくるアトーフェをぶつけてしまうのが楽かもしれない。
このまま連絡を取らずにいたら、まずそうなるだろうし。
ていうか、アトーフェにはどうやって連絡を取ればいいんだろうか。
連絡手段はネクロス要塞に設置した通信石版しかないはずだ。
……まあ、そのへんはアトーフェが到着してから考える、という方向でもいいかもしれない。ていうかそれしかないかもしれない。緊急連絡ができないというのは不便だが。
「さらに、ギースを発見した時、ギース側の戦力が大きいようなら、こちらも援軍を呼び込みます」
敵はビヘイリル王国にあり。
だが、戦力をビヘイリル王国に集めて、その時にはすでにギースはいませんでしたー、という肩透かしだったら、俺は狼少年になってしまう。
往々にして起こりうることだろうが、各国からの信用も落ちるだろう。
「援軍を呼ぶタイミングは、ギースを発見してからでも、遅くはないと思っています」
なので、敵がいる、決戦がある! そう、確定してから味方を呼んだほうがいい。
ギースを見つけた、味方を集めた、逃げられた、解散!
を繰り返して、いざって時に味方を集められなかったら、何の意味もない。
「そのため、各地に援軍を呼び込むための転移魔法陣を設置しておこうと思います」
ビヘイリル王国は小国だが、そのくせ三つの大きな都市を有している。
首都ビヘイリル。第二都市イレル。第三都市ヘイレルル。
「三つの都市の周辺に、それぞれ転移魔法陣を設置します」
俺はロキシーをちらりと見る。
「転移魔法陣を正確に描ける人間は限られていますが、こんなこともあろうかと、偉大なる我が先生が、転移魔法陣のスクロールを何組か、用意してくださっていました。拍手」
万雷の拍手が巻き起こる。
紙吹雪が舞い散り、ステージ上のロキシーに振りかかる。
マイクを持ったロキシーがホールに集った世界中のファンに手を振ると、その瞬間に失神する者が続出した。俺の脳内で。
「ギースの発見・未発見にかかわらず、ギースの逃走経路は塞ぎます。ビヘイリル王国の隣国に人を送り、街道を監視。これには、シャリーアにいるルード傭兵団を使います」
リニアとプルセナだ。アイシャも動いてくれるだろう。
「逃げ道を塞いだ上でギースを捜索、発見と同時に援軍を投入。一気に潰します」
大事なのは、敵がそこにいると確定すること。
それから、戦力が集まるまで、敵に逃げられないことだ。
幸いにして、ビヘイリル王国は森、山、海に囲まれているため、隣接している国は多くない。
逃げ場を塞ぐのは、そう難しいことではないはずだ。
もっとも、キシリカは、魔眼でギースを見つけた時、ヒトガミの存在を察知した。
なら、あの瞬間、逆にヒトガミに察知されていた可能性は高い。
すでに逃げられている可能性だってある。
ギースが手紙の通り、誰かを仲間にしているというのなら、森からでも脱出できるだろう。
隣国を押さえるのは、気休めだな。
「なるほど。それで各地の魔法陣は誰が?」
「手分けをしましょう。三手に分かれて」
「……それは、ダメなんじゃないかな? だって、ルディが狙われてるんでしょ?」
「うん」
シルフィの言葉に、俺は頷く。信じるかどうかはさておき、ギースの手紙によると、狙われているのは俺だ。俺が単独で動けば、そのまま罠に飛び込む形になりかねない。
各個撃破の危険もある。
「でも、俺はオルステッド様の腕輪のお陰で、ヒトガミの監視から逃れられています。ギースとヒトガミは、俺とオルステッド様、並びにその周辺の人物の感知ができません。とはいえギースのことです、アナクロな手段で俺を見つけようとしてくるでしょう。つまり、普通の情報収集による発見です。だから変装して侵入し、見つからないうちに手早く魔法陣を設置、という形にします」
罠であろうとなかろうと、俺は姿を見せないようにすべきだ。
だから、変装する。
その状態でも、ギースを見つけるために情報収集をしていればいつかはバレるだろう。
だが、国に入り、即座に囲まれて撃破される、というシナリオは回避できる。
運良くうまいこと動ければ、ギースが罠を張っていたとしても先手を取ることもできるはずだ。
罠ではなかったとしたら、キシリカの魔眼で捕捉されたのが、ギースやヒトガミにとって予想もしていなかったということになる。
その場合、ギースは逃げるだろう。
かといって、ギースも用があってビヘイリル王国に行っているはずだ。
俺が行く前に、ギリギリまで自分の用事を終わらせようとするかもしれない。
変装をして、俺から発見されるのを遅らせることで、逃走までの時間を延ばすことが可能かもしれない。
しない理由はない。
「ルディの姿を隠したいとなると、陽動があったほうがいいかもしれませんね」
と、そこでロキシーが提案した。
陽動。つまり、俺が「罠だと察知して、ビヘイリル王国に来なかった」と思わせることだな。
撒き餌で魚を呼び寄せたものの、釣れるのは雑魚ばかりで、目当ての魚がいなかったとなれば、向こうも混乱するかもしれない。
「陽動ですか、何か具体的な案が?」
ロキシーは頷いた。
「はい。わたしたちの誰かが剣の聖地に行くというのはどうでしょうか。アリエル陛下はすぐに援軍をよこすと言っています。なら、その中にはまずギレーヌとイゾルテがいるでしょう。この二人なら、剣の聖地の面々にも詳しいでしょうし、敵に回っても後れを取ることはないかと。ルディの話ですと現在の剣神はヒトガミの使徒にはなっていないようですし、あの場で誰か戦力になりそうな方を連れてくるのもアリかと。例えば、剣王ニナとか」
ニナか。
エリスが珍しく、自分から仲間に引き入れようとしていた人物。
剣神の代わりにはならないだろうが、エリスと互角なら、確かに戦力になるだろう。
ただこのあいだ行った時は、かなり取り込み中だった。来てくれるかどうか……。
「あ、じゃあその仕事、ボクが行くよ」
と、挙手したのはシルフィだ。
確かに、彼女なら交渉はできるはずだ。一応、ニナ、イゾルテ、ギレーヌ、三人ともに面識があるわけだし。
さらに言えば、シルフィが行く、ということ自体が陽動にもなる。
すでに子供は生まれてしまったため、嫁を殺す価値は薄いはずだが、ヒトガミだって、俺が誰を守りたいか、よく知ってるはずだ。
嫁が分散すれば、俺の居所を判別しにくくなるかもしれない。
ただ、懸念が一つ。
「……危なくはないですか?」
「もちろん危険はあります。しかし、ギースの居所はわかっているのですから、危険は少ないと思います」
確かに。
ギースも、せっかく仲間にした人物を、各個撃破されるような真似はしないだろう。
ギースが別のところにいるなら、仲間もそっちについていっていると見るべきだ。
と、思うが、その思考が読まれているかも。
「ヒトガミも、ルディが何を一番大事に思ってるかはわかっていると思います。わたしたちが行けば、陽動にはなるかと」
ロキシーが、先ほど俺が考えたことを念を押すように言った。
でも……あれ?
そう考えると、俺の作戦ってヤバくないか?
ビヘイリル王国内に転移魔法陣を設置し、戦力を集める。といっても、それぞれの場所への移動に半日から一日はかかるだろう。
逆に、各個撃破される可能性は、ありうるんじゃないのか?
なんか、総力戦っぽい感じになってきてるし、これって、バラバラになった仲間が次々と死んでいくフラグとかじゃなかろうな。いや、フラグとか、なんの意味もないことはこの世界に来てから、よーく理解しているつもりではあるけど……。
「でも、ちょっと、心配だな……やっぱ、やめたほうがいいかな、この作戦……」
「ルディ……」
ロキシーがふぅとため息をついた。
弱気になった俺の考えを見抜いたかのように。
「いいですか、ルディ。迷宮に潜る冒険者は、誰一人欠けることなく冒険を終えることを目指します。全員、それぞれができることを全てやり、生還の確率を上げるんです。わたしたちは今まで、家で子供の面倒を見ることが『できること』だと思ってやってきました。わたしもシルフィも、ルディやエリスに戦いでは遠く及びませんからね。ですが、今、わたしが提案した『できること』で、全員が生還する確率を上げることになると思っています」
確率……か。
でも、そうだな。確実なことなんて、何一つない。
安全に、確実に、と思っても不慮の事態は起きるし、考えの及ばない何かが失敗を引き起こす。
「ルディが、わたしたちを家に閉じ込めておきたいと思っていることは知っています。でも、どれだけ閉じ込めていても、負けたら最後。全滅です。どんな行動にもリスクはあります。危険を冒して、最後に皆で笑いましょう」
誰か一人でも死んだら、俺は笑えるんだろうか。
ビヘイリル王国に行って、帰ってきたら、ロキシーが、シルフィが、エリスがいない。そんな状態で笑えるか?
笑えない。
「ルディ、わたしたちは、もう親なんです。自分たちだけでなく、将来のことも見据えましょう」
そんな言葉で、ふとパウロの顔が脳裏をよぎった。
パウロが生きていたら、今、この瞬間、どうしただろうか。転移迷宮に入った時は、俺を連れていった。転移事件の頃は……切羽詰まっていたから、置いとこう。
それ以前。
ブエナ村で暮らしていた頃。
少なくとも、パウロは俺を家に閉じ込めたりはしなかった。
守ろうとはしていただろうけど、ちょっと歩けば危険なこともあるだろう村を、一人で出歩かせていた。
ゼニスだって、妊娠していない時は、村の治療院で働いていた。
妊娠してからも、安定していた時期は、ちょこちょこ出かけていたようにも思う。
パウロが全面的に正しいわけではない。パウロには明確な敵がいたわけじゃないしな。
でも、俺は今、生きている。そう考えると、何でもかんでもダメ、というのは、ちょっと過保護すぎるのだろうか。や、でも状況は全然違うし……。
「うん。ロキシーの言う通りだ」
シルフィが同意した。
「リスクは負おう。敵を倒した後、生き残った誰かが子供たちの面倒を見ればいいもんね」
「……そうね!」
シルフィの言葉に、エリスが頷いた。
彼女が今までの話をわかっているのかわからないが、少なくともシルフィの言葉には同意したようだ。
「……」
ザノバやオルステッドは答えないが、しかし反対の声を上げるわけでもない。
「よし、じゃあ、そういう形でいこう。異論のある人は?」
異論はない。なら、この作戦でいこう。
俺が姿をくらましたまま手分けしてギースを捜索し、発見したら逃さないように退路を断ちつつ援軍を待ち、撃破するのだ。
「よし、じゃあ次は……」
その後、俺たちは順調に作戦の詳細を詰めていった。
★ ★ ★
話し合いの結果、以下のチームに分けられた。
・隣国でギースの逃げ場を塞ぐチーム
アイシャ、リニア、プルセナ、その他傭兵団の面々
・剣の聖地からニナを連れてくる陽動チーム
シルフィ、(ギレーヌ、イゾルテ)
・首都に向かうチーム
ザノバ、ジュリ、ジンジャー
・第二都市へと向かうチーム
ルーデウス
・第三都市へと向かうチーム
エリス、ロキシー
それぞれ、転移魔法陣を設置した後は、個々にギースや北神を捜していく形になる。
シルフィは先ほど提案した通り。ザノバは主に情報収集。エリスとロキシーは、鬼神への対処だ。
逃走経路を潰すチームは、アイシャに指揮を頼めば、うまくやってくれるはずだ。
俺の仕事は、ルイジェルド関連になる。
前々からいろいろとありそうだと言われている鬼神。タイミングよくビヘイリル王国に向かったという北神カールマン三世。
俺と関わりの深いルイジェルド。
ギースの行動がいまいち予測しきれていないこともあり、戦力をバラけさせることになった。
情報交換を密にしつつ、臨機応変に動いたほうがいいだろう。
ビヘイリル王国に行くメンツは、すぐに動く。
ぐずぐずしていたら、ギースに行方をくらまされるかもしれない。
またギースを捜すためにキシリカを捜して、と繰り返すつもりはない。
シルフィが動くのは、もう少し後だ。
アリエルはすぐに援軍を送ると言ってくれたが、向こうにも向こうの事情がある。
数分後に、ギレーヌとイゾルテが到着、という形にはなるまい。
ジュリ、ジンジャー、リニアとプルセナ、傭兵団の面々には、他の仕事もある中で無理を言ってこっちを優先してもらう形となる。
だが、ここが正念場だ。
無理を通してでも、やらねばならん。
チャンスか罠か。都合はいいかもしれないが、俺は前者であることを願う。
という計画を、通信石版を通じて、アリエルとクリフにも伝えておいた。
アリエルからは「至急援助を送る」とすぐに返事が戻ってきたが、クリフからはまだだ。
自室に石版が置いてあるアリエルと違い、ミリスでは傭兵団を経由してクリフのところに届く形になるから、返事に時間がかかるのだろう。
「何か質問は?」
周囲を見渡すも、挙手はない。
質問はなさそうだ。
少し不安なのは、ザノバか。状況から見て、鬼ヶ島に近い第三都市と、ルイジェルドの発見報告に近い第二都市を重要視したが、首都は最も人の集まる場所だろうし、一番危ないかもしれない。ジンジャーの情報収集能力は高いと思うし、ザノバは強力な武人だが、火魔術に弱い。
死んでくれるなよ、と思う。
「ザノバ、気をつけろよ」
「わかっております。しかし、余としてはむしろ、店の方が心配ですな」
「ああ、そうだな……」
一応、店舗にしろ工場にしろ、トップがいなくても動くようにはなっている。
だが、ザノバとジュリ、二人がいなくなれば、大きなトラブルが起きた時に、どうなるか。
「ジュリは残しておきたかったな」
「ハッハッハ、二度と離れぬと約束したものでしてな」
ザノバはジュリに愛されているな……。
ていうか、ザノバの方はどうなんだろうか。二人は愛しあったりしてるんだろうか。
そのへん、ちょっと突っ込んで聞けないな。ザノバはなんかこう、女に対して一歩か二歩、引いているところもある。
もし子供とか作ったら、このロリコン野郎って思いっきりからかってやるつもりはあるけど、あまり外野としてうるさくしたくない。
「エリスも、大丈夫か?」
「…………大丈夫よ」
エリスは不満げだ。
彼女は俺と行動を共にしたかったらしい。しかし、そうなるとロキシーの護衛ができるものがいなくなってしまう。それに、エリスといると、非常に目立つ。彼女は隠密行動などできやしないのだ。
だから、二番目に目立つであろう、ロキシーにつける。
彼女らも、陽動の一種だ。
「ルーデウスが一人なのが心配だわ」
確かに、俺も自分の心配はしている。
きちんとギースの目から逃れつつ、情報収集することができるのか。
ギースは情報屋としての腕は一流だ。よほどうまく動かないと、北神カールマンやルイジェルドを捜しているヤツがいるとわかった時点で、俺がギースに捕捉される。
捕捉されるのが早すぎれば、当然のように逃げられるだろう。
そもそも、俺が一人で動くとロクなことが起きない。
「まあ、俺はなんとか、うまくやるよ」
この半年で、諜報に役立つヤツをもう一人か二人ぐらい捕まえておけばよかったかもしれない。
だが悔やんでも仕方ない。
こういう形は想定できていなかった。
「オルステッド様はどうします? 一応、ここに残って通信石版の管理とか、家族の守護とかしていただけるとありがたいのですが」
「……いいだろう」
「ありがとうございます」
オルステッドは留守番。
彼は目立つから、あまり情報収集等には向いていないしな。
もしかすると、必要な場面もあるかもしれないが、極力この場にいて、決戦の時に参入してもらったほうがいい。もっとも、魔力の関係もあるから、あまり戦闘に参加してもらっても困るのだが。
最後の切り札、みたいな感じだ。
ていうか、彼の魔力を温存させるために俺という配下がいる。
なので、オルステッドが戦ったら負けかなと思ってる。
「……」
オルステッドは押し黙った。
何か言いたそうな感じだが、ヘルメットのせいで表情は窺い知れない。懸念でもあるのだろうか。いや、これから大きな作戦を行うということで、彼も緊張しているのかもしれない。
「ルーデウス。念のため、その指輪は身につけていろ」
「指輪?」
「死神の指輪だ」
唐突にそう言われ、手を見る。
そこには、悪趣味なドクロの指輪がハマっている。
死神にもらったものだ。キシリカに会った後も、なんとなくつけている。
「理由を聞いても?」
「念のためだ。つけているだけで、効果がある」
「……了解しました」
よくわからんが、つけているだけで効果があるなら、まあいいか。
その時になれば、わかるだろう。
「それから、一つあや……」
「あのー」
と、そこで誰かの声がし、オルステッドが口をつぐんでしまう。
誰だ、社長のお言葉を邪魔する愚かな社員は。
と、周囲を見渡しても、誰も声など上げていない。挙手をしている奴もいない。
でも、女の声だった。てことは、犯人は三人のうち、誰かだ。
「会長────」
俺を会長と呼ぶ人物、それはすなわち……あれ、いないな。
「お客さまです────!」
いや、わかってた。
声は遠い。皆の視線が、扉の方を向いている。これは受付のエルフ子ちゃんの声だ。
名前なんつったっけかな。
「失礼、ちょっと見てきます」
会議中は誰も呼ぶなと言ってあったんだが……。
火急の用かもしれないな。
★ ★ ★
「……うおっ!」
ロビーに入った瞬間、目に飛び込んできたのは、金色だった。
黄金だ。もう、足の先から、頭のてっぺんまで金。キラキラと光る、黄金の鎧を身に纏ったヤツが立っていたのだ。
「な……!」
「やあ」
その金色は、気軽に片手を上げた。
その声音、その動作に、俺はある存在の幻影を見た。
さらに黄金色の甲冑。
黄金騎士。闘神鎧は、金色だったという。そして、バーディガーディは以前、使徒で、黄金の鎧を身につけてラプラスと戦ったという。
そう、攻めてきたのだ。
ギースは囮!
ヒトガミが闘神鎧をサルベージして、ここに尖兵を送り込んだのだ!
「こちらの方、アリエル陛下の命令で、転移魔法陣を通っていらっしゃったそうです」
って……んなわけない。
鎧も、光の加減でそう見えただけで、よく見るとくすんだ黄土色だ。
「ああ、これはどうも」
男は兜を外した。
下から現れたのは、この世界では結構珍しい、黒髪だ。
年齢は五十歳ぐらいだろうか。皺が深く、ベテランの風格を持っている。
彼とは、前に一度、会ったことがあったな。
そう、アスラ王国の王城、アリエルの部屋の前で。
「お久しぶりです」
確かあの時は、なんか中二病みたいなことを言い出して、名前を教えてはくれなかった。脇にいたシルヴェストルという人が教えてくれたので、知ってはいるが。
「どうも。今回は、お名前を教えていただけるのですか?」
そう聞くと、彼はフッと笑った。
今がその時ではないが仕方がない、と言わんばかりだ。
「アリエル陛下の騎士シャンドル・フォン・グランドールと申します」
「ああ、これはどうもご丁寧に。ルーデウス・グレイラットと申します」
頭を下げられたので、頭を下げ返す。
そういえば、グランドール家って聞いたことないな。前に聞いた時も、オルステッドに詳細を聞くのを忘れていた。特に重要な人物には見えなかったし。
「先ほど、アリエル陛下より密命を受け、参上いたしました」
そう言って、シャンドルは小脇に抱えた箱を差し出してきた。
先ほど……って、さっきか。会議中に計画内容を連絡したばかりだというのに、随分と早いな。
「はい。これは?」
「中に、顔を変える魔道具が入っております。必要だろうとのことです」
おお。
そういえばアスラ王国にはそんな魔道具があったな。
アリエルが変装に使ったやつだ。
それにしても用意がいい。最初から、使うだろうと用意されていたのかもしれない。
「中をお検めください」
「はい」
言われて中を覗くと、確かに、見覚えのある緑の指輪と赤の指輪が、一揃い。
緑の指輪を装備した者は、赤の指輪を装備した者と、同じ顔形と髪色になる。これを使えば、何の変哲もない村人に化けることが可能だ。
「それから、こちらはアスラ王国の記章となります。何かあれば、これと自分の名前を使っていい、と陛下はおっしゃっておりました」
さらにもうひとつ、箱が差し出される。
受け取って中を見ると、確かにアスラ王家の紋章の入ったメダルが入っている。真新しいところを見ると、いちいち書状を書くのも面倒と見て、新たに作らせたのだろうか。
また一つ、アリエルに借りができてしまうな。
「それと、我々も、ルーデウス様のお手伝いをするようにと言付かっています」
お手伝い……てことは、援軍までのつなぎか。
さすがに、いきなり剣王や水帝を出張させるのも難しいから、暇そうな騎士をよこしてくれたということだろう。
いや、つなぎなんて言い方は彼に悪いな。
彼も立派な援軍だ。アリエルのことだから、きちんと守秘義務を守れるヤツを選んでくれたはずだ。
転移魔法陣のことを言いふらさないヤツだ。
「ん? 我々?」
「はい。ほら、挨拶しなさい」
シャンドルがくいっと顎を動かすと、壁が動いた。
ロビーの隅の方、まるで置物のように置いてあった、巨大な甲冑が動いた。
さっきまであんな甲冑なかったのに、気づかなかった……影が薄いのだ。

でも、一度意識すると存在感がある。鈍色の分厚い甲冑。横幅が広くて、背中にはどでかい戦斧を背負っている。斧戦士さんだ。
「……ドーガ、です」
「あ、どうも、ルーデウス・グレイラットです」
ドーガ。彼とも前に一度、会ったことがある。
アリエルの部屋の門番をしていた、ちょっとなんていうか、鈍そうな門番君だ。
斧戦士ではなく、鎧騎士さんだったようだ。しかし、名前も体つきもゴツいが、顔つきはどこか朴訥としている。無口だけど、気は優しくて力持ち、って感じだ。年齢は二十代……いや、もしかすると十代もありえる。
シャンドルの方は、黄土色のナイスミドル。
彼も横幅が広いほうだが、ドーガと並ぶとひょろ長く見える。
どっかの城のボス戦で二人同時に出てきそうなコンビだ。
「さて、なんなりとお申し付けください。私はなんでもできますよ」
「え、うーん……」
せっかく来てもらってなんだが、何してもらおうか。
妥当なのは、傭兵団チームに入ることか……?
いや、ザノバにくっついてもらうのもいいな。でも、恐らく戦いになるんだよな。
「……シャンドルさんって、戦える方ですか?」
「ええ。もちろん。アスラ王国の騎士団の中では、一番強いですよ」
一番か。でも、その騎士団の中に、ギレーヌやイゾルテは含まれてないんだろうなぁ……。
正直、戦力的に頼りにはならなさそうだ。
物腰も柔らかだし、アスラ王城での言動を見るに面白そうな人だし、友達としては好きな部類だとは思うけど。
「多分、列強クラスと戦いになりますけど、大丈夫です?」
「大丈夫です。アリエル陛下に仕えると決めた時から、命を捨てる覚悟はできています」
うーん……なら、いいか。アリエルも使い捨てるつもりで送ったのかもしれない。
ザノバにくっついていてもらおう。
……いや待て。ちょっとおかしくないか? 連絡したのは今さっきだぞ? いくらアリエルの仕事が早いといっても、早すぎないか?
タイミングも良すぎる。実はヒトガミの──。
「お前か」
ふと振り返ると、そこにオルステッドがいた。
彼を見て、シャンドルは頭を下げた。
「どうも、龍神オルステッド様。はじめまして。アリエル陛下からお聞きしていたより、呪いが抑えられているようで、なによりです」
ふと見ると、エルフ子ちゃんが、感激したように両手を組んで、オルステッドを見上げていた。
なんだろう……。もしかして、初めて見たってことはあるまいな。ヘルメット装着中ってのもあるが、呪いの方は意外と大丈夫だったのだろうか。
いや、そんなのよりシャンドルだ。
「今はアリエルに仕えているのか?」
「はい。こちらに証明書もございます」
彼はそう言いつつ、懐から書状を取り出し、見せてくれた。
そこには確かに『シャンドル・フォン・グランドールをアスラ王国黄金騎士団長に任命する』、と書かれている。
アリエルの直筆サインと、アスラ王国の紋章入りだ。
わざわざ持ってきたんだろうか。なんか逆に胡散臭く感じるのは、さっき疑ったせいだろうか。
「お前たちは、ルーデウスについて行動しろ。お前たちはギースに顔が割れていないはずだ」
「承知いたしました」
「ルーデウス、いいな?」
「え? あ、はい」
唐突に出てきて、唐突に決められた。
まぁ、オルステッドがそうしろと言うのなら、いいけど……。
「あ、いや、よくないです。ちょっと待ってください。唐突に決められても困ります。大体、この方は何者なんですか? オルステッド様もご存知なんですよね?」
「ああ、こいつは──」
オルステッドはそこで口をつぐんだ。
見ると、シャンドルが口元に指を当てていた。
「ご存知ないなら、ご存知ないほうがいいのではないですか。今の私はアリエル様の騎士にして、これからの私はルーデウス様の小間使いです」
そうおっしゃるということは、さては有名人だな。
誰だろう。列強って感じはしないな。弱そうだし。
オルステッドが知ってそうな有名人……例えば龍族つながりで、聖龍帝シラードと、冥龍王マクスウェルとか。あ、でも銀髪じゃないしな。髪ぐらい染められるか?
「大丈夫なんですか?」
「この男なら、問題ない。俺もお前を一人で行動させることは不安だった。だが、こいつなら適任だ。使徒である可能性も低く、情報収集も得意だろう」
オルステッドが自信を持ってそう言うなら、信じていいのだろうか。
アリエルがコネだけで変人を騎士団長に任命するとも思えないから、実際にはそこそこやる人なのかもしれない。
「お任せください」
ひとまず、情報収集ができるヤツ、ってことは、そっち方面での有名人かな?
オルステッドが彼のことを知っているのは当然として、知られていることを当然のように受け止めている感じ、情報を扱っている人間っぽさがある。
俺も一人で行動するのは不安だった。とはいえ、知らない人と一緒に行動するのも不安だ。
でも、オルステッドが信用する人物なら疑う必要はない、かな?
アリエルの送り込んだ援軍でもあるし。
オルステッドは、ちょうどいいとばかりに発言した……てことは、この男の能力は高く、安全性は高いと見ていいか。
そう判断したってことだ。
アリエルも、この男を小間使いとしてよこした。
彼女は俺の状況を知っている。その上で、さしあたっての援軍としてよこした。
少なくとも、転移魔法陣を使わせるぐらいには、信用をおいている。
なら、今はオルステッドとアリエルの判断を信じてみるか。
「わかりました、では会議に参加してください。といっても、もう終わりかけでしたがね」
「了解しました」
ひと通り作戦説明が終わったら、アリエルにもこの二人のことを聞いておこう。
そう思いつつ、俺は正体不明の二人を会議室へと誘うのであった。
第二話「探し求めていた物」
ビヘイリル王国。
中央大陸北部の東端に位置するその国は、山、海、森に囲まれている。国力はさほど大きくはないが、三つの大きな都市を有している。
都市はそれぞれ、
中央、首都ビヘイリル。
南側、森の手前に第二都市イレル。
東側、海に面した第三都市ヘイレルル。
と、呼ばれていた。
特徴といえる特徴はない。強いていうなら国力に対して、国土が広いことか。
国土は隣国の二倍あるのに、隣国と同じ程度の戦力しか持っていない。
街道によって接続している国は二つあるが、ビヘイリル王国が攻められることはない。
この北方大地の東部では、群雄割拠の時代が続いているが、それでもなお。
国土に対して戦力の足りていないビヘイリル王国が、なぜ攻められないのか。
その理由の裏には、鬼族の存在がある。
ビヘイリル王国は、海にぽつんと浮かぶ鬼ヶ島に住む鬼族と、深い親交があるのだ。
大昔……といっても、ラプラス戦役が終わった後で、かつビヘイリル王国建国後なので、せいぜい五十年から百年前か。
当時、鬼ヶ島に住む鬼族と、北方大地の端に住む人族との間に交流はなかった。
あるいは、海辺に住む者との細々とした交流はあったかもしれないが、少なくとも人族の町中を鬼族が我が物顔で闊歩できるほどではなかったという。
その頃、鬼族は問題を抱えていた。
海に住む海魚族からの侵略を受けていたのだ。
戦闘民族である鬼族は、侵略に屈することなく抵抗したが、戦力に差がありすぎた。鬼族は一人、また一人と人数を減らしていき、このままではいずれ全滅するか、海魚族の奴隷となるしかないというところまで追い詰められた。
そんな鬼族の元に現れたのが、とある冒険者パーティだ。
彼らは、鬼ヶ島には金銀財宝がある、という噂を聞いて、島へとやってきたという。
どういう面々だったのか、詳細はわからないが、リーダーは人族で、四人パーティだったという。おそらく、剣士、犬、猿、雉というメンツだったに違いない。
戦いと、そして財宝を夢見た冒険者たち。
彼らが見たのは、困窮した鬼族だった。戦いで数を減らし、生傷の絶えない鬼族の戦士たち。怯えて暮らす鬼族の女たち。笑顔の消え失せた鬼族の子供たち……。
それを見た冒険者たちの正義心に火がついた。
その場で鬼族を助けることを誓い、当時の鬼神と交渉。鬼族の戦士たちと共に、海魚族が拠点とする迷宮へと潜入。激しい死闘の末、海魚族の族長を討ち取ったのだ。
しかし、その代償は大きかった。
人族の冒険者パーティは、リーダーである剣士を除いて全滅してしまったのだ。
仲間たちを失った人族の剣士は、嘆き悲しんだ。
その様子を見て、恩義を感じていた鬼神は、彼の生涯の友となり、今後、鬼族総出で剣士を助けることを誓った……。
と、ここで衝撃の真実が発覚する。
実はその剣士は、海の向こうに出来たばかりの新興国の王子だったのだ!
王子は国に帰り、国王となった後、鬼族と互いを守り合う誓約を取り交わした。
以後、人族と鬼族は手を取り合い、平和に暮らしている。
──と、まぁ、これがざっくりとしたビヘイリル王国の建国記である。
どこまで本当かはわからないが、とにかく、鬼族の庇護下にあるビヘイリル王国は、戦力に比べて国土は広すぎるし、痩せた土地であるにもかかわらず、他国からの侵略を受けることなく、国を保てている。
ビヘイリル王国とは、そんな国だ。
俺は、そんな国の町の一つ、第二都市イレルへと向かう。
メンバーは三人。
アリエルの騎士を名乗る、黄土色の鎧の男シャンドル。その部下らしき鈍色の鎧の男ドーガ。そして、俺だ。
俺は二人の持ってきた魔道具を使って顔を変え、魔導鎧『二式改』を着込み、その上からさらに甲冑を身につけていた。
さらに、二式改の背中にはロキシーの開発した魔道具が装着されている。
腰のあたりにあるボタンを押しながら魔力を流し込むと、押しているボタンに対応したスロットのスクロールが自動的に発動されるという仕組みだ。
右手と左手でそれぞれ五つ、計十個のスクロール。
いちいちスクロールを取り出さなくてもいいため、利便性は高いが、分厚いスクロールを折りたたんだ状態で発動できるようにしてあるため、ランドセルのように嵩張る形になってしまった。
その形はなんだか推進剤でもふかしそうであったため、俺はそれを『スクロールバーニア』と名づけた。
ガトリングガンに次ぐ、ロキシーマシン二号である。
魔導鎧、スクロールバーニア、甲冑。それらを装着した上にマントを羽織った俺の姿は、二メートルを超す大男が、鎧を着て歩いているように見えるそうだ。変装としてはバッチリだろう。
設定としては、用心棒等の仕事をしながら各地を回る北神流の武者修行者で、このあたりには、特に理由もないが、誰か強い奴はいないかと流れてきた、という感じだ。
ビジュアル的には、リーダーのシャンドルに、大男が二人付き従っているように見えるはずだ。
ちなみに、俺の偽名はクレイとした。
移動方法は馬車。
現在、俺は三人の鎧騎士の一人として、荷車のような馬車にゴトゴトと揺られている。
ガッツリと鎧を着込んだ騎士が三人。かなり目立ちそうなもんだが、この世界では、さほど珍しくもない光景だ。
魔法都市シャリーアでは甲冑姿の冒険者はあまり見ないが、ビヘイリル王国では似たようなメンツとちょくちょくすれ違う。
さて、馬車で移動する中、二人とは改めて簡単に自己紹介をしあった。
シャンドル・フォン・グランドール。
アスラ王国黄金騎士団長。
彼は元々、各地を転々とする傭兵だったという。長らく紛争地帯にいたが、アリエルの戴冠式の際にアスラ王国へと移動。アリエルの声と容姿が気に入り、どうにかして配下になれないかと試行錯誤しているうちに、アリエルの目に留まり、ここぞとばかりに自己アピール。今の地位まで上がったという。
そう聞くと、ごますりがうまいだけに聞こえるが、しかし、アリエルもゴマすりだけが得意な奴に騎士団長を任せたりはしまい。
何かしら、光るところがあったのだろう。
そのアリエルに彼の情報について問い合わせてみたところ、後ろ暗いところのない、信頼に値する人物だという返事をもらった。もっとも、正体については教えてもらえなかった。「えー、知らないんだー、うふふー、じゃあ内緒ー」と笑われている感じがする。
が、ひとまずアリエルの騎士の成りすましでないのであれば、よしとしよう。
黄金騎士団という割には、鎧はあまり光っていない。
光の加減で見れば金色に見えなくもないし、あるいは、磨けば光るかもしれんが。
これでは金色じゃなくて黄色だ。
黄色騎士団だ。おや、それはそれで強そうだな。黄色の十四とかいそうだ。
「でも、アスラ王国に黄金騎士団なんてありましたっけか……」
白騎士とか黒騎士とかはいたと思ったが、金色はなかった気がする。
「陛下が戴冠した後に作られた騎士団です。表向きの任務はアリエル陛下の身辺警護ですが、陛下のご命令とあれば、どこへでも、いかなることでも行います。禁忌とされる転移魔法陣を使ってね」
要するに、アリエルの私兵か。
「元々『協力者への援助』のために創設した、と聞いております」
「ほう」
俺たちのために新設したのか。
実に義理堅い。そして怖い。今後、アリエルに何を要求されるのか。オルステッドが返してくれればいいんだが……。
「新設されたばかりで、まだ数は少ないですが、精鋭です。私もこう見えて、北神流をかじっていますからね」
シャンドルはそう言って笑っていたが、剣を持っていなかった。
「その割に、剣を持っていらっしゃらないようですが?」
「剣より、こちらの方が強いと思ったもので」
彼は鉄パイプみたいな金属の棒をブンと回した。棒術使いだそうだ。
元々、この世界では剣術が異常に発達していたり、スペルド族の影響で、長柄の武器は好まれていなかったりするのもあるだろうが、棒術をこの世界で見るのは初めてだ。
とはいえ、北神流なら、どんな武器を使っていてもおかしくあるまい。
もはや剣士ではないようだが、北神流には忍者みたいなのもいたしな。
「リーチは、長いほうが有利ですからね」
「そう。そうなんです。剣神流は、ありえない距離まで斬撃を飛ばす。水神流は、どんな距離からの攻撃も受け流す。だから強い。なら、剣にこだわらず、最初から長い武器を使えばいいのです」
単純な理論だ。
俺の前世では、そういう理論がまかり通って、武器の射程はどんどん伸びていった。
だが、この世界では違う。その理論が通るなら、剣士が特別扱いされたりはしない。
剣士が強いのは、治癒魔術で瞬時に傷を治せたり、やたら生命力の高い生物のいるこの世界で、敵を一撃で倒せるからだ。
だから、残念ながらシャンドルの棒術は、弱者の浅知恵だ。
人間相手には有効かもしれないが、高い治癒能力を持つ魔物なんかには、ちと分が悪かろう。
「こちらのドーガも、黄金騎士団の一員です」
「…………うす」
ドーガ。苗字はない。アスラ王国ドナーティ領出身。
彼は元々、アスラ王国の兵士だった。王都の門を守る門番だったそうだ。
だが、黄金騎士団長に任命されたシャンドルが、彼の優秀さを見抜き、スカウトしたという。
「スカウトもやっているんですね」
「理想の騎士団を作るのも、団長の仕事ですからね。これからも、どんどん強くて役に立つ人員を迎え入れていくつもりです!」
団長の仕事、か。
思えば、ミリスの神子の護衛部隊も、隊長であるテレーズが一番弱かった。
組織において、リーダーが一番強い必要はないってことだろう。大事なのは、指揮能力だ。
「しかし、黄金騎士団という名前の割に、ドーガさんの鎧は黄金っぽくないようですが?」
「ははは、そりゃあそうでしょう。式典の時以外に、目立つ鎧を着る馬鹿がどこにいるんですか」
「アスラ王城では、二人とも目立っていたような気がしますが?」
「陛下の部屋のそばに行くのは、式典と同じですよ。騎士団とは陛下の権威の象徴の一部ですから。陛下の部屋の前にくすんだ鎧を身につけた輩がいては、それを見た者が『アスラ王国の国王は表向きは華やかだが、裏では胡散臭い連中と付き合っている』と噂されかねません。王とは、常にきらびやかで高みにいる存在でなければならないのです」
ごもっとも。
そして、そんなお方のところに、毎度くすんだ色のローブで現れてしまって申し訳ない。
でも仕方ないんだ。陛下はきらびやかで高みにいる存在に見えるけど、裏ではオルステッドコーポレーションという名の胡散臭い連中と付き合いがあるのだから。
「じゃあ、今度からは俺も胡散臭い連中と思われないように、正装で行くべきですかね」
「いやいや、あなた方が正装で来ては洒落になりませんから。式典以外ではぜひともみすぼらしい格好で来てください」
「どういう意味だよ」
「ハハハハハ!」
快活に笑うシャンドル。
やはり悪い人間には見えないが、ヒトガミの使徒に良いも悪いもないのだ。
オルステッドもアリエルも大丈夫だとは言ったが、俺だけでも警戒しておこう。
「それにしても、このへんは雪が少ないのですね」
シャンドルに言われ、俺は周囲を見渡した。平原には、うっすらと雪化粧が施されてはいるが、馬車で余裕を持った移動ができる程度だ。
もっとも、農作ができるほどではないらしく、むき出しの地面は荒れており、畑と思しき場所には、何も生えていなかった。遠目にも、このあたりの土地に栄養がないのがわかる。
北方大地といえば、この時期は雪で埋もれているものだが、ビヘイリル王国は、思った以上に雪が少ないようだ。
風は冷たく、気温は低い。空気も乾燥している。ただ、雪が少ないだけだ。
「山の影響でしょうかね」
「山が関係あると?」
「西側の山が雲を押しとどめているせいで、こっちまで雪が来ないんじゃないかな、と」
「ほう……さすがルーデウス殿は博識でいらっしゃる」
「あっているとは限りませんが」
この世界の天候は、前の世界の常識に当てはまらない。
なにせ、大森林に三ヶ月も雨が降り続いたり、特に砂漠化する要素のない大陸が砂漠化したりするのだ。山とか関係なく、ちょっと西の森の魔力が悪さしてるせいで雪が降りません、って可能性だって十分にありえる。
「私の叔父も、そうしたことに熱心な人物でしてね」
「へぇ、何かの研究をしてらっしゃるのですか?」
「雲はどこからきて、どこへ流れていくのか、人はどこから生まれ、死ぬとどこへ行くのか、などと考えながら、丸一日空を見て過ごしたりしていました」
哲学者なのだろうか。
でも、そうだな。俺も、もし老後ってやつがあるなら、そういう毎日を過ごしたい。
六十歳を超えた後、シルフィやロキシーと並んで座って、じーさんやばーさんやと言いながら、ボケて過ごすのだ。
あー……いや、シルフィは長耳族の血が混じってるし、ロキシーもミグルド族だから、若いまんまかな?
エリスはばあちゃんになっても元気そうなイメージあるし……。
俺だけかな、ボケそうなのは。
「それはまた、哲学的なことですね」
「哲学ですか?」
「哲学というのは──あ、魔物ですね」
「お任せください」
移動途中、何度か魔物にも襲われた。
森が多い国、という言葉通り、街道が森のすぐ脇を走っていることもあったためだ。
その時に、彼らの力量を見させてもらったが、アスラ王国で一番、というだけあって、確かにそこそこの力量があるのは見て取れた。
俊敏で技巧に優れるシャンドルに、巨大な斧で相手を一撃で倒すドーガ。
見た目通りで、逆に言えば見た目以上ということもなかった。
とはいえ、最低でも剣士として上級ではあるだろう。
列強クラスとの戦いでは足手まといだろうが、少なくとも道中で邪魔になることはない。
それが実感できた頃、第二都市イレルへと到着した。
★ ★ ★
第二都市イレルは、パッと見、何の変哲もない都市だった。
周囲を壁に囲まれ、入り口付近には露天商が並ぶ、この世界で最もポピュラーな構造。
魔法都市シャリーアより、木造建築が多いのが特徴といえば特徴か。深い傾斜の屋根を持つ木造の建物が、隣家とやや距離を空けつつ並んでいる。森に囲まれたこの国は、当然のように木材が豊富らしい。
馬屋に馬車を預け、宿への道を歩いていて気づいたが、露天商の数が少なく感じた。
客が少ないから商人も集まらない……というのならわかるが、客となりうる冒険者の数は多い。
先ほどから、鎧姿の戦士や、ローブを着込んだ魔術師とよくすれ違っている。
露天商の数に冒険者の数が吊り合っていない。
何らかの理由があってのことなのか、それともブレの範疇なのか……。
「おっと……」
周囲を見ながら歩いていると、通行人の一人にぶつかりそうになった。
「おぉ……」
そいつはデカかった。
背丈は、三メートル近くはあるだろうか。鎧で着膨れした俺が、見上げなければいけない。
もしハーフジャイアントって種族がいるとしたら、こんな感じなんだろうか。
肌の色は赤褐色で、髪の毛は赤黒い。全身が筋肉で覆われており、足も腕も首も太い。
特筆すべきは、その頭部。
でっかい頭。下顎が異常にでかく、出っ張っている。口からは二本の牙が、下顎から上に向かってはみ出ていた。さらに、モサモサとした赤黒い髪の毛からも、二本の角が飛び出ている。
一目でわかった。鬼族だ。
「気ぃ、つけろ」
ぶつかりそうになった鬼族は、そう言って俺に一瞥をくれると、通りを歩いていった。
背中には巨大な荷物が背負われているが、その巨体も相まって軽そうに見える。
鬼族を間近で見るのは初めてだが、威圧感があるな。
ここビヘイリル王国では、鬼族が平然と闊歩している。
国の人間もそれを受け入れ、身近にいるのが当然であるかのように振る舞っている。
特定の種族を同胞として扱うというのは、他の国ではなかなか見られない光景だ。
「クレイ、あまりキョロキョロするな、田舎者じゃねえんだからよ」
「え? あ、ああ……」
シャンドルから鋭い言葉。
旅の途中とはまるで違う口調で呼ぶのは、変装のためだ。
「どうせ、このへんには、大したヤツはいねえんだ。見回すだけ無駄だ」
「そうだな」
そうだ、俺たちは北神流の武者修行者。もっと、強い者にしか興味ありませんって顔をしていなければ。じゃなきゃ、せっかくの変装が台無しだ。
「先に宿を取る。クレイ、ドーガ、いいな?」
「おう」
「……うす」
御者台のドーガはいつも通りだが、シャンドルは打ち合わせ通り、きっちりとロールプレイしている。
シャンドルがリーダーとして動くことで、俺の存在も隠れる。俺はシャンドルの弟分クレイ。職業は戦士だ。よし。
「シャンドル。到着祝いだ。宿が決まったら、景気付けに酒場でパァッとやらねえか?」
「ハッ、てめぇは普段ロクなことをしねぇが、たまにそういうイカした意見を言いやがる。ドーガも見習えよ」
「…………うす」
そんな会話の後、俺たちは宿へと向かった。
酒場に入った瞬間、少々の違和感があった。
「……ん?」
今までの酒場とは違うと、そう感じた。
とはいえ、見える範囲では、普通の酒場だ。冒険者が多め。町人もそこそこいるか。
客の二割程度が鬼族だが、それが違和感の正体というわけではあるまい。多数の種族がひしめいている酒場なんて、珍しくもない。
じゃあ、なんだ?
特に視線が集まっているわけでもない。おかしな奴がいるわけでもない。おかしな物があるわけではない。でも違和感はある。
「どうしたクレイ?」
「何かおかしくないか? この酒場」
彼は周囲を見渡したが、俺が感じたような違和感は感じなかったらしい。
「……わかりません。やめておきますか?」
シャンドルが小声でそう提案してくる。
「いや、違和感の正体を知りたい」
「了解です」
シャンドルはそう言うと、やや無警戒とも言える足取りで酒場へと入っていき、空いているテーブルへと着席した。
ドーガに押されるように、俺もそれに続いた。
ドーガが椅子に座ると、椅子がギッと音を立てて軋んだ。
この酒場の椅子、妙にでかくて頑丈だ。
魔導鎧を着て椅子に座る時は注意しなくてはいけないが、これなら普通に座っても大丈夫そうだ。
違和感の正体はコレだろうか。いや、まさかな。
「こいつで適当に頼むぜ、料理と、酒と、このへんの事情に通じてる奴を紹介してくれ。早くな、こっちは長旅でクタクタなんだ。あー、そっちの大男には酒とは別のを出してやってくれ。果実を絞ったやつか、家畜の乳……なけりゃ水でいい」
俺が椅子を気にかけていると、シャンドルが店員に対して銅貨を四枚ほど放っていた。
「はーい、まいどー」
む、店員も鬼族だ。鬼族の女性。女性だからか、男の鬼族よりほっそりしてるな。
背は高めで胸がでかい……が、全体的により人間っぽい。もしかして、ハーフだろうか。違和感……これじゃないな。
「だーかーら、キョロキョロすんじゃねえって言ってんだろ」
「……悪い」
シャンドルに頭をこづかれた。
「でも殴るこたねえだろ」
「なんだぁ? お前、俺に逆らうのか?」
口調は乱暴だが、シャンドルの目は俺を威圧するものではない。
単に、今の俺の態度が怪しいから注意しろ、と言っているのだ。
「いや、そうじゃねえ……けどなんか、そわそわすんだよ」
「そわそわ? 嫌な予感か?」
「嫌……じゃ、ないな」
この違和感、嫌な感じはしない。
むしろ、俺は、これをずっと探し求めていたような気持ちすらする。
まさかとは思うが、この場にギースやルイジェルドがいるというわけでもあるまいが……。
はやくこの感じの正体を確かめたい。そう思うと、ついついキョロキョロしてしまう。
酒場の中は、喧騒にあふれている。どこにでもあるような酒場だ。笑い合う者、いがみ合う者。
大体が酒を飲み、料理に舌鼓を打っている。料理だって、さほどおかしなものではない。どこにでもある川魚の煮物だ。
だが、何か、俺の頭が違和感を伝え続けている。
他の酒場にはないものが、ここにはある。
「お前らか、情報を聞きたいってのは」
俺が周囲を見ていると、テーブルに一人の男がついた。
人族だ。ねずみのように小狡そうな顔をした男だ。
「あんたがこの辺の事情通かい?」
「おう、この町のことならなんでも知ってる。冒険者パーティの数、行商人の仕入れルート、武器屋の店主の不倫相手までな」
「んじゃ、いろいろと教えてくれ。この町には来たばっかでな、トラブルは避けてぇんだ」
シャンドルはそう言いつつ、男に銅貨を数枚、握らせた。
「こんなんじゃ、大したことは教えられねぇな」
「今は大したことが知りたいわけじゃねえ。でもまぁ、あんたが本当に顔の広い事情通だってわかったら、仕事の仲介を頼んだりするかも……なぁ?」
シャンドルに話を振られたので、不敵に微笑んでおく。
今の俺の顔はルード傭兵団所属の強面になっているはずだから、そこそこ凄みはあるはず。
「ハッ、おっかねぇこった」
事情通の男は俺の笑みに肩をすくめ、シャンドルへと向き直った。
ひとまず、違和感については置いておくか。
「で、何が知りたいんだ?」
「俺らが知りたいのは、この町の常識、縄張り、地理、敵に回しちゃいけない相手ってとこか……ああ、それから、この辺で何か仕事の種になりそうなことが起きてたら、教えてくれ」
「ああ」
いきなりギースのことは聞かない。
がっついてはいけない。俺たちはあくまで武者修行者。傭兵まがいの荒くれ者である。魔族の小物に用はないのだ。
「常識たって、大したルールはねえ。国の法を守ってりゃ、それなりに生きていける都市さ。あぁ……でも鬼族が多いからな。そのへんには注意しろ。この国の人間は、鬼族と親密だ。あんたらが敬虔なミリス信徒でも、鬼族への悪口は心の内に秘めておくこった」
「言ったらどうなるんだ?」
「欲しいものが売ってもらえなかったり、宿を取れなかったり。この酒場だって、女将が鬼族だ。出禁にされたり、腐りかけの飯を食わされたりしたかねえだろ?」
鬼族は良き隣人。
ゆえに悪口を言えば、鬼族より人族が怒る、ということだろう。
シャリーアも、他種族に対してはかなり寛容な感じだが、区別はされている。ここほど混ざり合って暮らしているわけではない。
「地理は……ざっくり説明すると、北に行けば首都、南に行けば村が一つある。名もなき小さな村だが、木こりが数人、常駐しているから、魔物に対しては強いな。南東には迷宮もある。詳しい位置は……別料金だ」
「教えてくれ」
シャンドルはさらに銅貨を数枚、差し出した。
迷宮の位置を聞き出した。行くつもりはないが、知っていて損はないだろう。迷宮の場所について知った後、話が戻る。
「敵に回しちゃいけない相手ってのは、さっきも言った通り、鬼族だ。この国では、鬼族は人族と同じ扱いを受けてるからな。あとは……あ、そうだ。敵に回しちゃいけない相手じゃないが、近寄らないほうがいい場所がある。地竜の谷だ」
地竜の谷。
重要なワードが飛び出してきた。ルイジェルドが発見されたというのも、その谷の近くの村だって話だ。
「谷は深い森の奥にあるんだが……その森は『帰らずの森』って呼ばれていてな、大昔から、目に見えない悪魔が出没するってんで、立ち入りを禁じられている」
「目に見えない悪魔?」
「まぁ……見えない悪魔は、いわゆる子供相手の迷信みたいなもんだ。地竜の谷には、名前通り地竜が棲みついている。ヘタに冒険者があの森に入り込んで、棲家を荒らしてみろ。怒り、猛った地竜の群れに、国ごと潰されかねない……ってことで、立入禁止になったんだろう」
と、そこで男は思い出したように眉をひそめた。
「でもな。最近……っても一年ぐらい前なんだが、帰らずの森から悪魔が出てきた、なんて噂が広がってな」
「ほう」
「この町の領主が、調査団を組織して、森の中を調査させたんだ。でも、調査隊は予定の日数を過ぎても、帰ってこなかった。見えない悪魔にやられたのか、いいや、地竜の巣に飛び込んでしまったんだ、まさか、単に魔物にやられただけだ……と、いろんな噂が流れた。でも、全滅したわけじゃあ、なかった。第一次調査隊の生存を諦め、領主が次の調査隊を送り込もうとした時だ。一人、ひょこっと帰ってきたんだよ」
そこで男は、やや前傾姿勢になりつつ、真顔で俺の方を見てきた。
なんか、雰囲気がホラーっぽいぞ。俺じゃなくてシャンドルを見ろよ。
「でも、その男は正気を失っていた。よほど怖い目にあったんだろう。何があったと聞く領主に対して、うつろな目で『悪魔がいた、悪魔が……』と呟くだけ。その様子を見て、領主もなんだか怖くなってしまったらしくてな、それ以降、調査団を送り込むことはやめにした。調査団は地竜に食い殺されたことにして、緘口令を敷いて、この事件のことを他言することを禁じた……。真実は闇の中、未解決事件の一つとして、処理された。これが……半年前のことだな」
「……」
「で、それで終わればよかったんだが。最近になって、その話が王様に届いちまったんだ。王様は言った。『近くに村もあるというのに、何もわからぬまま放っておいていいものか!』ってな。王様は討伐隊を組織することを決定した。で、現在、首都の方で腕に覚えのある奴らが集められている」
そこで、男は顔を上げた。
「ってわけだ。悪魔の正体を突き止め、討ち取った者には特別報酬としてビヘイリル金貨十枚も出るって話だ。あんたらの仕事の種になりそうな話だろ?」
なるほど、目に見えない悪魔、か。
俺の聞いたルイジェルドの目撃情報と少し違うが……。
こういうことかな?
まず、ルイジェルドが何らかの目的で村に行ったところ、悪魔と指をさされた。
『帰らずの森の近くで悪魔が出た』。それが『帰らずの森には見えない悪魔がいる』という情報と混じり、『見えない悪魔が森から出てきた』という情報となった。
噂には尾ひれと背びれがつく、情報がねじ曲がったのだ。
傭兵団の情報網は、混ざる前の情報を運良く手に入れられた。元々ピンポイントでそういう相手を探そうとしていたってのもあるだろう。
もっとも、逆もありうる。
『本当に見えない悪魔が出てきた』→『悪魔といえばスペルド族』→『そういえば、出てきた奴は緑色の髪だったような気がする』という流れで……。
いやまて、でも、それだと薬を買っていた、なんて情報はどこからも出ないな。
まぁ、噂にどんな尾ひれがついてもおかしくないが。薬云々は噂と結びつかない。
しかし、ルイジェルドなら、相手に気取られず、調査隊を全滅させることもできるだろう。
なぜ、そんなことをする?
見られては困るもの、知られては困るものが、森の中にあるってことか?
「なるほどな……そりゃ面白そうな話だ。なぁクレイ? お前もそう思うだろう?」
「そうだな、悪魔か……確かに面白い。報奨金の金貨十枚ってのもいい」
適当に答えるが、俺の頭は別のことで一杯だ。
何にせよ、森には行ってみなければいけない。
これだけ情報が出ていて、ルイジェルドと無関係とは思えない。
「でも、討ち取った者に、ってんなら早い者勝ちだろう? 恐らく、パーティごとの参加って形になるはずだ。俺らは冒険者じゃねえからな、もし参加するんなら、サポートが欲しいところだな」
シャンドルが目配せしてきた。わかってますって。
「そうだな。探してもらうか」
「よし。情報屋。追加料金だ」
シャンドルは、さらに銅貨を数枚、男の前に積んだ。
「シーフを一人、探してくれ。条件としては、冒険者としてできることの多い奴で、情報収集が得意であればあるほどいい。戦闘能力は低くていいな。俺らが戦うからな。報酬は……どうするか。めんどうだな、見つけたら俺らの方から出向いて交渉しよう」
「期限は?」
「討伐隊ってのの締め切りに間に合えばいいが……まだ先の話なんだろう?」
「一ヶ月は先だな」
「じゃあ、ひとまず十日後、またこの酒場でってことで、どうだ?」
「よし、任せときな」
男は銅貨を受け取ると、そそくさと懐に入れ、サッと立ち上がり、酒場の喧騒へとまぎれ、あっという間に消えていった。
見事だ、シャンドル。森の情報を得て、ギース捜索の手を伸ばした。北神の情報は聞けなかったが、話の流れ上、仕方ないところだろう。俺も、もうちょっとこういう手腕を見習いたいところだ。
「やりますね」
「妻が、こういう交渉が得意でしてね。近くで見ているうちに、自然とできるようになりました」
結婚してたのか。じゃあ、なおさら、家に帰してやらないといかんな。
っと、いかん、口調が。
「こほん。で、この後どうする?」
「情報待ちだが、十日も何もしねえのは暇だな……どっか、足でも延ばしてみるか。ドーガ、お前、どっか行きたいところないか?」
「…………木こり、見たい」
「じゃあ、ちょっと偵察がてら、南の村にも行ってみるか」
と、話し合いで決めたように見せかけているが、もちろん南の村に行くことは最初から決めていたことである。
十日……先ほど聞いた感じだと、村まではせいぜい一日やそこらといったところか。
明日は午前中に魔法陣や通信石版を設置して、村に移動。
明日か明後日には森に入り、五~六日ほどかけて森の中を捜索。その後、戻ってきて、情報屋からギースの情報を聞き、調査内容を石版を使って連絡、という形でいくか。
「はい、お待ちどうさまです!」
なんて考えていたら、料理がきた。
魚の煮物に、酒も一緒だ。
ドーガの前には、何やら黒っぽい液体が置かれた。何のジュースだろう。あまり美味しくなさそうな見た目だが興味はある。あとで飲ませてもらうか。
さて、この切羽詰まった状況で飲んだくれるつもりはないが、酒場に来て飲まないというのも、また目立つ行動だ。
一杯だけ。
「それじゃ、俺たちの成功を祈って」
「乾杯!」
「……乾杯」
杯をあわせ、グイッと一口。辛めの液体が口の中に広がり、喉がカッと熱くなる。
だが、後味はまろや──。
「──ブゥッ!」
ドーガが黒い液体を吹き出した。
「ゲホッ……ゲホッ……」
「えっ!?」
周囲が何事かとこちらを見てくる中、ドーガは咳き込みながら俯いた。
俺は慌てて彼の背中に手を当てて、解毒を詠唱する。しかし、ドーガは地面に向かって口を開け、ダラダラとよだれを垂らしている。
「おい、しっかりしろ!」
くそ、なんだ、何を飲まされた!?
毒か!? やっぱり、さっきの違和感! 何かおかしいと思ったんだ! 未だ何がおかしいかわからないけど……!
解毒は効くのか? 落ち着け、こういう時こそ落ち着け。
まず、この飲み物の毒がわかれば……。
「てめぇ、何を出しやがった!」
「あっ、すいません!」
シャンドルが店員に詰め寄る中、俺は努めて冷静になろうと、ドーガの飲みかけの杯に手を伸ばす。
そして、まずは手で仰いで、匂いを確かめる。
…………あれ? この匂い、もしかして。
「人族の方だったんですね……体が大きいから、てっきり鬼族の方だと思って、間違えちゃいました」
「だから、何を飲ませたか聞いている!」
俺は指に液体をつけて、ナメてみる。
この味、やっぱりだ。
「えっと、豆から作る飲み物で鬼族の好物なんですけど、人族の方には刺激が強すぎるので、いつもは薄めて出すんです……大変申し訳ありません!」
「毒じゃないんだな!?」
「えっと、人族の方があんまり飲みすぎると毒にもなりますけど……でも、一口ぐらいなら」
「くそっ! おい、ドーガ、大丈夫か! おい!」
シャンドルが慌てる中、俺は平静を取り戻していた。
思えば、俺はこの酒場に入った時から、ずっとこの匂いを嗅いでいた。
恐らく魚の煮物にも使われているのだろう。違和感の正体だ。同時に、この飲み物の正体もわかった。確かに、飲みすぎると毒だが、一口目だった上、ドーガはほとんど吐き出した。
まぁ、少し気分は悪くなるだろうが、大したことはなかろう。
「……」
俺はもう一度、黒い液体を指につけて、ナメた。
うん。
そう、これだ。間違いない。俺が間違えるはずもない。
これ、醤油だ。
第三話「探し求めていた者」
前回までのあらすじ!
俺ことルーデウスはその場で即座に金を出して醤油の小瓶を購入し、先を急いだのである!
翌日。第二都市イレルの郊外に行き、転移魔法陣と通信石版を設置した後、ルイジェルドが目撃されたという村に向かった。
ビヘイリル王国、地竜の谷の近くにあるという村は、第二都市イレルから半日の距離にあった。
『地竜谷の村』とか『帰らずの森の村』と呼ばれているが、国の定めた正式名称はマーソン村だ。
とはいえ、マーソン村と言っても通じないことが多いらしいので、もう『地竜谷の村』でいいだろう。
何もない村だ。
特産品があるというわけでもなく、観光地があるというわけでもない。
森の木を切り出し、森の近くにある栄養のある土を使って野菜を作ってはいるが、フィットア領のブエナ村のように、何かを作るために人を集めて作られた村ではない。
元々、ここに住んでた人たちがいて、それがビヘイリル王国の傘下に入った。
そんな感じだろう。国ではない、人が先なのだ。
家と家の間隔も空いており、寒々しく、人気はなく、閑散として……は、いなかった。
俺たちが到着した時には、寒村とは思えないほど、人の気配があった。
村人ではない。明らかに村の人間ではない風体をしている者たちが、村の入り口にたむろしていた。
鎧姿で、腰には剣。冒険者だろうか。いや、冒険者にしては、剣呑な雰囲気だ。傭兵か、あるいは賞金稼ぎか。
「シャンドル、これは、抜け駆けしようとしてる奴が多いってことか?」
昨日の酒場での出来事に加えて、移動中の手際。シャンドルは、使える男だ。
今まで、彼の有用性に関しては、半信半疑だったが、これならオルステッドが俺に付けたのも頷ける。こうした場面では、常に意見を聞いていきたい。
対するドーガの方は、あんまり役に立たない。お荷物というほどではないが……今のところ、ついてきているだけという感じだ。
まあ、俺も人を品定めできるほど偉くはない。どこかで何かの役に立ってくれることだろう。
「いや、下見に来ただけだろう。今のうちから情報を集めておけば、開始直後に有利だからな」
「でも、抜け駆けをして、先に対象を狩ろうって奴もいるだろう?」
「いたとしても、そう多くはねえよ。国が音頭取ってる討伐依頼だ。先走って悪魔を狩れたとしても、報奨金が出ねぇ可能性すらあるんだ」
討伐隊に参加し、国の騎士団か何かと一緒に森に入り、悪魔の正体を確かめ、倒し、安全を確保する。そこまでやって、初めて報奨金が手に入るのだ。
とはいえ、横並びでは、特別報酬を得られるかどうかは運の勝負になってしまう。運ではなく、しかるべきタイミングで一歩前に出て一位を掻っ攫う。そのための下調べだ。
「俺らには、関係のないことだな」
「まったくもってその通り」
シャンドルと笑いながら、村の奥へと入っていく。
宿らしき建物に広場。閑散とした村とは思えないほど大勢の人間が集まっていた。
みんな必死だな。
でも人が多いのは都合がいい。
この集団にまぎれつつ、情報収集をするのもいいだろう。
「出ていけ!」
なんて思っていたら、いきなり退出勧告ですよ。
いや、もちろん、俺が言われたわけじゃない。声は、広場の端から聞こえた。下調べの連中が何人か、嫌そうな顔をして広場から離れていく。見ると、杖をついた老婆が、大声を張り上げているところだった。
「帰れ! この森からは、悪魔など出てこん! 森の民が守ってくださっとる! 森の民を害する者は帰れ!」
老婆はヨタヨタと杖をつきながらも、たむろしている男たちに近づいていき、その体を打ち据えていた。
ビシッと、ここからでも聞こえるほど、大きな音が響いた。
「てめっ……」
「おい、やめとけって、問題起こしたら鬼族に……」
「チッ」
叩かれた男は怒りを露わに剣を抜こうとするが、仲間と思しき男に止められ、足早に逃げていった。
老婆はそれを無理に追いかけなかった。喚きながら、広場にいる別の連中を蹴散らしている。
男たちは老婆から離れるように、散っていく。
なんだあれ。
老婆は広間から人がいなくなったのを見て……あ、こっち見た。
どんどん近づいてくる。
「帰れ!」
老婆の杖が俺の鎧に当たり、カーンと音を立てた。
ダメージはない。突然の老婆の攻撃にも安心。アスラ印のフルアーマー。
「森を荒らしちゃいかん!」
老婆は喚きながら、俺の鎧をカンカンと叩いてくる。
「おばあちゃん、落ち着いて」
「なんが悪魔じゃ! 森の民にあんな世話んなっといて! 助けを求めてきたら殺すのか! ひとでなしが!」
老婆は非常に興奮状態にあり、俺の話を聞いてくれる様子はない。
とはいえ、気になる単語が一つ。
森の民。新たなワードだ。その点について、詳しく聞きたい。
「森の民というのは……?」
「森の民がいなくなってみぃ、悪魔が出てくるぞ!」
森の民がいなくなると、悪魔が出てくる。
となると、森の民とやらが、悪魔を封じ込めているということだろうか。
「森の民と悪魔は、別の存在なんですか?」
「当たり前じゃ! 悪魔と森の民を一緒にするな!」
「クレイ、やめとけよ。この婆さんが正気とも限らんぞ」
シャンドルの制止が入る。確かに、正気の人間は、見ず知らずの相手を杖で叩いたりなどしない。
しかし俺は老婆の話を聞いておきたい。
「わしは正気じゃ! 森の民はおる! わしは若い頃! 迷い込んだ森の奥で助けてもらった! それよりずーっと昔、わしのひいじいさんも助けてもらった!」
若い頃っていうと、少なくとも二十年か、三十年以上は前だよな。
少なくともこの老婆、六十は軽く超えてそうだし。
で、そんなばばあのひいじいちゃんというと、軽く百年は前だろう。
でも、ルイジェルドと俺が別れたのは、せいぜい十年前。
じゃあ、もしかして、ルイジェルドとは関係ない、のか?
でも……あ。
「森の民は悪魔ではない! なんでわからんで殺そうとする! アホウが! アホウは帰れ! アホウが! ハァ……アホウ……ハァ……ハァ……」
老婆は、しばらく俺の鎧を叩いていたが、やがて息切れして、へたり込んでしまった。
「おばあちゃん、詳しい話を聞かせてくれませんか」
落ち着いたのを見計らって、俺は老婆に笑いかけた。
ルイジェルドはいないかもしれない。
だが、もしかすると……。
「俺は森の民と友人かもしれない」
森には、ルイジェルドが探し求めていた、スペルド族の生き残りがいるかもしれない。
★ ★ ★
憤懣やるかたなし。
老婆の態度はまさにそれだったが、先ほどよりも落ち着いて話をしてくれた。
結論から言うと、ルイジェルドか、他のスペルド族か、それはわからなかった。
だが、現在ビヘイリル王国で起きている事件の流れのようなものは、なんとなくわかった。
森の民。老婆が生まれる前から、帰らずの森にはそう呼ばれる種族が住みついていたそうだ。
彼らは滅多に森の外には出てこない。しかし、稀に、ごくごく稀に、村の人間が森の中で迷子になったり、魔物に襲われて死にかけている時に出てきて、助けてくれる。
老婆も含め、村の住人は森の民が何なのかは知らないが、村には、こんなお伽話が伝わっている。
大昔、まだ魔神との戦争が終わってすぐの頃。
帰らずの森には、目には見えない悪魔が生息していた。
悪魔は夕暮れになると村にやってきて、家畜や子供をさらって食ってしまう。
村人は悪魔をどうにかしたいと思いつつも、姿の見えない相手にどうにもできず、怯えて暮らしていたという。
そこに現れたのが、森の民だ。
森の民は、村人に対し、こう提案した。
『悪魔をなんとかする代わりに、森に住むことを許してほしい。でも、決して我々の存在を他に知らさないように』
村人はそれを承諾し、森の民は森の奥へと入っていった。
森の民がいかにして、悪魔を退治したのかは、わからない。
以降、悪魔が森から出てくることはなくなった。今でも森を守ってくれているのだ。
それを受けて、村の子供は小さい頃から、森の民に感謝をしろ、でも誰にも言うなと教えられて育つらしい。
「そんな森の民の森を荒らすなんて、とんでもねえことだ」
老婆はそう締めくくった。
「なるほど、ありがとうございました」
彼女の言ってることが本当かどうかはわからない。昔話なんてのは、大半が作り話だ。
だがここで、森の民をスペルド族だと仮定してみよう。
スペルド族の額には、第三の眼がある。あらゆる生き物を感知する、一種の魔眼だ。それを用いれば、目に見えない程度の魔物など、どうとでもなる。
うまいこと存在を隠しつつ、村と共存してきたスペルド族。
しかし、半年だか一年ほど前に、悲劇が襲う。病気か、あるいは怪我か。見えない悪魔とやらが大量発生して、抑えきれなくなってしまった結果かもしれない。
今まで姿を見せなかったスペルド族が、村に薬を買い求めに来たのだ。
その対応をした商人が誰だったかは、もはや誰も憶えていないが、しかし情報は流れた。
森からあからさまに怪しい奴が出てきた、と。
村人は彼らに対し、便宜を図ったはずだ。助けを求めてきた、という言葉が本当なら、だが。
それが、どうねじ曲がったのか。
昨日、酒場で聞いた話へとつながっていく。
『悪魔が森から出てきた。退治しなければいけない』
どこで何がどう動いて今の状況になったのか。一年前のことだから、ギースを疑うのは、さすがに早計だとは思うが……関係があってもおかしくはない。
とにかく、森の奥にはスペルド族がいる。
そんな確信が、俺の中に生まれた。
しかし、さて。
同時に疑問も生まれる。
なぜ、俺はそのことを知らなかったのか。
俺は、ずっとルイジェルドを捜してきた。それは、みんな知っているはずだ。
みんなだ。
例えばそう、オルステッドも。
……もしここに、そんな昔からスペルド族がいたというのなら、なぜ、俺はそれを、知らないんだ。
帰らずの森は、静かな森だった。
通常、この世界の森には、大量の魔物が生息している。
森の魔力濃度にもよるが、一日いれば一回は魔物に遭遇する。
特にトゥレントだ。トゥレントはこの世界のどこにでもいるが、特に森には多く生息している。
全ての森はトゥレントの巣だと思ってもいいぐらい、頻繁に遭遇する。
しかし、この森には、そうした気配がない。
本当に、静かだ。
生物の気配はあるが、魔物の気配がない。シンと静まり返る静謐な森。
わずかに鳥や小動物がいるのはわかるが、それだけだ。
まるで、悪夢の中にでもいるみたいだった。
「不気味ですね」
「ええ」
シャンドルもまた、この森に違和感を感じているようだ。
「……」
ドーガは静かだ。あまり不気味にも思っていないのか、周囲を見渡すこともない。
「……」
しばらく、無言で森の奥へと歩いていく。それに従い、次第に動物の気配も消えていった。
虫や鳥はいるが、小動物はいない。もちろん、魔物もいない。
さらに歩を進めると、木々が巨大になっていき、生い茂る葉が空を塞いだ。
薄暗い中、生きているのは自分たちだけではないかという錯覚が芽生え、時折聞こえる鳥の鳴き声で、ハッと我に返る。
今にも、見えない悪魔とやらが後ろから尾行してきているのではないか……そんな考えが浮かび上がり、背後を振り返る。
その度に、ドーガの朴訥とした目と視線が合って、気のせいかと前を向き直る。
「おや」
ふと、道端を見ると、見覚えのある石碑があった。
七大列強の石碑だ。昔は、この石碑のマークがどれ一つわからなかったものだが……最近は、大体わかるようになった。
相変わらず、順位に変動はないらしい。剣神は代替わりしたけど、マークに変更はなしだ。
「こんな所にもあるんですね」
「珍しいことではないでしょう。七大列強の石碑は、ある程度魔力の濃い場所にしか存在しませんからね」
「ああ……魔道具ですもんね」
しかし、よく知っているな。この手の魔道具が魔力の濃いところにしか設置できないこととかって、あんまり知られてないんだが。
でもまぁ、知る人ぞ知る情報ってわけでもないか。
「そろそろ日が暮れます。ここらで野宿をしましょうか」
「そうですね、では、ドーガ、薪を」
「……うす」
その日は、石碑の近くで野営をすることにした。
念のため、土砦でテントを作り、そこで休んだ。
翌日。
静かな森のさらに奥に進む。
そこで、ふとシャンドルが思いついたかのように言った。
「この感覚、赤竜山脈に似ていますね」
「というと?」
「竜を恐れて、他の動物が近寄らないのです」
人に対しては何も考えず襲ってきているようにも見える魔物だが、案外知能が高く、強い動物の縄張りに近づかないことも多い。
この森の奥には、地竜の谷がある。
地竜は言うまでもなく、強力な生物だ。
野生の生き物がそんな危ないところには近づかないってのは、自然の摂理である。
「シャンドルさんは、赤竜山脈に立ち入ったことがあるんですね」
「麓までですがね。あそこもこんな感じで、近づくにつれて動物の気配が減っていきました」
地竜は、谷の岩壁に棲家を作る。
基本的に谷からは出てこない。空を飛ぶこともないが、土魔術を使って穴を掘る。
性格もドラゴンにしては温厚で、縄張りを荒らさない限りは人間に襲いかかることもない。
また、不思議な性質を持っており、上から来る相手に対しては無頓着だが、下から来る相手には過剰に襲いかかる。
ちなみにオルステッド曰く、地竜は赤竜の天敵だという話だ。もっとも、生息域の違いすぎるこの二種が出会うことは、ほとんどないそうだが。
そんな相手にこれから近づいていくわけだが、危険は少ない。
とりあえず、谷底に落ちなければ大丈夫だ。
「お」
なんて話をしていたからだろうか。ふと、目の前が開けた。
森の中に、切り立った崖が唐突に現れたのだ。
底が見えないほどに深い崖。向こう岸までは、四、五百メートルといったところだろうか。
山の頂上にでも立ったかのような感覚に陥る。
俺も、あまり谷というものに詳しいわけじゃないが、この大きさはグランドキャニオンを思わせる。
「これが、地竜の谷かな?」
「でしょうね。どうします? 何事もなく、たどり着いてしまいましたが……」
「うーん」
俺は悩みながら、左目に魔力を込めた。
視界が開けているのなら、千里眼が使える。
ひとまず、谷底を覗き込む。まだ魔眼の使い方には慣れていないため、谷底まで何メートルかはわからないが、すぐに底が見えた。谷底では、青白く光る苔やキノコが生えていて、その近くを岩のような甲羅を持つトカゲのような生物が、ゆっくりと動いていた。
あれが、地竜か。
ドラゴンより、大王陸亀に似ている気がする。
あの甲羅があるから、赤竜に勝てるとか、上からの存在に対しては無頓着なのかもしれない。
ていうか、よく見ると、地竜は谷底より岩壁にたくさん張り付いているな、ちょっと気持ち悪い。
魔眼を戻し、次は谷の周囲を見回してみる。
右手側、見える範囲には、何もない。
やがて、崖と森で視界が遮られた。地図によると、地竜の谷は直線ということだが、湾曲しているようだ。地図に間違いがあるな。
左手側。
こちらも見える範囲には何も……あ、いやまて。
「吊り橋だ」
谷の幅が狭くなっているところに、橋が架かっていた。
「なるほど、向こう側ですか」
「行ってみましょう」
情報屋から情報を得られるまで、あとまだ七日ある。
帰りの日数を計算しても、あと一日か二日は奥に移動しても大丈夫だろう。
そう決めて、谷に沿って歩き出した。
吊り橋は、ボロかった。
谷の幅が狭くなっているところに、太い蔓を二本渡し、それに木板を載せただけ、という感じか。
手作り感のあふれる橋で、強度に不安が残る。
不安といっても、大人一人が荷物を持って渡るぐらいなら、どうにかなりそうではある。
「渡りますか?」
だが、魔導鎧を着用した俺がのったら、まず落ちるだろう。
谷底に落ちなければ大丈夫、と言われている場所で、落ちるような愚を冒すわけにはいかない。
「いや、この橋を渡るのは、やめておきましょう」
「では、戻ると?」
「いえ、別の橋を渡しましょう」
俺は、そう言いつつ、崖の端に立つ。橋が脆弱で渡れないなら、自分で作ってしまえばいい。
手から地面へ。魔術で土を起こす。
使う魔術は土槍を応用。
強度は俺がのっても問題ないほど。それを骨子として、向こう岸まで届くでっかい槍。
「……ほっ」
魔力を放出すると土槍が出現。
土槍は音もなく伸び、谷の向こう側に突き刺さった。音は聞こえてこない。
それを、三本ほど繰り返す。念のため、人がすれ違えるぐらいの幅にしておこう。
その上に、板を渡す。
これまた土の板。頑丈なやつを向こう岸まで。
最後に、橋の根元や裏側を土魔術で補強して、橋の完成だ。
手すりは……まあいいかな。
「見事ですね。話には聞いていましたが、ここまでとは……」
シャンドルの賛辞を浴びつつも、しかし油断はできない。
俺は橋の建築知識なんてないからな。叩いて渡るまではしなくてもいいだろうが、魔導鎧着用でのって壊れるようなら、作り直さなきゃいけない。
「とりあえず、ロープを」
俺は近くの木にロープをくくりつけて、そろそろと渡り始めてみた。
数歩歩いてから、トントンと橋を踏みつける。石橋はガッチリと俺の重量を受け止めていた。
これで落ちたら間抜けにもほどがあったが、これなら大丈夫そうだ。
一応、強度的に脆そうなところに補強を加えつつ、ゆっくりと渡っていく。
途中でロープが足りなくなったため、シャンドルの持っていたものを継ぎ足して渡りきった。
ロープが一本五十メートル程度で、かつ二つでギリギリ足りたところを見ると、長さは、百メートル弱というところか。ここだけ谷の幅が狭くなっているが、それでもこの広さか。
「よし」
俺は木にロープを結びつけ、谷の向こう側へと合図を送った。
シャンドルたちは、ロープを掴みながら、悠々と渡ってきた。
二人同時に。崩れるかも、とか思わないのだろうか。それとも俺が信用されているのかな。落ちたらすぐ助けないとな……。
「さて、参りましょうか」
なんて不安に思っていたが、シャンドルたちはあっさりと渡り終えた。
「しかし、ここからは、警戒しなければいけないようですね」
シャンドルは森の奥を見て、そう言った。
暗い森の奥。そこからは、今まで歩いてきた森とは、一つ、違いのようなものを感じた。
魔物の気配だ。
百メートルも進まないうちに襲撃を受けた。
最初は音だった。ガサガサと、葉っぱのこすれあうような音。しかし、同時に風も吹いていたため、近くに魔物がいるとは思わなかった。どこか遠くの方にいる奴が近づいてきている。
そんな感じだ。
まだ遠い。まだ大丈夫。そう思った次の瞬間、耳元で音が聞こえた。
「ウォフ……ウォフ……」
その音が聞こえた時、俺の鼻のあたりに、生臭く生温かい何かがむわりと掛かった。
すぐ真横の木の幹に、何かが、へばりついている。
と、思った瞬間、木が一瞬しなり、枝葉がガサリと音を立てた。
一瞬遅れて、何か、質量のあるものが、俺の後ろに落ちてきた。
「……!」
とっさに振り返ると、そこには仰向けに倒れたドーガが見えた。
ドーガだけが見えた。
だが、ドーガの頭は彼の意思とは無関係であるかのように小刻みに震え、ドーガの手は己の頭を操る何かを防ぐように、中空を掴んでいた。
そこに何かがいる。
そう思った瞬間、俺は魔術を使わず、ドーガの上にいる相手を、力の限り、ぶん殴った。
魔力で強化された魔導鎧の拳が、ドーガの上にいる相手を弾き飛ばした。
手に肉と骨の砕ける感触が残る。
ドーガの上にのっていた何かは、木の幹に叩きつけられ、赤い血を飛び散ちらせた。
血の色で何かの姿が露わになる。
四足獣だ。
詳細はわからないが、確かに足が四本ある。
俺は反射的に、そいつに岩砲弾をぶち込んで、トドメを刺した。
ほぼ同時に、ドンと俺の背中に何かが当たる。とっさに振り返りつつ、その何かに対して魔術を放とうとするが……。
「ドーガ! 立て!」
シャンドルだった。
彼が、俺の背中を守るように立っていた。
「……うす!」
ドーガが立ち上がり、背中から斧を抜きつつ、俺の真正面についた。おい、前が見えねえよ。
「見えない相手だ! 数不明! ドーガ、目に頼るな、音を聞け! 目の前の相手だけ対処しろ! ルーデウス殿は魔術を! 範囲魔術で焼き払って!」
シャンドルから鋭い指示が飛ぶ。
さすが騎士団長と言うべきか、判断が早い。お飾り団長ではないらしい。
言われるまま、俺は両手に魔力を込める。
使う魔術は火がいいか。いや、森で火はまずいだろう。消火は二度手間だ。
水魔術でいく、フロストノヴァ。
「…………う!」
俺が魔術を発動する寸前。ほんの一瞬である。

ドーガが目の前で動いた。
巨大な斧が振り切られる。
深い森で振り回された巨大な戦斧は、木の幹を砕きながら振り抜かれる。
だが、手応えらしきものはない。木片が飛び散る中、ドーガの脇をすり抜けて、何かが俺に接近するのを感じ取る。
魔導鎧は重く、硬い。
恐らく魔物の突進や爪、牙を受けても、傷ひとつつくまい。
瞬時にそう判断し、そのまま魔術を発動しようとして……。
「ルーデウス殿!」
俺はシャンドルに突き飛ばされた。
何だ、と思う間もない。
気づけば、俺の脇に、槍が突き立っていた。槍は中空に突き立っているように見えたが……違う、透明な何かを地面に縫い付けていたのだ。
白い槍だ。
とても白い、白亜の槍。何かの生物の骨のように白い槍。
ああ、なんと懐かしい槍だろう。
そして、槍を回収するかのように、一人の男が地面に降り立った。
緑色の髪。病気のように白い肌。ポンチョのような民族衣装。
ああ、間違いない。
背を見ればわかる、俺が彼を間違えるはずがない!
「ルイジェルド!」
俺は身を起こし、手を大きく広げながら、そう呼んだ。
彼は槍を手に、俺へと振り返る。
「ん?」
「…………あれ?」
知らない顔だった。
美形で、ルイジェルドっぽい感じではあるのだけど、しかし違う。俺のルイジェルドはもっとこう……顎のあたりがこう……。
「すいません、間違えました」
なんか。
すごいガッカリ感。別のスペルド族がいるというのは、ある程度予想していたことではあったが……コレジャナイスペルド族。
やばい、思いっきりルイジェルドとか叫んじゃったせいか、顔が熱い。
「……ルイジェルドを知っているのか?」
俺の知らないスペルド族の男は、不思議そうな顔でそう言った。
あ、でもそうか。彼もスペルド族なら、ルイジェルドのことは知っているか。そして、仮にルイジェルドじゃなかったとしても、問題はないのだ。
うん。今、ビヘイリル王国で起きている問題的にはね、何もね。うん。
「え? あ、はい。仲間……いえ、友人……恩人かな?」
「彼の客人か。なら、ついてくるがいい。会わせてやる」
男はそう言って、踵を返した。
「えっ……ちょっと待ってください、いるんですか?」
「いる」
呆然とする俺に、そのスペルド族は当然のように頷いた。
第四話「スペルド族の村」
その村は、ミグルド族の村によく似ていた。
村全体は二メートル程度の高さを持つ柵に囲まれていて、中には粗末なログハウスが立ち並んでいる。
ログハウスの近くには、さして大きくもない畑がある。
作物はミグルド族のものと違って、様々な野菜がよく実っている。土がいいのかもしれない。
さらに、ログハウスの裏では、獣が捌かれていた。
捌かれているのは、白っぽい毛皮を持つ四足獣である。あれが、見えない魔物の正体だ。
奴らは死んでからしばらくすると、透明化が解除されるらしく、先ほど俺たちに襲いかかった個体も、しばらくして色がついていた。
名前は『透明狼』というらしい。
まんまだな。
村の中央には泉があり、その近くには、大きな鍋を使って食事の用意をしている集団もいる。
やはり、ミグルド族と文化が似ている。
だが、一つだけ違うことがある。
ミグルド族の里では全員が、中学生ぐらいの見た目で青い髪の持ち主だったが……ここでは、全員が額に赤い宝石をつけており、エメラルドグリーンの髪を持っているのだ。
そう、スペルド族だ。
全員が。
そして、俺はここで驚きの新事実を発見してしまった。スペルド族はエメラルドグリーンの髪に、額に赤い宝石をつけているだけではない……美形なのだ。
全員が、例外なく、美形なのだ。
いや、この世界では、これよりもっと濃いめの顔が美形と言われることは知っているが。
でも美形なのだ。
もちろん、いわゆる細めのイケメンタイプだけではないが、全員、顔立ちが整っている。
あっちの方にいる、若いショートカットの女の子なんて、すげぇ可愛い。
ほっそりしてて、背はそんなに高くないけど、肩のあたりにしっかり筋肉がついてて、目元は気が強そうで、胸もそこそこ大きくて、エリスとシルフィの良いところを足した感じというか……。
いや、違うの、浮気とかじゃなくて、客観的に見てね。
美男美女の村。これは悪魔的だ。
森の民は悪魔だ。証明終了!
「恐ろしい村だ」
「…………うす」
俺の呟きに、ドーガが同意するように声を上げた。
先ほどから、ドーガは俺の後ろに隠れるように縮こまっている。どうやら、スペルド族が怖いらしい。アスラ王国の出身だというし、彼もスペルド族が悪魔だと聞いて育ったのだろう。
そこは否定してやりたいが……。
種族的にスペルド族が悪者ではないとはいえ、この村が俺たちを歓迎してくれているかどうかは別問題だ。
今はまだ、気休めを言うのはやめておこう。
「さて、どこに連れていかれるのでしょうね」
シャンドルは、あまり怖がっていない。
彼は紛争地帯の出身だから、あまりスペルド族のお伽話を知らないのかもしれない。むしろ、大勢のスペルド族を前にして、ワクワクしているようにも見える。
「どこも何も、ルイジェルドのところでしょう?」
「最初に目的のところに連れていってもらえるとは限りません」
「……なら、パターンとしては、村長のところじゃないですか?」
「パターンを言うなら、牢屋という形もありえますが……剣呑な感じはしていませんからね」
スペルド族の戦士は俺たちに向かって「ついてこい」と一言告げて、歩き出した。
俺たちは言われるがまま、のこのことついてきて、この村に到着した。
その間、会話らしい会話は行われていない。
「それにしても、村人に元気がないようですね」
言われてみると、確かに、スペルド族たちは元気がなさそうだ。
全員、どことなく顔色が悪いし、食事の用意をしながら、咳をしている奴もいる。
もっとも、子供は元気だ。尻尾を持つ子供たちが、はしゃぎながら追いかけっこをしていた。
そういえば、スペルド族の子供は尻尾があるんだったか……。
「村の規模に対して、やや人数も少ないようですし」
「それは、狩りに出ているのでは?」
「獲物を捌いているのに、狩りに出ているわけがないでしょう?」
「ああ、それもそうか」
今しがた、四足獣を捌いていたってことは、狩りから帰ってきているということだ。
村総出ではなく、個別に出ているのかもしれないし、あの獣も保存してあったものかもしれないが……。
「やはり、病ですかね」
なんとなくだが、風邪っぽいものが蔓延している気がする。
薬を買いに来た、という情報からの先入観もあるが……病気らしい何かはありそうだ。
マスクとかしといたほうがいいかな? 気休めだとは思うけど。
「こっちだ、早くしろ」
先を行くスペルド族にせっつかれつつ、俺たちは一軒の家に案内された。
集落の中では、最も古そうな家だ。しかし、この村の中で一番大きい。やはり村長パターンか。
「族長、入るぞ。ルイジェルドの客人を連れてきた」
スペルド族の男は一言そう告げると、家の扉を開けた。
家の中は広間になっていた。族長の家というより、講堂か会議場のような感じなのだろうか。
ともあれ、そこには五人のスペルド族がいた。
恐らく、五人とも老人なのだろう、俺をここに連れてきたスペルド族よりも、落ち着いた雰囲気を感じる。
もっとも、誰もが皆、緑の髪に白い肌で、美形だ。年齢はわかりにくい。
「む」
そして、そんな五人のうちの一人。
彼は俺が室内に入った瞬間、すぐに立ち上がった。
見覚えのある民族衣装。顔の傷。白い槍。見覚えのある鉢金。髪は伸び、もうスキンヘッドではない。
今度こそ間違いない。
「ルイジェルドさん!」
自然と笑みがあふれる。
懐かしさに、思わず駆け寄りたくなるが、ぐっと我慢して、数歩前に出るにとどめる。だが、俺の顔を見た彼は、怪訝そうな顔をした。
「ルーデウス……か?」
もしかして、忘れられているのだろうか。それはとても悲しいのだが。
「……忘れてしまったんですか?」
「いや、俺の記憶にある顔と違ったのでな」
「ああ! なるほど、これはちょっと、変装中だったものでしてね」
俺は指輪をはずし、元の顔を出して見せると、族長たちの中でざわめきが起こった。
しかし、あの顔でよくわかったな……と言いたいところだが、スペルド族の第三の眼のお陰か。
「そうか、久しいな」
「ええ、本当に」
ああ、懐かしい。
言いたいことがたくさんある。伝えたいことがたくさんある。エリスのこととか、パウロのこととか。
聞きたいこともたくさんある。この村のこととか、今まで何をやっていたのか、とか。
……いや、この村のことは見ればわかる。
ルイジェルドは、見つけたのだ。
ずっと探し求めていたものを、とうとう見つけたのだ。
「ルイジェルドさん……」
思わず涙が零れそうになる。
彼との思い出が蘇る。ルイジェルドと初めて出会った時のこと。出会った時、彼は一人だった。ミグルド族のところにいたり、俺たちと旅をしたり、一見すると一人には見えなかったが、一人だった。
でも、もうルイジェルドは、一人ではない。
「その、おめでとうございます。スペルド族、見つけることができて」
「ああ」
ルイジェルドは頷きながら、目を細め、笑みを浮かべた。
たくさんの仲間に囲まれるルイジェルド。
……周囲にいる四人はかなりいかついが、しかし囲まれるルイジェルドは幸せそうに見える。
「だがルーデウス……なぜ、ここにいる?」

おお、そうだ。感傷に浸っている場合ではない。今すべきは思い出話ではないのだ。
「話せば長くなります。聞きたいこともたくさんあります。少しお時間、よろしいですか?」
俺は会議場に座りつつ、真面目な顔でそう告げた。
「……族長、いいか?」
一番奥に座る人物は、他の四人より服装の模様が豪華に見えた。
彼が族長なのだろう。彼はルイジェルドの問いに、難しい顔をした。
「その人族は、信用できるのかね?」
「できる」
「ならば、聞こうではないか」
族長の許可を得て、情報交換が始まった。
俺のことを話す前に、ルイジェルドはここにたどり着いた経緯について話してくれた。
ノルンとアイシャを俺の元に届けた後の話だ。ルイジェルドはあの後、生き残っているスペルド族を探す旅に出た。彼はいくつかの国を転々としつつ、中央大陸北部を捜索するつもりだった。
しかし、町を出てすぐにバーディガーディに追いつかれたという。
「奴は言った、自分はスペルド族の生き残りがどこにいるのか知っている、とな」
ルイジェルドはその言葉に半信半疑だった。
だが、行くあてもなかったため、ひとまずその言葉に従い……バーディガーディとの二人旅の末、数年後にビヘイリル王国へとたどり着いた。
そしてここ、帰らずの森、地竜の谷の奥地で暮らしていた、スペルド族のところに案内されたという。
ルイジェルドはスペルド族たちに快く迎えられた。過去の戦争についてのことで、あれこれと話し合いや謝罪があったようだが、それも含めて、快く、だ。
ルイジェルドはこの村で生活を始め、安寧を手に入れた。
「しかし、村を疫病が襲った」
原因不明の疫病。
初期症状は風邪に似ているが、体から力が抜け、原因不明の震えが襲い、額の眼は曇り、やがて死に至る。当然、治癒魔術は効かない。
ルイジェルドは次々と倒れる村人を見て、治療法を探すために奔走した。
ルイジェルド自身も罹患していたが、しかし村を助けるために、震える体にムチを打って第二都市イレルまで足を延ばしたという。
そして、運良く行商人から薬を購入することに成功。
現在、村はなんとか回復に向かっているという。
「でも、森の外では、この森の悪魔が調査に来た者を皆殺しにした、なんて噂が広まっていますよ?」
「疫病が蔓延していた時、魔物が森の外へと出てしまったのだろう」
そもそも。
なぜスペルド族がこんなところに村を作ったのか……それは、地竜谷の村の老婆が話してくれたのと、ほぼ同じ理由であった。
数百年前。魔大陸から追われたスペルド族は、世界各地を転々としていた。どこに行っても迫害され、時には騎士団や軍隊にまで追い回される日々。スペルド族の難民は、平地を避け、森や山の麓を伝って、楽園を求めた。
人族がまず立ち入らない地、スペルド族が暮らしていける土地。そんな土地を求めて、どこまでも、どこまでも。
そして、見つけたのが、ここ、地竜の谷を越えた場所にある『帰らずの森』だった。
地竜の存在によって大型の魔物は近づかず、『見えない魔物』だけが生息する森。
無論、『透明狼』は、一般的な魔物と同じ程度には強い魔物ではある。透明化という最大の利点もあって、三匹もいれば並の冒険者パーティなら軽く全滅するほどの。
だが、見えない魔物はスペルド族の『眼』なら、簡単に見ることができた。そして、強いとはいっても、その強さは魔大陸で生きてきたスペルド族に遠く及ばない。家畜も同然であった。
かくして、スペルド族は帰らずの森に定住した。
無論、トラブルはあった。
いくら人が入ってこないような森といえども、近くに人里がある以上、絶対ではないのだ。
スペルド族が暮らし始めてしばらくして、森の近くに村が出来た。村人は頻繁に森に出入りするようになり、時に集落の近くまでやってくるようになった。その時、スペルド族の族長は、森の魔物を減らして村の方には行かないようにすると同時に、森で迷っている村人がいたら保護する、といった約束を取り付けたという。
村の言い伝えだと、先に住んでいたのが村人だという話だが……。
これが二、三百年ほど前の話だとすると、村の言い伝えの方が間違っているんだろう。
なにせ、こっちは約束を取り付けた人間が生きているわけだし。
とにかく、スペルド族は、村と適度な距離を保ちつつ、うまくやってきたという。
しかし、この疫病の騒動によって、均衡が破れた。
「国はこの村を滅ぼすつもりです」
その話を聞いて、俺はビヘイリル王国で流れている噂と、国がどうしようとしているかを伝えた。
「そうか……」
それを聞いた族長たちの顔に浮かんだのは、落胆の色だった。滅ぼすなら戦うまでだ、という闘志の表情ではなく、落胆。疲れきったようにうなだれ、諦めている顔。
「ここにも住めなくなるのか……」
「俺たちは、どこに住めばいいんだ……」
「あんな戦争がなければ……」
鎮痛な面持ちの族長たちに、ルイジェルドがすまなさそうな顔をする。
「すまん……」
ルイジェルドの謝罪に、族長たちは慌てたように首を振った。
「お前を責めているのではないのだよ、ルイジェルド。我々とて、当時ラプラスにつくのには賛成したのだ」
「恨んだこともあったが、あの頃は、誰もがお前たち戦士団を誇りに思い、戦いへと送り出していた。同罪だ」
「……だが、なぜ我々だけが、こんな目にあわねばならん」
「ラプラスは、なぜスペルド族にこのような仕打ちをしたのだ……」
やるせなさの伝わる声音は、誰を責めているわけでも、何かを悔やんでいるわけでもなかった。
ただ、自分たちの現状に諦めを抱いている男の声だった。
もうどうしようもない。逃げるしかない。そんな気持ちが、声から、態度から、伝わってくる。
四百年前の戦争。
それは人族にとって、大昔の出来事だ。だが、転移事件が俺にとって長く尾を引く事件となったのと同様、スペルド族にとってラプラス戦役は、未だ終わることなく続いている悪夢なのかもしれない。
「もしよろしければ、俺がビヘイリル王国と交渉しましょうか?」
思わず、そんな言葉が漏れていた。
「え?」
「俺は人族ですし、それなりに権威も持っています。スペルド族は今まで、森にいる危険な魔物を狩り、人族の村を守ってきました。それは、ビヘイリル王国を利することです。きちんと話し、説明すれば、森の片隅に住むぐらいは、許していただけるかと思います」
今、何をすべきかはわかっている。
ギースを打倒するのが、俺の仕事だ。ルイジェルドを仲間にするのは計画通りだが、せっかくギースに見つからないように行動しているのに、見つかるような余計なことをしていいのか。
そう思うところもある。
だが、じゃあ、スペルド族を見殺しにするのか?
俺は今まで、ルイジェルド人形や絵本を販売してきた。何のために。
ルイジェルドを助けるため、スペルド族の名誉回復に役立つと思ってだ。
もちろん、優先順位を間違えているかもしれない。今はそれをすべきではないのかもしれない。
でも、俺以外の誰が、今の状況からスペルド族を救えるというのだろうか。
「人族は我らを嫌っている。受け入れなどするものか」
「人族の中では、すでにスペルド族に対する嫌悪感は、薄れつつあります。ビヘイリル王国では、人族と明らかに姿の違う鬼族も受け入れられていますので、抵抗は少ないかと思います。このあたりでは、ミリス教もあまり影響力を持っていないでしょうし、俺の手勢で国内にスペルド族の良い噂を広めつつ、実際にスペルド族の方にも協力してもらえば、受け入れてもらえるかと思います」
矢継ぎ早にそう口にする。
少なくとも、ビヘイリル王国には、スペルド族を滅ぼす理由はない。
スペルド族がいなくなれば、透明狼が森からあふれ出し、村が一つ滅ぶ。透明狼の移動範囲はわからないが、場合によっては第二都市イレル周辺にも被害は出るだろう。
なんだったら、スペルド族について見て見ぬ振りをしてもらう、という形でもいい。
滅ぼすより、メリットはあるはずだ。
「もし、ビヘイリル王国がダメだというのなら、俺の知り合いの国に移住してもらう形でもいい」
アスラ王国は……厳しいだろう。あの国では、なんだかんだ言って、ミリス教が盛んだ。
だが、例えばアスラ王国の北の国境の外には広い森が広がっている。
あそこは、どこの国の領地でもない。
国内に住むわけでも、実害が出るわけでもないなら、国内のミリス教団も強くは言えまい。
さらにいえば、北の森にはアリエルとつながりのある盗賊の集団もいる。仲良くシェアフォレストしてもらうのもいいだろう。
アリエルのことだから、スペルド族をうまい具合に利用しようとするかもしれないが……。
「大丈夫、なのか?」
「そもそも、この男は信用できるのか?」
「ルイジェルドの知り合いならば……」
「しかし、言っていることは信じられん」
族長の周囲にいる者たちは口々に言い合いを始めた。ルイジェルドと同じ種族とは思えないほど賑やかだ。種族がら若く見えるので、青年団の会議にも見える。
こういう風景をビデオに撮って人族の社会に流布させれば、少なくとも悪魔なんかではないとわかってもらえると思うのだが……。
「今すぐに決められることではない」
話し合いの末、族長はそう言った。
確かに、いきなり現れた男が、いきなりそんなことを言い始めては、混乱もするし、決定もできないだろう。
「わかりました。人族は、今から十六、七日後には攻めてくると思います。今ならまだ交渉の時間もありますので、できる限り、お早めにお願いします」
もし、ここで交渉決裂となったとしても、俺がスペルド族の村を守ればいい。
「……わかった。数日中には結論を出そう」
族長たちはそう言うと、難しい顔で立ち上がった。
「あれ? まだ、俺が来た理由は話せてないんですが」
「我らも今の話を聞いて混乱している。そのうえ、もうすぐ日も落ちる。ひとまずは会議を終わりにし、整理をつけたい」
定時だったか。優良企業だ。
「客人に、寝床と食事を用意しろ」
「俺がやろう」
まぁ、俺が来た理由を話すのは、明日でも問題はないか。
どのみち、村の問題が解決しなければ、ギースやヒトガミと戦うことなんてできやしない。
順番だ。明日になって、なぜ俺がそんな提案をするのか、という話になった時に、改めて説明してもいい。
そう思い、俺は族長たちとの会合を終えた。
その晩、俺たちには村の空き家が一つ貸し与えられた。
ドーガはその家に引っ込み、シャンドルは物珍しそうに夕暮れ時の村を見物し始めた。
俺はというと、ルイジェルドの家にお邪魔させてもらった。
彼はこの村で相談役のような立場についているらしく、村の奥まったところにある家に住んでいた。
家。ルイジェルドの家。
見ているだけで、なんだか胸が熱くなる。もう、あてのない旅を続けながら、迫害され続ける日々を送らなくていいのだ。
ルイジェルドの居場所がここにあるのだ。たとえ、少しの間、留守にしたとしても、ここに帰ってくれば、暖かい寝床と、笑いかけてくる家族がいるのだ。
家ってのは、いいよな……あ、いかん、涙があふれそう。
「そこに座れ」
「はいっ!」
家の中は簡素だった。
構造はやはり、ミグルド族の家に似ているだろうか。囲炉裏のようなものを中心に毛皮が敷かれ、壁には衣類などが下がっている。家の中は三つに区切られており、ルイジェルドは物置と思しき場所に入っていった。
チャプリと水の音がするところには、水瓶や食料などが置いてあるのだろう。
もう片方はなんだろうか、寝室かな?
しかし、飾り気がないな。床には毛皮が敷き詰められているものの、壁は木目がむき出しだ。
壁に例の透明狼のトロフィーでも飾ればいいのに……。あ、あの壁に掛かっているのは、俺があげたロキシーペンダントだ。懐かしいな、まだ持っていてくれたのか。
しかし……広いな。
「あの、ルイジェルドさん」
「どうした?」
「この家に、お一人で住んでいるんですか?」
「ああ」
この大きな家に、一人暮らし。
ふと、俺は今の家に一人で暮らしていることを考えてみた。
寝室は今と同じ。地下室には、今と同じようにいらないものを詰め込む。台所と食堂、風呂は使うだろうが……リビングは、使わないだろう。それ以外の部屋も使うまい。今は、各部屋の主が好きなようにレイアウトしてある我が家の個室。その全てがガランと寒々しい部屋に変貌するのだ。
以前の俺なら、それでもいいと思っただろうが、今の俺には耐えられない。
「……結婚とか、しないんですか?」
「できると思っているのか?」
あ。しまった。そういえば、ルイジェルドは妻と子供を自分の手で……。
そりゃ、しないよね。
「すいません」
「謝るな。単に相手がいないだけだ。昔のことを引きずっているわけではない」
ルイジェルドは微笑みつつ、俺の前に座った。
「お前はどうしていた?」
ルイジェルドは、リラックスしているようだ。この距離感。こうなるのであれば、エリスを連れてくれば……。
いや、終わった後でいいのだ。生きていれば、いつだって会える。そして、全員で生き残るために、全員で行動中だ。
「長くなりますけど、いいですか?」
明日でもいい、とは思ったが、ルイジェルドにだけは先に話しておくか。
俺も、話したくてしょうがない。
「聞かせてくれ」
「はい」
俺は、ルイジェルドと別れた後のことを話した。妹たちのこと、パウロが死んだこと、ロキシーとも結婚したこと。エリスと再会し、彼女ともよりを戻したこと。そこまで、ルイジェルドは和やかに聞いていた。パウロの死については、少しだけ表情を曇らせたが、俺が特別悲しい表情をしなかったせいか、触れてはこなかった。
むしろ、触れてきたのはエリスについてのことだ。
「やはり、エリスは戦士の病だったか?」
「……あ~、どうでしょうね。未だに、それにかかっている気もします」
「それにしても、三人とも妻に娶るとは、お前らしいな。もう、子供もいるのか?」
「はい。四人ほど」
「そうか」
見てみたい、とは言わなかった。
だが、今度ちゃんと連れてこよう。特に、アルスだ。ルイジェルドには、俺とエリスの子供は見てほしい。
まぁ、それもこれも、ギースを倒してから、だな。
「ルイジェルドさん」
と、そこで俺は居ずまいを正す。順番は前後したが、ここからが本題だ。
「俺は今、龍神オルステッドの配下になっています」
俺は、現状について話した。
龍神オルステッドは、大昔からヒトガミと敵対していたこと。俺は最初、ヒトガミの側についていたが、ヒトガミは最初から俺を騙すつもりだったということ。
ヒトガミは俺の子孫が邪魔らしく、俺の家族を殺そうとしたこと。
だが、未来から俺が来て、すんでのところでそれが防がれたこと。
怒ったヒトガミにオルステッドと戦うことを提案され、それに乗ったこと。
オルステッドには敗北したが、彼は意外にいい奴で、ヒトガミの手から逃れることができたこと。
それ以後、オルステッドの配下として、ヒトガミに対抗すべく戦いを続けていること。
現在は八十年後に復活する魔神ラプラスを倒すべく、人材を集めている最中だということ。
戦い自体は順調だったが、ギースがヒトガミの側についてしまったこと。
ギースの手紙。ギースがビヘイリル王国にいるらしいということ。
ギースを止めるべく、ビヘイリル王国の全土に、信頼できる仲間を送り込んだこと。
そのあたりを、包み隠さず伝え、最後に言った。
「ルイジェルドさん。将来、ラプラスと戦うと決まってから、ずっと捜していました。俺に力を……いえ、俺と一緒に戦ってください」
頭を下げ、願う。ルイジェルドも、ラプラスに恨みを持つ人物だ。
「……」
ゆえに、俺は当然のように、快い返事がくるものと夢想していた。
「…………」
だが、ルイジェルドは答えなかった。ただ苦々しい表情を作り、目を逸らした。
「え?」
断られる可能性なんて、考慮していなかった。
ラプラスの名前を出せば、ルイジェルドはいつものように無表情ながらも、時は来たとでも言わんばかりに「わかった」と頷いてくれると思っていた。
でも、違った。彼は、目を、逸らしたのだ。それは、拒絶を示していた。
その態度がノーと言っていた。
嘘だろ、と思う気持ちがあるが、そりゃそうか、と納得する気持ちもある。
だってそうだろう。
彼は、スペルド族を、同胞を見つけたのだ。
ラプラスに対する恨みはあろう。怒りも残っているだろう。しかし、彼の戦いは、終わったのだ。
ラプラス戦役の最終決戦に参加し、恨みの一撃を放った時に、終わったのだ。
ついでに言えば、今、スペルド族の村は大変だ。
それを解決する前に、安請け合いしてくれるはずもない。
「スペルド族の村のことですか? それなら、俺に任せてください。ルイジェルドさんと別れてから数年、俺も顔が広くなり、無茶もできるようになったんです」
「違う」
違うらしい。
だが、俺は諦めきれなかった。今すぐ返事が欲しいと思い、彼を説得するための材料を探した。
ラプラスがいなくなった後の彼の人生は、なんだったか。ルイジェルドが目指しているものは、なんだったか。
生き残ったスペルド族を守る? ようやく見つけた同胞を守る?
それもある。
だが、もう一つ、大きなものがある。
「なら、スペルド族の名誉回復のことですか? ラプラスとの戦いには、アスラ国王や、ミリスの神子も参加しています。彼女らと肩を並べた、という事実があれば、スペルド族の名誉回復も──」
「違う」
そこだろう、と思った俺の言葉は、いとも簡単に否定された。
「では、何が……」
ルイジェルドは無言で立ち上がった。殺気すら感じられる表情には、困惑と迷いが見える。
もしかして、俺の知らない、別の理由でもあるのだろうか。
「ルーデウス、ついてこい」
ルイジェルドは壁際に立てかけてあった槍を手に取り、入り口の方へと歩いていく。
俺は慌てて立ち上がり、それに付き従った。
長いこと話をしていたせいか、外はすでに真っ暗だ。
木々の隙間から月が覗いているものの、足元すら見えない。
ルイジェルドは村の外へと出た。
俺は手持ちのスクロールから灯火の精霊を取り出し、周囲を照らした。
ルイジェルドは明かりなど必要ないと言わんばかりに数分歩き、森の中にぽっかりと開けた広場で立ち止まった。
「ルーデウス」
「はい」
これから、きっと聞きたくない話を聞かされる。
そんな予感はあった。もしかすると、と頭の隅を不安な予感がよぎっている。
「先ほどの会議にて、一つ、嘘がある」
「……」
「族長も、戦士長も、嘘を真実だと信じている」
嘘。
「疫病は治ってなどいない。薬は効かなかった。回復などには向かっていない」
村の中で咳をしていた女性の姿が思い浮かぶ。
村全体から感じられる、病の気配。シャンドルがやけに少ないと言った村人の数も。
「今は、進行を抑えているだけだ」
「……どうやって?」
そう聞くと、ルイジェルドは額を覆う鉢金へと手をかけた。
「これだ」
鉢金の下から現れたもの。
それは、赤い宝石……ではなかった。
青だ。赤色だったはずの宝石が、真っ青に変化している。
さらにその周囲は、黒い文様で覆われていた。なんかこう、十四歳ぐらいの子が左手に描いてしまいそうな、そんな文様だ。
「それ、は?」
茶化す気になれないのは、ルイジェルドの雰囲気と、その文様から発せられる不気味な気配に気づいたからだろうか。
俺も昔に比べて強くなったせいか、他者の強さや危険性には敏感になった気がする……。
「今、俺の体には『冥王』ビタが憑依している」
冥王ビタ。
天大陸の迷宮『地獄』に住むという、ヒトガミの使徒候補の一人。
「冥王ビタは、己の分体を村の感染者に分け与えた。ビタの分体の力により、疫病の進行は抑えられている」
「ひょ、憑依って……大丈夫なんですか?」
「異常はない。ただ病気の進行と症状が抑えられただけだ」
「何か、言ってきたりとかは?」
「ない」
俺がオルステッドに聞いたのは、名前だけだ。どんな姿をしているのか、どんな思想を持っているのか、聞いていなかった。憑依とかするタイプだったのか。分体、ということは、分かれることができる生命体なのだろうか。あるいは細菌タイプなのか?
「でも、『冥王』ビタは、天大陸の迷宮『地獄』に住んでいるはず……なぜ?」
「村が窮地に陥った時、一人の男がビタの入った瓶を持って、俺の前に現れた」
「一人の男って……まさか」
「ギースだ」
そのまさかだった。
「ギースは、この先この国で大きな戦いがある、その時に力を貸してほしいと言った」
「……」
「俺は了承した。冥王ビタなどという、得体の知れないものに頼ることには半信半疑だったが、もはや打つ手はなかった。そして実際に病の進行は食い止められ、皆は助かった」
そして、ルイジェルドは自嘲気味な笑みを浮かべた。
「まさか、その戦いにおけるギースの敵がお前とは、思わなかったがな……」
心臓がバクバクいっている。
ルイジェルドが敵に回る可能性、少しは考えていたはずなのに。実際にそうなってしまうと、鼓動が止まらない。
「疫病は完治したわけではない。冥王ビタが死ねば、分体も死ぬと聞いている。そうなれば、村はまた、病に呑まれるだろう」
「……」
「俺は、お前と戦わなければならない」
ルイジェルドはいつものように、真面目くさった無表情で言った。
「無論、俺とてお前と戦いたいわけではない。お前がいなければ、俺はここまでたどり着けなかった。愚かな考えを持ったまま、魔大陸をさまよっていただろう」
「……俺だって、ルイジェルドさんには恩を感じています。戦いたくはない」
「戦わねばならん。こうしたことは、昔からあった」
「……でしょうね」
恩義を感じている者同士が敵になる。
やるせない気持ちのまま戦い、片方が死に、生き残ったほうは心に大きなキズを作る。
そんなことは、戦争の度にあっただろう。
でも、このケースは違うはずだ。どうしてもってことはないはずだ。
例外。そう、例外なはず。戦いを避ける方法があるはずだ。戦いを避けるには、戦う原因がなくなればいいはず。そう、原因が取り除ければ……。
原因はなんだ……? オルステッドとヒトガミ?
確かにそうだが、もう俺はオルステッドを裏切れないところまで来ている。
今は、ルイジェルドと俺との間のことだ。ルイジェルドが俺と戦わなければいけない理由。それは仲間、同胞のスペルド族だ。そのスペルド族がいなくなれば……いや違う。
疫病だ。
スペルド族を蝕む疫病。それを治す方法がわかれば、スペルド族ごと仲間になるはず。
「もし、疫病を完治させる方法がわかったら、裏切って俺の側についてはくれませんか?」
裏切って。
その言葉に、ルイジェルドは少しだけ厳しい顔をして、強い視線を向けてくる。
だが、俺はルイジェルドの視線から逃げない。
ギースが先にルイジェルドに唾をつけた。でも、ルイジェルドはそのことを俺に教えてくれた。
本当にギースの側についたなら、何も言わず、俺を殺せばいいのに、だ。
ルイジェルドも揺れているからこそ、こんなところに俺を連れてきて、話をしたのだ。
「……」
ルイジェルドは、口元を歪め、眉根を寄せて考えている。
俺は、彼とは仲間のつもりだ。彼も、そう思ってくれているはずだ。
しかし、同胞を助けてくれたギース、並びにそれを指示したであろうヒトガミへの恩義も感じているのだろう。律儀なルイジェルドのことだから。
「先ほども言いましたが、俺はヒトガミに裏切られました。スペルド族もそうならないとは、言い切れません。ギースも一度は裏切られ、自分の一族を皆殺しにされたと言っていました。その上で従っている、と。戦いが終われば、冥王ビタが勝手に離れて、どのみちスペルド族は滅ぶ、なんてケースもありえます」
こちらが恩義を感じても、最終的にヒトガミが裏切る可能性は高い。
ヒトガミは、そういうヤツだ。もちろん悪意のある憶測にすぎない。しかし、前例があることは言っておかねばなるまい。
「……」
ルイジェルドは黙っている。黙って、俺を見続けている。俺も彼を見続ける。
しばらくそうして見つめ合った後、ルイジェルドはゆっくりと口を開いた。
「もし、本当にそんな方法があるなら。いいだろう。俺もお前と共に戦いたい気持ちはある」
「ルイジェルドさん……!」
ほっと、息が漏れる。
よかった。このまま殺し合いにならなくて、よかった。
「だが、そんな方法があるのか?」
「オルステッドは、この世界のことには詳しいんです。彼に聞けば、あるいは」
でも、オルステッドは、教えてくれるのだろうか。
今まで、教えてくれなかった。ここにスペルド族がいることすら、教えてくれなかった。
いや、そのあたりも踏まえて、ちゃんと聞こう。
ルイジェルドと戦うかどうかは、その後に決めてもいい。
「とにかく、対策はあるはずです。それまで、敵になるなんて言わず、待ってください」
問題を先延ばしにする。あまり良いことではない。
だが、敵になるのは、対策がない、とわかってからでも遅くはない。
「オルステッドは、ギースが来る前に、一度来たことがある」
「え?」
唐突に言われた言葉に、俺は首をかしげる。
オルステッドが来た?
「いつ?」
「二年ほど前、最初の患者が出た頃だ」
「……」
「だが、ヤツは何もしなかった。無論、俺たちはヤツがお前とつながりがあると知らず、ヤツを追い払ったが……お前の話が本当なら、その時には、すでにオルステッドはお前の味方だったはずだ」
どういうことだ。どういうことだ?
「オルステッドは、本当に、信用できるのか?」
オルステッドは、スペルド族のことを俺に言わなかった。
わずかに、知らなかったという可能性もあったが、今の話が本当なら、その線は消えた。
信用。治す方法。できない、わからない。
「できます」
でも、俺はそう言った。
オルステッドは、今まで、ずっと俺によくしてくれた。もしかすると、今回のことも、理由があるのかもしれない。例えば、将来的にスペルド族がオルステッドの邪魔になるとか、だ。
だが、それも話し合えば解消可能なはず。少なくとも、オルステッドは村に来たのに、スペルド族を皆殺しにしているわけではない。もしかすると、そのつもりでやってきたが、そうしなかった。
そこには何か、思うところがあるのだ。
「オルステッドは、信用できます」
今まで、オルステッドと一緒にやってきて、それは間違いない。
確かに、ちょっと言葉足らずだったり、連絡が来ないこともあるが、ヒトガミを打倒するという目標に向かって動いているうちは、信用できる。
「あまりこういう言い方は好きじゃありませんが、オルステッドではなく、俺を信じてください。決して、スペルド族に悪いようにはしません」
「……」
ルイジェルドは後ろを向いた。
考えるように腕を組んで、数秒。ふと、何かに気づいたかのように、顔を空に向けて上げた。
そこには、大きな月が見えていた。
「……ぐっ!」
次の瞬間、彼は唐突に胸のあたりを押さえて、しゃがみこんだ。
「ルイジェルドさん!?」
いったい何が。そう思って駆け寄った次の瞬間。
突然ルイジェルドが顔を上げ、俺の肩を掴んだ。
「……!」
異様だった。
ルイジェルドの顔が異様に変化していた。
目が真っ青に染まっていたのだ。白目も黒目も、濃い色の青に変化していた。
口は半開きで、とても理性のある顔には見えない。額の宝石は赤に戻っていたが、周囲の文様は不気味な輝きを放っている。
それを見て、理解した。
「操られているのか!?」
しまった。
いくら今まで何もしてこなかったと聞いたからといって、あんな話をすぐにすべきではなかった。
ちゃんと、憑依されていると聞いていたはずなのに。
そう思った時にはもう遅い、ルイジェルドは俺に顔を近づけて。
キスされた。
同時に、何か液体のようなものが、俺の口の中へと侵入し、生き物のように動いて喉の奥へと潜り込んでいった。
第五話「冥王ビタ」
「うわぁ……!」
飛び起きた。
「はぁ……はぁ……」
荒い息をつきながら、周囲を見渡す。
視界に飛び込んできたのは、焚き火と、焚き火によって浮かび上がる見慣れない森。空には月と星が輝き、虫の声が遠くから聞こえてくる。
心臓がバクバクと音を立てている。
手には力が入っていたのか、それとも寝ている間に血行が悪くなっていたのか、なんとなく腕がだるく、痺れがあった。
口の中はカラカラに渇いていて、舌が顎の内側に張り付いて気持ちが悪い。
「どしたの?」
そんな声に首を巡らせると、そこには一人の女性がいた。
片膝をついて俺の横に座り、心配そうな顔をしている。
さらさらの金髪に、勝ち気そうな目つき。体つきは決してグラマラスとは言えないが、それでもシュッとして格好良く、魅力的だ。
「……サラ」
「急に飛び起きて、悪い夢でも見たの?」
「悪い夢……ああ。うん。どうだろ」
確かに、変な夢を見ていた気がする。でもどんな夢だったかは思い出せない。悪夢だったのは間違いないはずだが……でも、夢なんてそんなもんか。
「しっかりしてよね。明日は迷宮に入るんだから、こんなところで寝不足になんてなって、本番でポカしたら、シャレになんないよ」
「わかってるよ」
「ま、あんたがパーティメンバーを死なすようなポカするところとか、想像もできないけどね」
サラはフフッと笑い、俺の隣に座ってきた。
そして、肩を密着させてくる。俺が彼女の肩へと手を回すと、頭を俺の肩へとのせてきた。
ふわりといい匂いがする。
「これが終わったら、あたしたちも引退だね」
「そうだな」
俺とサラは冒険者パーティのメンバーであり、恋人同士であり、婚約者だ。
そして、この迷宮探索を最後に冒険者を引退し、夫婦となる予定である。
どうして彼女とそうなったのか。
それを説明するのに、そう長い時間はかからない。
あれは俺がまだ十三歳ぐらいの頃だったか……。俺はいろいろあって自暴自棄になっていた。なんとか前に進むことはできていたものの、心は完全に意気消沈し、抜け殻のような状態でゼニスを捜していた。
そんな俺は、『カウンターアロー』というパーティと組むことになる。
当初、誰かとパーティを組むなんて懲り懲りだと思っていた俺は、彼女らに冷たく当たった。だが彼女ら、特にリーダーのティモシーやスザンヌは、俺に親切にしてくれて、しばらく同じ町で活動を共にしていた。
サラだけは、俺に対してツンケンしていたが、ある事件が発端で、急変した。
端的に言えば、命を助けて、惚れられた。
サラは積極的な女性だったと思う。表向きはツンケンしていたけど、好意をあまり隠さなかったし、行動も早かった。だから、体の方が結ばれるのも、早かった。
サラと一夜を共にした時、俺はまだ決して、サラのことがそれほど好きではなかったと思う。
気にはなっていたが、前世で童貞だったこともあって、一歩引いていたと思う。
だからだろうか。彼女とは、本当に自然と、恋愛ができたんじゃないかと思う。
引き気味の俺と、押し気味の彼女で……。
そりゃ、最初の一線を越えるのは早かったと思うけど、そこから先は、俺も段々と彼女のことを知り、無理のないスピードで彼女のことを好きになっていった。
だから、長続きした。
そんな俺たちは初々しい恋人同士のまま冒険者を続けた。
転機となったのは、エリナリーゼの登場か。
彼女は俺に、ゼニス生存の報を伝えてくれた。パウロやタルハンド、ギースといった面々も、ゼニス救出のために動いているのだと。
それを聞いて、俺は即座にパウロの支援に行くことを決意した。
俺とサラは『カウンターアロー』を抜け、ベガリット大陸へと赴き、見事にゼニスを救出し、帰ってきた。
そして俺はその後、ゼニスに「あなたは自分の人生を生きなさい」と言われ、そのままサラと一緒に冒険者を続けている。
今は、高難度の迷宮を五つ踏破したS級冒険者パーティとして、その名を世界中に轟かせている。
「ねぇ、ルーデウス」
「ん?」
「ふふ、呼んだだけ」
微笑むサラが愛おしく、ついつい手が尻の方へと伸びてしまう。
サラは無抵抗で、俺のオイタを受け入れてくれる。昔なら睨まれただろうが、今はよくあるスキンシップにすぎない。
俺はサラと見つめ合いながら、お互いの体を触っていたが、ふとサラが不安げな表情を見せた。
「……冒険者やめて、ちゃんとやっていけるかな?」
「なんだよ今さら、不安なのか?」
「結婚して家に入るってことは、あたしが母親になるってことじゃん? 料理とか掃除とか洗濯とか……あと子育ても、ちゃんとできる自信ないよ」
「別に、それは俺がやってもいいだろ? サラはサラで得意なことをやればいいさ」
「そうかな?」
「そうさ」
サラは、まだ家庭を持つのに不安があるらしい。
ずっと冒険者として生きてきたから、それ以外の生き方を知らない。それなのに、いきなり妻になって、母親になって、家のことをやれと言われてもと、よく不安を口にしていた。
気持ちはわからないでもないが、俺は前世の記憶を持つ転生者。
俺が死んだ頃の日本でも、男女両方が子育てに積極的になるべきだ、なんて風潮も出始めていた。だから、別にサラだけが家のことをやる、というのにこだわる必要はないと考えられる。
サラが働き、俺が主夫になるという形でもいいのだ。
そう伝えても、サラは納得できていないようだったが。
「先のことなんか考えても仕方ないさ。その時その時、一生懸命やっていくしかないんだから」
「そんなこと言って、あんたは結婚した後の夜のアレにしか興味ないんでしょ?」
「いやいや、そんなことないよ?」
「嘘ばっかり。鼻の下、伸びてるよ」
サラはそう言って、クスクスと笑った。言葉の内容はあれだが、口調は穏やかだ。
ま、正直、結婚して、誰にも邪魔されない家で、サラと二人っきりでしっぽりと、というのに期待がないわけではない。夫婦という関係で、子供を作っても問題ない環境となれば、もはや全てが解禁というワケであるし。俺の息子もパウロの孫を作り出すべく頑張ってしまうだろう。
「でも」
俺がどう答えるか迷っていると、サラが耳元に口を寄せ、ささやくように言った。
「子供は三人ぐらい欲しいよね」
サラはそう言うと、顔を真っ赤にして、そっぽを向いてしまった。自分で言って、ちょっとだけ恥ずかしくなったのかもしれない。サラにしては露骨な誘い文句だし。
「じゃ、じゃあ! あたしは寝るから。見張り交代!」
「了解。おやすみ」
「おやすみ!」
サラはそう言うと、俺の肩をぽんと殴り、自分の寝袋の方へと戻っていった。
俺は口元が緩んでいるのを自覚しつつ、火が弱まりつつある焚き火に、薪を投入し……。
そこでふと、寝ていたはずのパーティメンバーの一人が、横になったままこちらを見ているのに気がついた。
「よぅ」
明るめの長髪を首の後ろあたりでくくった男は、ゆっくりと体を起こした。
そして、けだるげに俺の方に手を上げてくる。
パウロだ。
あれ? なんでパウロ、こんなところにいるんだ? 死んだはずじゃ……。
いや、死んでない。勝手に殺してはいかん。パウロは転移迷宮でゼニスを救出した後、アスラ王国に定住し、ゼニスと一緒にフィットア領の復興に尽力している。
冒険者になるという俺を快く送り出してくれたが、今回の迷宮探索に、お前たちだけじゃ心配だとしゃしゃり出てきたんだ。うん。確かそう、そんな感じだった。
「父さん、出歯亀とは趣味が悪いですよ」
「出歯亀? 何寝ぼけたこと言ってんだ?」
「何って……」
「それにしても、いい雰囲気じゃねえか。あの子と結婚すんのか?」
「そのつもりですよ。ていうか、サラを紹介した時、父さんもその場にいたじゃないですか」
「いいや、いなかったな」
いなかったはずはないんだが。おかしいな、寝ぼけてんのか?
「それより、お前、なんか忘れてねえか?」
「何かって、なんですか?」
「お前、サラと出会う前、なんで自暴自棄になってたんだ?」
「なんでって……そりゃあ……」
あれ? なんでだっけ?
確かそう、ルイジェルドにフィットア領まで送り届けてもらって、それで、朝起きると誰もいなくなっていて……あれ? でもルイジェルドは。
「ハッ、そんな簡単なことも思い出せねえのか。それでよく結婚するなんて言えたな」
小馬鹿にするようなその言葉に、なんとなしにカチンときた俺は、立ち上がってパウロへと歩み寄る。
「なんなんだよさっきから、そんなこと言いたくてついてきたのかよ!」
「別にこんなことが言いてえわけじゃねえよ」
「じゃあ何を……」
寝転がるパウロの胸ぐらを掴み……そこで気づいた。
「見てわかんねぇか?」
パウロは、下半身がなかった。

★ ★ ★
「うおぁ……!」
飛び起きた。
目を開いた瞬間、見慣れた部屋が視界に飛び込んでくる。
柔らかい毛布に、俺の足。寝室の出口となる扉。半開きになり、そよ風の吹き込む窓。
振り返ると、トゥレントの種で作った枕。サイドテーブルには、自前の人形が置いてある。
ここは、寝慣れたベッド。
魔法都市シャリーアにある、俺の家だ。
「はぁ……はぁ……」
何やら、変な夢を見ていた気がする。
「あれ……?」
でも、どんな夢だったかは思い出せない。
ただ、悪夢だったはずだ。じゃなきゃ、飛び起きるはずもない。
まぁ、夢なんてそんなもんだろうが。
「んー……んっ!」
ベッドから降りて、伸びをする。
今日もいい天気だ。あと少ししたら夏が終わり、秋が来る。楽しみで仕方がない。
そう思いつつ階段を降りていくと、ドタドタと二人の子供が階段を駆け上がってきた。
焦げ茶色の髪をして、獣耳のついた子供たちだ。
「転ぶなよー」
「はーい」
俺は子供部屋へと走り込む子供たちを見送って、一階に降りた。
廊下を通り、食堂へ。
食堂では、一人の女性が食事の支度をしていた。
豊満な肉体を地味な衣装に閉じ込め、しかし閉じ込めきれず、尻のあたりから尻の肉と、そして尻尾が出ている。
彼女は俺が部屋に入ると、尖った耳をピクピクと動かして振り返った。
「おはよう、リニア」
「おはようさんだニャ」
ややそっけない声音でそう言われ、
俺はふと、嫌な夢を見た時の、あの漠然とした不安感に襲われ、彼女に抱きついた。
「リニア!」
「うにゃ!?」
リニアは俺の妻だ。
どうして彼女と結婚したのだったか。
そう。思い出せば、学生時代。EDで悩んでいた俺は、あの手この手で自分の息子を治療しようとしていた。
そこに現れたのが、リニアとプルセナだった。若く、みずみずしく、躍動感と野性味にあふれる肢体を持った二人。
彼女らと喧嘩し、拘束し、裸に剥いた時は、まだ俺のEDは治らなかった。
だが、それから一年、二年と学び舎や食堂で顔を合わせる度に、次第に互いを意識していった。
そのうち、二人は露骨な誘惑をしてくるようになり、俺の息子はその度に少しずつ、少しずつ反応を取り戻していった。
完治したのは、彼女らが七年生の時、秋。
発情期で興奮した二人に、我慢できないとばかりに部屋に連れ込まれた時だ。
懐かしい。あの夜は最高だった。
その後、卒業式の日にリニアとプルセナが決闘し、プルセナが勝利。プルセナは大森林に戻り、リニアは俺のところに来た。
それから毎年、秋が来るたびに子供を作った。
「フシャァ!」
「いてっ!」
抱きついて胸をもみもみしたところ、手を引っかかれた。
「発情期じゃない時は禁止! そう決めたニャ!」
「抱きつくぐらい、いいだろ……」
「どうせダーリンのことだから、抱きつくだけでは済まさないニャ! 妻は夫の性奴隷じゃニャいニャ!」
「そんなつもりはないんだけどなぁ……」
俺はため息をつきつつ、テーブルについた。
リニアは、終始あの調子だ。獣族の掟とやらで、発情期の時期にしか、やらせていただけない。
もちろん、発情期になったら、向こうから誘ってくる。
子供は可愛いし、発情期のリニアとの子作りは実に性的欲求を満足させてくれる。
が、しかし、そうじゃない。
もう少しなんというか、愛というか、そういうのを確かめるのに、ボディタッチぐらいあってもいいのではないだろうか。
「ほらー、みんニャ! ご飯できたから降りてくるニャ!」
「はーい!」
リニアが空鍋をカンカンと叩くと、二階から子供たちが駆け下りてきた。
先ほど上っていった子供だけではない、十二人いる。
獣族は一度に二人、三人と産むことがあるので、子沢山だ。ゆえに我が家の部屋は、子供たちにほぼ占領されてしまっている。
「はやく食べて、仕事に行くニャ! 生徒が待ってるニャ!」
「はいはい」
リニアにせっつかれ、俺は朝食を食べ始める。
彼女はなかなか料理がうまい。結婚したばかりの頃は肉は焼く、魚は煮る、野菜は茹でる、しかできなかったが、この数年の間に、シャリーアの家庭料理をいくつも習得していた。
味付けはちょっと薄めだが、それは俺と種族が違うため、仕方ないことだ。
「ごちそうさま」
「はい。おそまつさまだニャ」
食事が終わったら、いつも通り、ローブに着替えて出勤だ。
俺は卒業と同時に魔術ギルドに入り、今では魔法大学の教師をやっている。
教えているのは、無詠唱魔術の授業だ。実用性が極めて高い術式ということで、かなり人気のある講義だ。このまま無詠唱魔術の授業方法が確立され、俺の生徒が成果を出せば、ゆくゆくは教頭、校長も夢じゃないだろう。
「じゃあ、行ってくるよ」
「いってらっしゃいだニャん」
一言声を掛けて、玄関へと向かう。妻と子供のため、今日も一日頑張るぞいっと。
「ん?」
ふと、リビングへの扉が半開きになっているのが見えた。
中から、人の気配がする。
ひどく、懐かしい気配だ。
「……」
俺は誘われるように、扉を開けた。
一人の男がいた。
俺に背を向けて、片手をソファの背に回して座っている。
その後ろ頭は、明るめの茶髪を首のあたりでくくっていた。
「……え?」
男が振り返る。
「よぅ」
パウロだ。
なぜこんなところにいるのだろうか。死んだんじゃ……。
ああ、いや、死んでいない。
転移の迷宮を諦めて、俺のところに戻ってきたんだ。それで、魔法都市シャリーアに来て、近所に住んでるんだ。うん、確かそうだった。
リーリャもアイシャもノルンも、今はパウロの家に住んでいる。
パウロは助けに行かなかった俺を責めたりもしたが、今は仲良くやれている。
うん、確か、そんな感じだったはずだ。
「いい嫁さんだな」
「いい嫁って……初めて見たわけじゃないだろ?」
「いや、初めて見たぜ」
パウロはヘラッと笑って、手をヒラヒラと振った。
「お前、今のままでいいのか?」
「なんだよ。何か言いたいことでもあるのか?」
「いや、別に? 何にもねぇよ。ただ、不満はないのかって聞いてんだよ」
「…………不満なんてない」
リニアは、いい嫁さんだ。そりゃ、確かに一年のうち、限られた期間以外、触らせてすらもらえないのは不満っちゃ不満だけど……それだって、別に口にするほどでもない。
もうすぐ発情期だし、その時になったら必要以上にベタベタするし、俺の体がもたないレベルで愛してくれる。そして子供ができる、一度に二人か三人も。男として、本能が満ち足りる。物足りない時期はあるが、一年分を凝縮していると考えれば、大したことはない。
仕事だってうまくいっている。
俺は、魔法大学でも人気の教師だ。俺の教え方は、学校でもトップクラスにうまいと評判だ。
慕ってくれる生徒も多いし、教師からの信頼も厚い。出世頭で、将来は明るい。
「そうか、不満はねぇか。そりゃ、何よりだな」
「……だろ?」
「でも、なんか、忘れてるんじゃないのか?」
馬鹿な子供を窘める時のように、パウロは優しい声音で、しかし責めるような言葉を続けてくる。
「例えば、ほら、お前が今やってる仕事。誰の真似をしたら生徒からも教師からも人気になれたんだ?」
「そりゃあ……」
誰だっけ。
一瞬、青色の何かが目の前をよぎった気がしたが、すぐにかぶりを振る。
だが、心のざわめきが大きくなった。
「教えてくれた人がいるだろう? この世界で、うまくやる方法をさ」
「……さっきから、何が言いたいんだよ! はっきり言えよ!」
俺は苛立ちにそのまま体をまかせ、ソファへと近づいた。
パウロの前に回り込み、胸ぐらを掴む。
そこで、手が止まった。
「じゃあ、はっきり言ってやる…………」
「俺は、もう死んでるんだぜ?」
パウロには下半身がなかった。
★ ★ ★
「うわぁっ!」
ベッドから飛び起きた。
「はぁ……はぁ……」
息は荒く、喉はカラカラ、背中は汗でびっしょりだ。
ひでぇ夢だ。ありえない夢を見た。なんだあれ……なんだあれ……。
「なんて悪夢だ……」
「……どうしました?」
「ああ、いや、なんか変な夢を見たんだ。魔法大学に通っていた頃……獣族のさ、リニアっていただろ? あいつと結婚して、子供まで作る夢。俺は教師になっていて、子供に無詠唱魔術を教えるんだ」
「それは、悪夢なのですか?」
悪夢かどうか。
そう言われてみると、悪夢ではなかった気がする。リニアと一年のうちの短い期間に燃えるような子作りをして、それ以外は子供の面倒を見つつ、生徒に魔術を教える毎日。
ささやかながらも、幸せな家庭を築けていたと思う。
だが──。
「そりゃ、悪夢さ」
俺はそう言いつつ、寝ぼけ眼で天蓋付きのベッドから降りた己の妻を見た。
彼女は美の女神だ。
背は高くもなく、低くもなく、ちょうどいい。胸は大きくもなく、小さくもなく、ちょうどいい。
尻は小ぶりだが、背と胸の大きさにちょうどマッチしている。全体的にほっそりとしているが、痩せているとか、太っているとか、どちらかの印象に偏ることはない。
だが決して凡百であるという感想は出てこない。
均整の取れた、という言葉を体現した、完璧な肉体。
唯一完璧でないところがあるとするなら、寝起きで髪が少々ボサついているところだろう。
普段なら、流れるように美しい金髪が、やや乱れてしまっている。
だが、それが彼女の魅力を損ねることはない。ボサついた髪は彼女に生殖可能な人間としての魅力を与えている。端的に言うとエロい。
この髪の乱れが、俺との昨晩の行為によるものだと思えば、三割増しでエロい。
「こんな素晴らしい女性を妻に娶って、欲しいものは全て手に入る立場にいる俺が、なんで田舎の町で教師なんてやらなきゃいけないんだ」
「ふふ、褒めてくださっているのですか? お上手ですね」
我が妻。
アリエル・アネモイ・アスラ。
彼女はくすくすと笑った。
「ですが、あなたはそうした生活にあこがれているのかもしれませんよ。最近は急な政務も多かったでしょう? 王族の生活は、決して楽ではありませんからね。私たちの仕事は、どんな小さなものでも大きな責任が伴いますが、その大きな責任と等しい幸福感を得られるとは限りません。人が感じられる幸福というものは、そう大きくはないものですしね」
「そうか?」
「恐らく、田舎の町で、教師をして、子供たちに囲まれて過ごすのと、今のように王族として暮らすのとでは、責任と幸福のバランスが違ってきますし……。私のような女より、リニアのような子の方が、あなたの好みなのかもしれませんよ」
何を馬鹿な。
アリエルは最高の女だ。何一つ欠点がない。俺に悪いところがあればそれとなく窘めてくれるし、人の前では俺を立ててもくれる。女性関係に関しても何も言わず、側室をたくさん抱え込むことも許してくれた。その上、仕事もできるし、周囲からの信頼も厚い。
理想の上司であり、国民的アイドルでもある、そんな女性だ。
いや、もしかすると、欠点はあるのかもしれない。
理屈っぽいところが多いし、感情より理論を重んじすぎるところもある。
あと、性癖がちょっと特殊だな。昨晩も……いや、それは置いとこう。
ともあれ、少なくとも、俺にとってそれは欠点になりえない。
「ああ、申し訳ありません。少し、口が過ぎましたか?」
「いや、もしかすると、そうなのかもしれないって思ってただけだよ」
「もし、休暇が必要となったら、言ってください。最近は国も落ち着いてきましたし、少しぐらいなら、息を抜いてもいいでしょう。どこかに出かけるとか……側室の相手をなさるのもよいのではないですか?」
「もし休暇がもらえるなら、丸一日お前を抱いていたいよ」
「もう……冗談ばかり」
「本心さ」
アリエルを最初に抱いてから、どれだけ経っただろうか。
最初の頃こそ、側室をたくさん迎え入れて、酒池肉林を目指したものだが、最近はそんな気にならない。
彼女一人でいい。
もし、現状で何が一番幸福かと聞かれたら、アリエル・アネモイ・アスラという女性をベッドの中で好きにできることだろう。
「では、今度、そういう時間を作りましょうか」
アリエルはクスクスと笑いながら、侍女に服を着せられている。
俺もベッドから立ち上がり、両手を広げる。すると、すぐに侍女が駆け寄ってきた。
二人の侍女が手分けしてテキパキと俺に服を着せてくれるのを見ていると、自分が偉くなったのを実感する。
魔法大学に通っていた頃が懐かしい。
魔法大学に入学して、俺はアリエルに出会った。
政争に負けて国を追われ、しかし諦めずに人材を集めていたアリエル。
魔法大学で唯一無詠唱魔術を習得していた俺は、彼女にスカウトされた。
彼女は当初から美しく、カリスマ性を持っていたが、俺はちょうどEDを患っていたこともあり、そっけない態度をとっていた。
変わったのは、彼女がEDを治してくれたからだ。
やり方は少々乱暴だった。媚薬を使って無理やり俺を興奮させて、自分を襲わせたのだ。
当初、俺はそれが彼女の策略だとは気づかなかった。
とんでもないことをやらかしてしまった、という罪悪感と贖罪から、彼女の仲間となった。
最初は、戦闘力の高い護衛のような立場だった。特に権限を与えられたわけでもなく、ただアリエルを守るだけの存在。それが変わり始めたのは、やはりアリエルと身近で接したからだろう。
努めて王族であろうとしているアリエル。しかし、時折、歳相応の少女のような顔を見せるアリエル。そんな彼女に、俺は少しずつ、惹かれていった。
最初から下心があったのは否定しないが、体だけでなく、心にも惹かれたのだ。
同僚のルークとは、何度も衝突した。彼もきっと、アリエルのことが好きだったのだろう。
しかし、アスラ王国での決戦においてルークは死に、俺とアリエルが残った。
最終的に俺はアリエルに告白し、全てを手に入れた。
世界最高の女性、そして世界最大の国……そう、俺はアスラ王国の国王となったのだ。
アスラ王、ルーデウス・アネモイ・アスラ。
それが、俺の今の名前である。
あくまでアリエルのおまけ、傀儡のような立場だ。
アリエルが女王として君臨するより、そちらの方がやりやすいという、それだけの理由だ。
元々、俺の血筋はアスラ王国ではかなり上等だし、誰も文句を言う者はいなかった。
魔導王ルーデウス。
世間では、そんな風に呼ばれているようだ。
パワーアップすると、スーパールーデウスになるのかもしれない。
まあ、アリエルが俺を愛しているかというと、イマイチわからないところもある。俺の力や立場を利用されているだけ、という感じがないとは言い切れない。結婚したのも、あくまで国をスムーズに統治するためだしね。
そういうところを不安に思うところもあって、側室を大量に入れたってのもある。
しかし最近では、アリエルが本心でどう思っていようと関係ないと思うようになった。
アリエルは、結婚してから、ずっと俺を愛する姿勢を貫いている。
彼女は努力家だ。努めて、俺を愛そうとしてくれているのだろう。
もしかするとそれは偽りの愛かもしれないが、少なくとも、俺は十分に満たされた気持ちになっている。騙されているのだとしても、気持ちよく、騙されていると言える。
もっとも、利より害の方が大きくなれば、アリエルは俺を裏切るだろう。
そうなるかどうかは、俺の努力次第ってわけだ。
頑張ろう。
「さぁ、行きましょう。今日も政務は山積みですから」
「ああ」
アリエルと並んで寝室を出る。
入り口を守っていた二人の騎士が頭を下げる。騎士だけじゃない。廊下を歩けば、誰もが立ち止まり、頭を下げてくる。
これが権力だ。
もし俺が、頭の下げ方が気に食わない、とか言えば、そいつは真っ青になって膝をつくだろう。
足を舐めろと言えば、舐めるかもしれない。
もちろん、そんなことはしないが、それができる立場というのは、なんとも心地いい。
さて、最初の仕事は、夜のうちに発生した事案からだ。
昨晩、緊急で起こされることはなかったから、急ぎの仕事はないはずだ。
それをまったりと二時間ぐらいかけて片付けて、昼前に騎士団長らと会合。
食事を取った後、アポイントメントのある貴族たちと謁見。昼下がりからは、陳情書でも片付けるか。休みの予定も立てられるといいな。そろそろ、アリエルとの子供も欲しい。俺の役割の一つには、種馬もあるだろうし。
「陛下!」
と、思っていたら、騎士団長が走ってきた。
すぐに俺の前に膝をついて、大声を張り上げた。
「東の森で発生した魔物を討伐に行った騎士が、瀕死で戻って参りました! 最後に、陛下に直接お言葉を賜りたいと!」
「えっ!」
東の森で魔物が発生?
そんなのあったっけか……。
「報告は受けていませんね」
あ、ですよね。
「陛下のために戦った騎士の最期です! どうか、どうか最期の願いをお聞き届けください!」
「あなた。必要ありませんよ」
アリエルが冷たい。
だが、別に今日はそれほど忙しいわけじゃない。
「いや、会おうじゃないか」
国のために戦ってくれた騎士の願いだ。それぐらい、最後に聞いてやろう。名前を聞き、憶えておいてやろう。
そう思い、俺は謁見の間へと急いだ。
アリエルは不満そうだったが、それを表情に出し続けることもなく、追従してくる。
謁見の間には配下が集まっていた。
ノトス公、ボレアス公、エウロス公、ゼピュロス公。その他、アスラ王国貴族のお歴々。
そして、そんな彼らに囲まれるように、一人の男が赤いビロードの絨毯の上で待っていた。
担架に乗せられ、毛布が掛けられている。
その顔は、見覚えのあるものだった。
「え……?」
パウロだ。
なぜパウロがここにいる。
ああ、そうだ。パウロは、俺が王になったと聞いて、真っ先に配下に加わってくれたのだ。
ノトスと相性も悪かったろうに、実家に頭を下げてまで。騎士として、俺を守ろうとしてくれたのだ。
「よぉ、ルディ」
パウロは、怪我などしていないかのように、気安い感じで手を上げた。
「父さん……魔物、退治してくれたって、騎士団長から……」
「魔物? なんの話だそりゃ」
「え?」
俺が首をかしげると、パウロはやれやれと肩をすくめた。
「俺が来たのは、そんな理由じゃねえ」
「だから、それはなんだって……っ!」
俺の言葉の途中で、パウロが毛布を払いのけた。
下半身がない。
明らかに死んでいるだろう傷を負いながらも、パウロは平気で喋っている。
「さっきの話の続きだ」
★ ★ ★
「わぁっ!」
目が覚めた。
悪い夢を見た。悪夢だ。なんだかここ連日、悪夢を見続けている気がする。
「あなた、どうしたの?」
額の汗を手のひらで拭っていると、脇にいた女性が話しかけてきた。
豊満な体に、おしゃまな笑顔。我が妻、アイシャだ。
彼女とは、えっと、どうやって結婚したんだっけか。
確か、そう。ええと、風呂に入っていた時に我慢できなくなったんだ。アイシャは日々、誘惑してきたし、年を経るごとに体つきも……でも、あれ?
「ねぇ、どうしたの……? あ、結婚したあとも、お兄ちゃん、って呼んだほうがいい? もう、しょうがないなぁ、お兄ちゃんはほんと、変態なんだから」
「……」
……アイシャの向こうに、パウロがいた。下半身を失ったパウロが、椅子に座っている。
こっちを見て、ヘラッと笑っている。
「無駄だよ。もう捉えた。お前もわかっているだろう?」
パウロがそう呟いた。
わかっているか。
ああ。まあ、そうだな。俺も、そろそろわかってきた。
悪夢が続く理由。
違和感しか感じないこの感覚。
さっきから、俺は何度も目覚めている。全部夢だった。
なら、これも夢だ。
「ようやく気づいたか。『冥王』ビタ。茶番は終わりだ」
冥王。そうだ。冥王ビタ。
思い出した。
★ ★ ★
気がつけば、自分の部屋にいた。
魔法都市シャリーアにある、大きな屋敷の、俺の書斎。机には日記やら魔術書やらが散乱し、棚には魔法陣の刻まれた石版や、作りかけのフィギュアが置かれている。
俺は部屋の中心に立ち、パウロは書斎の椅子に座っていた。
椅子に座っているから見えないが、やはり下半身はないんだろう。
なぜなら、パウロは死んだから。
ベガリット大陸、転移迷宮の最奥で、マナタイトヒュドラに下半身をもっていかれて死んだから。
俺のポカが原因で。
「……お前が、『冥王』ビタなのか?」
そう言うと、パウロは呆れ顔になった。
「んなわけねえだろ。俺が『冥王』ビタなら、お前を夢から醒めさせるか?」
「あっ、はい……」
それもそうか。
「『冥王』ビタは追い詰められている」
「それはいいんだけど、お前は何なんだ?」
「おいおい、見りゃわかんだろ? 自分の父親の顔、忘れたか?」
「いやぁ、死んでからもう随分経つんで」
「つれねえなおい。忘れてんじゃねえよ」
パウロはそう言って笑った。その笑顔は、俺の記憶にあるパウロそのもので、見ているだけで鼻の奥がツンときてしまう。ああ、やばいな。泣きそうだ。
パウロはすぐに真顔に戻ると、俺の背後、部屋の扉を見つめた。
「『冥王』ビタは追い詰めた。この屋敷のどこかにある違和感を探して、そいつを破壊しろ。それがビタの核だ」
「……わかった!」
このパウロが何者かはわからない。
でも、ひとまず敵ではない。そう思う。証拠も根拠も何一つないけど。
それこそが、『冥王』ビタの策略だったりするのかもしれないけど、少なくとも、パウロがいなければ、俺はずっと幸せな夢を見続けていただろうから。
意を決して書斎から出る。
見慣れた廊下。
魔法都市シャリーアにある、俺の家。
シルフィと結婚する時に買った家。ザノバとクリフと共に探検し、変な人形を見つけた館。
その後、妹たちを迎え入れ、ロキシーと結婚し、エリスと結婚した。
三人の嫁と暮らす、俺の理想郷。
間違っていないはずだ。未だに頭がゴチャゴチャとしているが、そこは間違っていないはず。
廊下を通り、リビングへと移動する。
「ルーデウス様」
そこでは、リーリャが部屋の掃除をしていた。
雑巾を手に、暖炉脇にあるテーブルを拭いていた。
「いかがなされました?」
「……いえ、いつもすいませんね。掃除とか、任せてしまって」
そう言うと、リーリャはしばらくきょとんとした顔をしていた。だが、すぐにクスッと笑い、
「そう仰るなら、ルーデウス様もご自分の書斎の整頓ぐらいはしてください。ただでさえ、ルーデウス様の部屋は、触っていいかわからないものが多いのですから」
そう言った。
「はは、気をつけます」
違和感はない。リーリャなら、こういうことも言うだろう。
口ではそう言うが、リーリャも本気で困っていたり、俺に掃除をさせたいわけではない。これは一種のスキンシップだ。第一、リーリャはどれを触っていいかわからなくても、アイシャはわかるのだから。
「ところで、他の皆は?」
「ノルン様は学校に、アイシャは傭兵団の顧問です」
違和感は、ない。
嫁三人について言及がないのは、この世界にシルフィ、ロキシー、エリスの三人がいないからだ。
なぜだか、そういう世界なのだという、確信があった。
だから、違和感はない。矛盾はあるかもしれないが、違和感ではない。
リーリャではなさそうだ。
「なるほど、ありがとうございます」
そう言って、俺はリビングから出る。
玄関に出ても、やはり違和感はない。ロキシーのコートや、エリスの木刀なんかが無いぐらいか。ロキシーやエリスがいないのだから、それも当然だ。
うーむ、違和感と言われても、難しいな。
所詮は主観での話だし、そんなにあからさまな違和感が、転がっているのだろうか。
気をつけて見てはいるが、俺はこういう間違い探しみたいなのって、あまり得意じゃないんだよな。例えばシルフィが美容室に行って、「ルディ、今日のボク、何か違うと思わない?」と言われても、とっさに答えられない程度には。いや、シルフィはそういうことあまり言わないんだが。
ともあれ、これはじっくりと腰を据え、ノートにメモを取るなどして、ゆっくりと敵の狙いと違和感の正体を探っていかなければいけないかもしれない。
そう思いつつ、俺は食堂に移動した。
「……!」
そこで、俺は見つけた。
違和感を。
「それは、ズルイだろ……」
思えば、俺が今までに見てきた夢の数々は、まぁ一種、俺の妄想というか、もしこうだったらいいなとチラとでも思ったことを具現化したようなものだった。
EDが発症せず、サラといい感じになった世界。
リニアにEDを治してもらい、そのまま結婚した世界。
絶世の美女であるアリエルと恋仲になり、そのまま王となった世界。
アイシャといろいろあってしまった世界。
最後のは、まぁ、こうだったらいいなと思ったことはないんだが、ありえないと言い切れない理由はない。妹だから性的な興奮はあまり持てないが、それとアイシャの人間的な部分を好きになるのは、また別だし。
ともあれ、今まで見てきたのは、都合のいい世界だった。
違和感もなかった。
それぞれの世界で矛盾と直面するまで、おかしいとすら思わなかった。
だが、この家では、前提が違った。パウロは最初からいたし、俺は記憶を取り戻していた。
だから、見た瞬間にわかった。
「あ、ルディ帰ってたの? 今日は早いのね」
ゼニスが、食事の準備をしていた。
テーブルの上に、家族全員分のクロスを敷いて、皿やカップを並べている。
「……」
「どうしたの? 変な顔して……あ、そうだ。早く帰ってきたならちょうどよかったわ。実は……ジャーン!」
ゼニスは、元気そうだった。
俺の記憶にあるゼニスより、ちょっとばかし老けていて、でも記憶にある通り、フィットア領にいた頃の、元気なゼニスのままだった。
「ルディ、もういい歳なのに、浮いた話一つないんだもの。だから、お母さんが頑張って、相手を見つけてきました!」
ゼニスはそう言って、女性の絵が描かれた板を見せてくる。いわゆるお見合い写真だ。
描かれていたのは、見覚えのある女性だ。
確か、魔術ギルドの職員の一人で、ラノア王国の貴族の四女だ。他の娘より魔術の才能があったから魔法大学に入学したものの、在学期間中に実家が没落しかけてしまい、家に戻ることもできず、魔術ギルドに入ったのだったか。
「といっても、ルディと同じギルドの人なんだけどね。ルディの結婚相手を探しているって言ったら、向こうも乗り気になってね。でもルディって、政略結婚とかそういうの、好きじゃなさそうでしょ? 気持ちの問題だなって思って、本人に話したら、まんざらでもなさそうで……」

ゼニスはとても嬉しそうに、そんな話をしていた。
もし。
もしゼニスが、転移迷宮であんなことにならず、俺もシルフィやロキシーと結婚しておらず、そして今になるまで浮いた話の一つもなかったら。
きっとゼニスは、こうしてお節介を焼こうとしてくれただろう。
そして、俺がこの話を承諾すれば、少女のように喜んで、どんどん話を進めていっただろう。
あるいは、近所にシルフィが住んでいれば、シルフィと一緒になるように手を尽くしてくれたかもしれない。
「どう? ルディ、素敵なお嬢さんでしょ? 会ってみる?」
「うん」
「よかった。じゃあ先方にも話をつけておくわね! はー、アイシャもそうだけど、あなたたちって本当にそういう話に疎いんだから、心配しちゃうわ。浮いた話があるのはノルンだけね」
「うん。そうだね」
「パウロの息子だから、もっとガツガツいくと思ったのに……女の子に対しては慎重なんだから!」
ゼニスはそう言って、またテーブルのセットアップへと戻っていった。
「母さんの、息子でも、あるからね……」
俺は、ゼニスに魔力を込めた指を向けたまま、固まっていた。
手は震えているし、目からは、涙が零れそうになっていた。
結局、俺は何も手出しができないまま、ゼニスは台所へと消えていった。
それから何日か過ぎた。
下半身のないパウロは、ずっと書斎にいた。
彼は生前のパウロと同じような口調で「違和感は見つけたか? 見つけたならさっさと破壊しろよ」なんて言ってきたが、違和感のもとがゼニスだと知ると、それ以上なにも言わなくなった。
どうやらこの世界の俺は、魔術ギルドに所属している魔術師の一人らしい。
リニアの時と一緒だな。
違いがあるとすれば、ゼニスが無事に救出されたことぐらいか。パウロはもちろん死んでいる。
家は、ノルンたちが魔法都市までやってきた時に購入したようだ。いずれ、パウロたちが戻ってきた時に居場所となるようにと。
魔術ギルドに行って仕事をし、夕方になると帰ってきて、母と妹たちと食卓を囲む。
もし、俺が前世で、どこかのタイミングで引きこもりを脱却し、就職活動に成功していたら、こんな感じの生活リズムで生きていたのかもしれない。そう思わせる毎日。
そんな中で、俺のお見合い話は着々と進んでいった。
顔合わせは無事に終了。
同じ職場の女性かつ先輩後輩の仲ということで、お互いのことはある程度は知っていたからか、その後も話はトントン拍子で進んだ。
彼女は、魔法大学に通っていた頃から俺のことを知っていて、ほんのりと好意を抱いてくれていたらしい。
俺は憶えていないが、一度、食堂で変な男に絡まれているところを、助けたことがあるそうだ。
物静かで地味な印象を受けるが、賢くて思慮深くもあり、よく気がつく子でもあった。
あるいは恋愛対象として見れば、魅力に乏しいと言えたかもしれないが、結婚相手として見れば十分すぎる相手だ。
最初にお見合いをしてから二度のデートを行い、三度目でプロポーズをし、彼女はそれを受けた。
それをゼニスに報告すると、我が家はお祭りのように歓喜に包まれた。
その後も、結婚の準備が着々と進んだ。
幸いにして、我が家は広く、部屋もまだ余っているため、妻となる女性を迎え入れることは不可能ではなかったので、そのまま嫁にきてもらう形となった。
何より、ゼニスがそれを望んでいた。
ルディのお嫁さんがきたら、一緒にアレをやるんだ、コレをやるんだと、はしゃぎながらリーリャと話していた。
結婚前夜は、ゼニスもリーリャも、二人ともはしゃぎまくり、騒ぎに騒いだ。
ノルンとアイシャも途中まで付き合っていたが、やがて呆れて寝てしまった。
俺は二人に付き合っていたが、やがてリーリャも飲みすぎたのか、眠ってしまった。
ゼニスははしゃげる相手がいなくなり、一人でちびちびと飲み進めていた。俺が小さい頃はどうだったとか、そんな話をしながら。
そうして、ふと言った。
「なんか、肩の荷が下りた気持ちね」
「俺は、お荷物でしたか?」
「ううん。そうじゃないの。転移迷宮でパウロが死んじゃって、ルディは私たちのこと、ずっと面倒見ようとしてくれたでしょ? でも、私はルディの母親だから。面倒を見られるんじゃなくて、面倒を見てあげなくちゃって思ってて……それが、できたなって、思ったから」
「なるほど」
「ルディ。結婚した後、お嫁さんの機嫌が悪くなったり、女の子の扱いがわからなかったら、私に聞きにいらっしゃい。きっとパウロの方がうまく教えるんだろうけど、私だってルディの母親なんだから、きっとアドバイスできるわ」
ゼニスは、少しだけ気恥ずかしいのか、脇で眠るリーリャの頭を撫でながら、そう言った。
「……」
「ちょっと、もう、ルディったら、どうしたの?」
俺の目からは、知らないうちにボロボロと涙がこぼれていた。
今まで、ビタが見せてきた夢は、全部幸せなものだった。これもそうだった。
きっと、俺が〝思い出して〟いなかったら、俺はこの世界で、幸せな毎日を送っていたんだろう。
エリスやシルフィがいない世界なら、きっとまだ童貞だろうから、初めてできる彼女とお嫁さんに舞い上がって、妹たちに気持ち悪がられたり、ゼニスに窘められたりするんだろう。
きっと俺はそれで一喜一憂しつつ、少しずつ成長していくんだろう。まぁ、盛大にやらかして離婚って可能性もあるけど……。
俺はこの世界で、何一つ不自由がなく、家族みんなが幸せな生活を送っていくんだろう。
俺には、それがわかる。きっとそうだったんだろうと、心の底から思える。
だから、きっとこれは、ビタの最後の抵抗なんだろう。
もう、俺が思い出していて、これを夢だと知っていて、それでも壊させまいと、そうしているのだろう。そして、ゼニスの姿なら絶対に壊されないと、そう確信しているのだろう。
実際、俺はずっと様子を見てしまった。
ゼニスが昔のように笑っているのを見てしまった。
このままでもいいんじゃないかと思ってしまった。
その通りさ。俺にゼニスを殺せるわけがないんだ。
でもな、ビタ。
俺はもう、思い出したんだ。
この場にいない、シルフィのことも、ロキシーのことも、エリスのことも。そんな彼女らが生んでくれた、元気一杯の子供たちのことも。
今の俺が、一生懸命頑張って手に入れた、かけがえのない、幸せな家庭のことを。
一番大切なもののことを。
そしてゼニスは、パウロと違う。植物状態のようになってしまったけど、死んだわけじゃない。
そのことを、俺はもう知っている。
ちゃんとした答えをもらうのは難しいかもしれないが、神子を通してなら、機嫌が悪くなってしまったシルフィや、むくれているロキシーや、ぶちキレているエリスについて相談することもできるんだ。
ゼニスは、もう笑えないけど、きっと嬉しそうに相談に乗ってくれるんだ。
だから、終わりなんだ。
この、ずっと浸っていたくなるような夢は。明るくて優しいゼニスの夢は。
俺はゼニスに向かって手を伸ばし、その頭に触れた。
「母さん、今までありがとう」
そして全力の岩砲弾を、ゼニスへと撃ち込んだ。
★ ★ ★
何か、とても悲しい夢を見た。
ビタの奴、なんてものを見せやがったんだと、そう思う反面、怒りは湧いてこない。
きっと、最後の夢の内容が、あまりにも優しいものだったからだろう。
だからこそ悲しい。
けど落ち着いてはいる。自分でも不思議なぐらいに。
「……」
周囲を見渡す。
見覚えのない部屋だ。扉はなく、椅子が三つ。他に家具はないが、なんだか散らかっているようにも感じられる。
感じとしては俺の部屋に似ているだろうか。
生前の俺の部屋と、今の俺の書斎。二つを足して割ったような感じ。
そんな部屋で、俺は椅子の一つに座っていた。
目の前には、二人。いや、二匹か?
一匹は、骸骨だった。冠をかぶり、全体が黒っぽく汚れた骸骨。
もう一匹は、スライムだ。
多分、スライムだろう。青色のゼリーのような形をした物体が、椅子に座っている。
少なくとも、座っているように見える。
「はじめまして。私が『冥王』ビタです」
スライムは言った。
半透明の青いスライム。それが、冥王ビタの正体であったらしい。
「あんたがビタか」
じゃあ、もう一人の骸骨は何者だろうか。
パウロじゃないよな……?
パウロの骨格がどんなだったかは憶えてないが、あんな冠はパウロに似合わない。
「この戦い、私の負けですね」
スライムは真面目くさった顔で……いや、顔がどこにあるのかわからないか。彼は真面目くさった声で言った。
負け、ということは、やはり戦いであったのか。
未だ、ふわふわと、なんとも言えない感覚があるが。
あの夢から脱出するための行動は、ちゃんと戦いだったらしい。
「……あんたは俺に幻術か何かを使って、幻を見せていたわけだ」
彼は俺に夢を見せた。
とても、幸せな夢だ。俺が気づかなければ、永遠に続く、幸せな夢。
「ええ。君の記憶から、起こりえた未来を予測し、そこに君の欲望をブレンドした、特上の幻覚をね」
幻術か。そういうのも、あるのだな。
起こりえた未来……の割には、思い出すとボロが多かった気もする。シルフィもロキシーもエリスもいない世界で、やたらと死んだはずのパウロが出てきた。
「君は性欲がとても強いので、簡単でした」
「禁欲中なもので」
いやはや、恥ずかしい。
相手がサラとリニアとアリエルとアイシャってのが、また。
確かに、ちょっとはね? ちっとも、そういう気持ちがなかったと言えば、嘘になるかもしれないけど。いやない、アイシャに対してはない、ないったらない!
「でも、俺の妻への想いと、パウロの思い出が、幻術を打ち破ったってところですかね?」
こういう幻術系は、前世の世界では、何度も目にした。主に漫画の知識だが……とにかく、破り方のパターンはいくつも知っていた。
それが、無意識中に発揮され、今回の結果につながったのだろう。
「…………いや、まさか。君は幻術に完全に掛かっていましたよ。確かに、君は特殊な精神体をしているせいで掛かりが浅かったのはありますが……でも、あそこまで掛かったら、絶対に破れない」
あれ?
「じゃあ、なんで破れたんだ?」
「それは……これです」
ビタが指す先には、骸骨があった。
姿勢よく座る骸骨。
「これは?」
「とぼけるのはおよしなさい……私と戦うことを予見し、最初から用意してあったのでしょう? 私の天敵である『ラクサス』の『骨指輪』を」
「…………」
「思えば、ルイジェルドを前に、これみよがしに変装の指輪を取ってみせたのも、左手の指輪を隠すためだったわけだ……」
ラクサスの骨指輪。そんなもの、用意した記憶はな……。
死神ラクサス……死神の指輪か!
ランドルフからもらったやつ! つけていた! 確かにつけていた!
「ラクサスの骨指輪は、死神ラクサスが私を殺すために作った指輪です。最も頼れる亡者の姿で幻術を破り、術者の逃げ場を奪い、追い詰める。もっとも、頼れる亡者がいなければ、その指輪も発動しないのですが……」
頼れる亡者……。てことは、夢の中で唐突に現れたパウロは、骨指輪の効果だったってことか。
確かに、パウロの姿は衝撃的で、ここは現実とは違うのだということを突きつけてきた。
俺が夢だと気づいた後は、ビタを追い詰めるためのヒントを与えてくれた。
あれはビタの幻術がガバガバだったわけじゃなかったのか。
「少々、君を見くびりすぎていたようですね。最後も、もう少しうまくいくかと思いましたが、やれやれ、母親を手に掛けるほど情の薄い男だとは、聞いていませんでした」
俺はそんなところまで予見していない。指輪も隠したつもりはない。
ていうか、かなり躊躇していた。
元気なゼニスと、もっと一緒に暮らしたいと思っていた。
親孝行しなきゃいけないなと思って、お見合いを受けてしまっていた。
けど、最後にああ言われては、俺も独り立ちせざるをえない。現実のゼニスだって、きっとそうしろと言ってくれる……はずだ。
「失敗した……。こんなことなら、ルイジェルドを操り、君を脅しておけばよかった」
「なぜ、そうしなかったんですか?」
「ルイジェルドが村を滅ぼす覚悟で君につこうなどと考えていたから、焦ってしまったんだ」
ルイジェルドさん……。
「君が警戒しているように見えないから、簡単に事が運ぶと思ってしまった。それが、まさか私に対する策を用意してあったとは……まさか私を追い詰める罠だったとは……」
罠じゃなかったです。
なんか、すいません……。
だが、あるいはオルステッドか、死神ランドルフは、こういう状況を予測していたのかもしれない。オルステッドは対策ぐらい予め教えておいてほしいもんだが……。
いや、そういえば、指輪をつけておけ、とは言っていたな。だから、それ以上は黙っていたのかもしれない。つけているだけで効力があるなら、もう冥王は敵じゃねえ、みたいな。
言葉足らずだよ。俺以外が憑依されたらどうするつもりだったんだ。
まあ、オルステッドが必要な情報を伝えきらないのは今に始まったことじゃないし、俺が必要な情報を聞ききれないのも、今に始まったことじゃない。
「……慢心が敗北につながることって、ありますよね」
「ええ、本当に」
ビタは悔しそうに言いながら、縮んでいく。まるで、急速に力を失っていくかのように。
同時に、骸骨の方も、ボロボロと崩れていく。
最も頼れる亡者……か。
俺にとっては、パウロがそうだったということか。
「粘族史上最強の王として君臨し数百年、まさかこのようなところで終わるとは、思ってもいませんでした。『泥沼』のルーデウスよ。見事です」
……どう返せばいいんだろう。こんな流れは予測していなかった。
運です、と言ったほうがいいんだろうか。
ランドルフに会いに行ったのは、俺の意思だから、一概に運とも言えないか。
なら、自分で史上最強とか言うなよ、とつっこんだほうがいいんだろうか。
いや、そんなことより聞かなきゃならないことがある。
「一つ聞きたい。お前は、ヒトガミの使徒か?」
「そうですよ。かの神には、実に世話になりました。死神ラクサスの魔の手から逃してもらい、天大陸の地獄への道を教えてくれた。お陰で、長いこと生きてこれたのですが……。出てきた結果がこれとは。因果か、それとも運命か」
ビタは、どんどん縮んでいく。
最初、この部屋にいた時は、人のサイズだったのに、もうこぶし大しかない。
「ルーデウスよ、最後に一つだけ、言っておきましょう」
「……」
「人神は悪い神だが、私のようにただ助けられ、信望する者も、少なからずいるのですよ」
ビタは、そう言う間にも指先ほどのサイズに縮小していく。
同時に、ガイコツもまた、砂になって消えていく。
「待て! 他の使徒が誰かも……!」
俺の意識も、次第に薄れていった。
★ ★ ★
目が覚める。
意識はハッキリとしていた。夢の内容も、最後の部屋の会話も憶えている。
「うっ……」
唐突に腹が激痛に見まわれ、吐き気が襲ってきた。
「おえぇぇ……」
四つん這いになった俺の口から、ビチャビチャの液体が吐き出された。
青い液体だ。青いスライム状の何かが、胃液や晩飯と混ざり、地面に広がっていく。
冥王ビタの死体……かな?
と、思ったら、左手の指に違和感があった。篭手を取ってみると、死神の指輪が砕け、ボロリと地面に落ちた。指輪はビチャッと音を立てて、ゲロに沈んだ。
「……」
この指輪が壊れたということは、先ほど、ビタが言っていたことは、本当なのだろう。
……つまり、ビタは自ら俺の中に入り、指輪の効果で自爆してしまった形か。哀れだ。
とはいえ、ビタの判断ミスではないだろう。
俺を操れば、ヒトガミ陣営は勝ったも同然だ。そして、あの瞬間、俺にそれを防ぐ手立てはなかった……。
偶然。いや必然というべきか。
死神ラクサスの骨指輪。キシリカに言うことを聞かせるだけではなかったということだ。
まぁ、もしかするとランドルフも本当の効果を知らなかった可能性があるが。
「あっと、そういえばルイジェルドさんは?」
周囲を見渡す。
ここは建物の中か。床、壁、間取り……見覚えがある。
ルイジェルドの家だ。
流れからすると、ルイジェルドからビタをうつされた後、ここに運ばれたってところか……?
「……」
外が明るい。あれから何時間経過したのだろうか……。
ゲロはあとで掃除しよう。
「ルイジェルドさん?」
俺は家主の名を呼ぶが、返事はない。
外に出ているのか。それとも、別の要因か。ひとまず体を起こし、周囲を見渡す。どういう状況になっているのか、確かめる必要があるか。
そう思って体を起こしたところで見つけた。
ルイジェルドは囲炉裏の向こう側で横になっていた。
「ルイジェ……」
息を呑んだ。
彼は、真っ青な顔で、ひゅーひゅーと息を吐いていた。己の体を抱きしめるように、ガクガクと震えながら。
明らかに正常ではなかった。
『ビタが病気の進行を抑えている。ビタを殺せば分体も死に、疫病が蔓延する』
そんな一言が思い出された。
つまり、このルイジェルドの状態は……。
「疫病……か」
冥王ビタは、ただ死んだわけではなかったらしい。
自爆は自爆だったのだろうが……。
自爆テロだ。